時空を超えた探し物
――夢なら早く覚めてほしい――
という思いであり、ただ、これと似た感覚に陥るのは、この映画を見ている時だった。
この映画をホラーやオカルトのイメージで見ているわけではない。ということは、同じ日を繰り返しているという感覚は、今となって思えば、怖いという意識が露骨に表に出ていたわけではなかった。
最初の頃は見返すたびに、いろいろな感覚が頭をよぎったが、何度も見直すうちに、さほど考えが頭をよぎることはなくなった。映画を見ながら、さつきを見つめているせいか、ほとんど何も考えていないようだ。
――今までに、こんなことはなかったはずだ――
一度見た番組を何度も見直している時は、いつも他のことを考えていた。逆に言えば、他のことを考えたいから、同じ番組を見ようと思っているのかも知れない。沈黙の中で何かを考えていると、
――余計なことを考えてしまい、ロクな発想が頭に浮かんでこない――
と、思うからだった。
映画を見ていると、充希が最後は誰かを探しているところで終わっていた。
俊哉がどうなったのか、史郎は結局死んでしまうのか、そのどちらもハッキリとは描いていない。
充希は確かに誰かに恋心を抱いていたはずなのだが、それが誰なのかも分からない。
ミスをして落ち込んでしまった俊哉には、性格的にトラウマになって残ってしまったものがあっただろう。さらには何といっても、生きることを許されないかのように、検査で死の宣告を受けてしまった史郎は、誰にも自分の死を知らされず、残り少ない人生を生きなければならない。
確かに史郎に対しての同情は、桁外れのものがあるだろう。だが、冷静に考えれば彼は死ぬのだ。同情を永遠に抱くことはできないのだ。彼が死んでしまえば、肉親でもない限り、どんなに今思っていても、時間の経過とともに、彼のことを忘れ去っていくのだ。
また、そうでなければ、病院のように、
「一年でどれだけの人間が死んでいくというのだ」
落ち込んでいては身が持たないし、神経ももたない。病気の患者は、待ったなしなのだ。そう思えば、同情というのがどれほど甘い考えなのか、少し冷静に考えれば分かることのはずだった。
だが、病院を舞台にした作品は、そのほとんどが、人の死というものを避けて通ることのできないものだ。そして、ほぼ同じ思いを誰もが持っていて、それを乗り越えなければ、病院では仕事ができないというのが定説のようになっている。
定説であろうとも、病院を舞台にした作品は今も昔もなくなることはない。それだけテーマとしては永遠のものなのだろう。俊哉にしても、史郎にしても、結論は見えている。しかし、この作品は、その結論を出していない。何度も見直してみるのは、その答えを見つけようとしているからだ。毎回同じ内容のものを見ていて、見つけられそうな結論は、いつも微妙に違っている。
――もうここまでくると、結論を見つけるなど、どうでもいいことだ――
と思うようになっていた。
何度も繰り返して見ているのは、最初こそ、
――何かの結論を見出したい――
と思っていたからなのかも知れないが、今となってみれば、気になっているのは、充希が、
――一体誰を探そうとしているのだろう?
という疑問だった。
探しているのが充希だとすれば、映画の中の登場人物ということになるのだろうが、逆に探しているのがさつきであれば、画面という境界を越えて、誰を探しているのかというのを見つけることは果てしなく難しいことになってしまうだろう。
最初は、充希が探しているものだと思っていたが、途中から、
――探しているのはさつきの方ではないか――
と思うようになっていた。
確かに最初は充希が探していたように思えた。そして、充希が探している人が見つかったことで、今度はさつきがまた違う他の人を探すことになる。充希が誰を見つけたのかということが、今さつきが探している相手と関わってくるような気がして仕方がなかった。
そのことに気が付いたのは、さつきの表情を懐かしいと感じたからだった。
確かに顔はさつきのものだが、表情や雰囲気の中に、時々懐かしさを感じることがあった。それが由香であるということに気づくまで、さらに時間がかかったのだ。
忘れてしまったと思っていた由香だったはずなのに、さつきを見ていると由香のなつかしさを思い出すのは、さつきが由香と関わりがあったことを示すものだったような気がする。
悟は由香のことを好きだった時期があったが、いきなり冷めた気分になったのは、
――由香の中に、他の女性を感じた――
と思ったからだった。
もし、それが男性であれば、明らかに嫉妬なのだろうが、女性であるというのは、嫉妬ではないと自分に言い聞かせていたのだが、本当に嫉妬ではなかったのだろうか? 男性であれば、簡単に理解できるものも、相手が女性であれば、余計に頭が混乱してしまう。
――自分の知らない世界を、由香は知っているんだ――
と感じたからだった。
――その時の女性というのが、充希を演じているさつきだというのは、あまりにもでき過ぎなのだろうか?
と感じた。
偶然という言葉で片づけられないことは、他にもたくさんあるだろうが、元々、バーが消えていたり、夢の中の世界にいるような感覚だった。どこまでが自分の考えなのか、結界のようなものがあるように思えた。
由香が他の人に惹かれていたというのは分かっていたつもりだ。だが、それがさつきだったというのは知る由もなかった。ただビデオを見ているうちにもう一人誰かが潜んでいるのを感じると、今まで思い出すことのなかった由香だったというのは皮肉なことだった。
しかもビデオの中で由香を感じると、今まで思い出すことがなかったはずの由香を、毎日のように思い出していたのではないかと感じる。錯覚ではあったが、ただの錯覚として片づけられないものがあった。
ビデオの中に由香を感じると、
――今の由香なら、何でもできそうな気がする――
と感じた。
由香は冷静ではあったが、急に冷めたりするようなことは考えられない性格だと思っていた。
――買いかぶりすぎていたのかな?
と思っていたが、「いきなり」ということには慣れていた悟には、急に冷めたことにも慣れてしまったような気がして、深く考えないようになっていたのは、悟にとっての短所だったのかも知れない。
短所を簡単に認めたくない悟は、
――短所は長所の裏返し、さらには、短所と長所は紙一重というではないか――
と思うことで、短所に対していろいろな「言い訳」は用意できた。
だが、しょせんは言い訳でしかない。由香に対して冷めた理由を考える前に、由香から遠ざかってしまったのは言い訳では済まされない気がしてきた。
「今さら手遅れよ」