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時空を超えた探し物

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 俊哉が戻ってきてから、ストーリーに変化があるわけではないが、どこか色の違いを感じさせた。それまで俊哉の背後には、どこかオレンジ色の、まるで黄昏のような色を感じていたが、今度は黒い色を感じる。それはまるで夕方が夜に変わるようなイメージで、夕方のぼやけた光景が、夜になると、暗くて見えにくいが、ぼやけているわけではないというイメージを思い起こさせる。
 確かに俊哉がミスをする前は、存在としては、ぼやけた存在だったが、戻ってきてからというのは、見えにくいところもあるが、見えないところと見えるところがハッキリと分かれているのは感じられた。
 そのイメージ委が色として表現されるというのは興味深いことだった。オレンジ色の部分は夕方のけだるさを表していて、黒い部分は、日も暮れて、夜という新たな世界が広がったことで、それまで見えなかったものが、夜の世界だけにしか見えないものとしてハッキリしてくるのかも知れないとも感じた。
 俊哉を裏の主人公だと思って見ていると、俊哉がストーリーの中で占める役割は、ただ主人公である充希を引き立てるだけではないように思えてくる。自分が俊哉の立場になって充希を見てみると、眩しく見えてきた。
 実際のストーリーとしては、俊哉は充希が史郎を気にし始めるまでの「繋ぎ」のような役回りであるので、充希のことを気にしているわけではないだろう。別に二人の接点があるわけではない。同じ病院でも部署が違えばまったく知らない相手だと思っても無理もないことだ。
 再登場してきた俊哉はまったくの別人になっていたことで、それまで気にしていなかった充希を気にし始めるようになる。それは充希の方からの視線を感じたからで、それまでまわりの視線など、あまり意識したことがなかった俊哉は、冷静沈着になった代償として、まわりを気にするようになった。
 一度気になってしまうと、とことん気になるもので、冷静沈着な性格とは無縁な気がしたが、実際にはまわりの視線を気にすることで、自分を冷静な位置に置くことに気を付けるようになったのかも知れない。
 俊哉がまわりを気にしているように感じたのは、悟だけのように思えた。ドラマの中で一緒に演じている人たちにも分からない俊哉を演じている俳優の悲哀を感じることができるような気がしたからだった。
 俊哉の視線で見ていると、充希の自分を見る目が、以前とは違っているのを感じた。
――以前にも感じたような感覚だ――
 同じ視線を浴びたことがあったが、その主は充希ではなかった。その時、悟は自分が想像しているのは、役としての充希ではなく、演じている俳優であるさつきのことが気になった。
 誰かの視線を感じて、
――以前と同じ視線を感じたことがある――
 と思うのは、同じ人間でありながら、別人を意識しているからに違いないと思うからだった。
 充希というのは、さつきが演じる最初の主演女優だった。もちろん、さつきの他の作品を見たことがない悟にとって、充希、つまりさつきは初対面だといってもいいだろう。
 だが、充希の視線の奥に感じている相手が、さつきではないことを、悟は気づいていた。気づくことで、
――何かがおかしい――
 と感じるのだが、それが由香であるということを一番分かっているのは、実はさつき本人だった。
 いや、厳密にはさつきが気づいたわけではない。さつきが演じている充希が気づいたのだ。
――私は、本当に充希という役でいいのかしら?
 という違う次元を想像させる発想に、充希にとっては知らないはずの由香という女性の存在が見え隠れしていることを、なぜか悟が感じるのだった。
 悟は充希の中に、もう一人のキャラクターを感じていた。
 充希という女性は、繊細な神経を持っているが、もためは天真爛漫だった。だが、ビデオケースに書かれていた充希というヒロインのキャラクターには、天真爛漫という表現はない。
 普通、天真爛漫という性格は、最初に感じるものであって、その中に、繊細な神経を持っているという内面を見つけることになるのだろうが、ビデオを見ていて充希には、
――繊細な神経を持っているという性格を最初に見出して、よく見ると天真爛漫な性格もあることに気づいた――
 と思っていた。
 ということは、天真爛漫な性格は、最初なりを潜めていたことになる。後から気づかせるものとなるのだが、繊細な性格だと思い込むことで、なかなか彼女が天真爛漫だというイメージに結びつかなかったのも、すぐに気づかなかった理由の一つかも知れないが、説得力には欠けるだろう。
 しかも天真爛漫な性格というのは、そうそう潜めておけるような性格ではないはず、天真爛漫な人は、絶えずまわりの人に天真爛漫さを醸し出しているはずだからである。
 いわゆる「オーラ」と呼ばれるものなのだろうが、その天真爛漫というオーラが、最初の充希からは感じられなかったのだ。
 実際に充希を演じているさつきのことを、悟が知るわけもないし、ドラマを見ている以上、演じている人の普段を知る必要もなければ、知りたいという気持ちも最初からさらさらあるものではない。
 もっとも、さつきという女性が天真爛漫だというわけではないことを、悟は知るはずもないので、見ている目は、充希だけを見ているはずだった。
 しかし、充希の中に天真爛漫さを見出した悟は、充希というキャラクターが、本当は二重人格なのではないかと思うようになっていた。それがこの作品のミソであり、脚本家の策略なのかも知れないとまで思っていた。
 確かに、途中から充希の雰囲気が変わった。
――どのあたりから変わったのか?
 と聞かれても、ハッキリと言い切れる部分があるわけではない。ストーリー中心に見ていたので、キャラクターの性格を見ながら見ていたわけではない。どちらかというと娯楽性の強い作品ということで、あまり余計なことを考えずに見ていこうという思いが強いことから、ストーリーを流すように見ていると、キャラクターの性格は、無意識に感じている程度だった。
 それでも、気になるところが少しでも見つかると、時には巻き戻して少し前から見直したりすることもある。見直し始めると、今度はキャラクターのセリフ一言一言にも神経を使い、考えながら見直すことも少なくない。見直すくらいなのだから、余計に集中しないといけないと思うのだろう。
 見直していると、最初に感じていた漠然としたストーリー展開が、若干変わって見えることもある。今回見ている映画は、巻き戻して見ることはなかったが、気になるところを意識しながら見ていると、最初の頃に予想したストーリー展開が、若干変わってきていることに気がついた。
 今までに見た作品のほとんどは、最初の頃に思い浮かべたストーリー展開通りに進んでいることに満足していた。自分が想像した通りに進んでいるということは、自己満足につながる。もし変わってしまったら、変わった内容が、自分が想像したものと違った内容になったということを、自分の中で納得させられなければ、見たことを後悔してしまうほどの消化不良に襲われることだろう。
 それは、本を読んでいる時も同じだった。
作品名:時空を超えた探し物 作家名:森本晃次