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時空を超えた探し物

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 それからしばらく俊哉が登場するシーンはなく、急に戻ってくることになるのだが、その登場はいきなりだったわりに、それほど衝撃的ではなかった。
 それはきっと彼がまったく違った人物になって登場してきたからなのかも知れない。
 撃たれ弱いと目されて、自分のミスに対して茫然自失。悟が見ていて、
――この人は、それほど自分に自信を持っているわけではない――
 と思っていたのに、自信過剰の人が自信を喪失した時のようなショックの受け方だったからだ。
 それは悟の思い過ごしで、ショックを受けていたのは、ただどうしていいのか分からないことで、本当にただの茫然自失だっただけなのかも知れない。一人の人を気になって見ていると思い入れが激しくなり、もう少ししっかりしてほしいと思うあまり、その人の性格を見誤ってしまうこともあるだろう。
 俊哉に対しての思いは、かなり過大評価していたような気がする。彼が病院の廊下で寂しそうにうな垂れて去っていく姿は、本当なら見たくないはずの姿だったはずなのに、どこかホッとした気持ちにさせられた。そして、そのシーンが悟にとっては衝撃的であったからこそ、
――しばらく彼を見たくない――
 と思っている気持ちが通じたのか、しばらくの間、彼は画面から消えてしまったのである。
――休暇を取っている間に、旅行するくらいの性格の人なのかも知れない――
 と思うと、このまま作中に戻ってこないのはありえないと思えた。ストーリーの展開上、大きな転機を与えた人が、途中消えてしまって、最後まで作中に出てこないということは、ルー違反のように思えたことだろう。ただ、俊哉が戻ってくる間、悟の意識は別の男性に移っていた。それが史郎だった。
 史郎は途中から入院してきた男性だが、俊哉とは性格も雰囲気も違っていた。本当は病院のベッドでおとなしくしているタイプではなく、活発な男の子のはずなのだが、やはり入院患者というのは、どうしても弱弱しさを感じさせる。それに追い打ちを掛けるように、彼が不治の病であるのを、ドラマは告げていた。
 俊哉に気を取られていたので、史郎の存在は薄かったが、それが作者の狙いだったことに気づいたのは、俊哉がうな垂れて病院の廊下を歩いている姿を見た時だった。
 その時、俊哉が作中に戻ってこないことはないと思っていたあが、しばらくは不在になる。その後の展開で主人公になるのは、史郎だと思ったからだ。
 史郎はまだ高校生だった。
 本当であれば、部活に勤しんでいて、友達との時間を楽しみたい年頃のはずなのに、毎日を病院のベッドで過ごすなど、いたたまれない気分だったに違いない。
「僕はバスケットをやっていたんだ」
 なるほど、ベッドからはみ出しそうな身体の大きさを見ると、バスケットかバレーをしているように思えてくる。バスケットの選手というのは安易な発想に思えたが、そういう目で見ると、普段の勇ましさと、入院中のまるで借りてきた猫のような神妙さのギャップに、見る人の感傷を誘うのではないだろうか。
 病院のベッドがいかにも痛々しく感じられる。
 史郎を見ていると、哀愁しか見えてこなかったが、それが作者の意図であるとは思えなかった。特に俊哉がミスを犯して失意の元、作中から消えた後なので、このまま史郎にもネガティブな感情を抱かせると、作品自体の雰囲気が暗くなってくる。悟には、それが作者の意図だとは、どうしても思えない。考えられるとすれば、史郎に対してのイメージを今後より強く持たせるための演出ではないかと思えるくらいだった。
 確かに最初に違うイメージを植え付けることで、センセーショナルな展開に汎用させるだけの登場人物であることを意識させられる。それがこの話の中での史郎の役割だと思うと、史郎が本当の主演ではないことは明らかだった。俊哉にしても、史郎にしても、決定的な主人公としての展開はないが、作中で重要な部分を握っていることに違いない。
 史郎も俊哉も無口な性格だが、作品の中でだけ無口なのではないかと思えた。史郎にしても、学校では友達が多いと思えたし、孤独に思うのは、お見舞いの人がいるシーンがないからだ。
 俊哉にしても、それほど暗い性格ではないと思えるが、一生懸命にやっていることがミスを招いたところに、彼の中の暗い性格が災いしたのかも知れないと思えた。
 俊哉と史郎、どちらが分かりやすい性格かと言われれば、見た目は俊哉の方だと誰もが思うだろう。しかし、ストーリーが進むにしたがって、
――実は史郎の方だ――
 と思えるシーンがやってくる。
 それがうな垂れて廊下を歩いていく俊哉のシーンからではないだろうか。
 悟もこのシーンで俊哉が分からなくなったのも事実だった。
 だが、途中から主人公(充希以外で)が俊哉から史郎に移った時、俊哉のことを忘れてしまうほどの展開になるのだが、再度俊哉が現れた時、
――やっぱり、再登場してきた――
 と思う人は、完全に性格が変わってしまっている俊哉に違和感を感じることはなかったに違いない。
 再登場してきて、前と同じ性格なら、却って違和感があったことだろう。だが、その性格がどのように変わったとしても、再登場してきた彼を見た時、
――これが彼の本性だったのかも知れない――
 と感じることだろう。実際に悟もそうだった。まったく違和感がないといえばウソになるが、想像していた通り、違う性格に生まれ変わっていてくれたことで、作品への興味を崩すことなく、終盤に向かうことができるのだ。
 そういう意味では、俊哉は主人公とは言えない存在なのかも知れない。途中で性格が変わるというのは、主人公であるなら許されないことだと思うからだ。ただ、
――俊哉は、作品にはなくてはならない存在だ――
 と言えるのだ。
 この作品の主人公はあくまでも充希であるのは間違いないことだが、裏の主人公がいるとすれば、俊哉と史郎の二人かも知れない。
 それぞれ一人ずつでは作品の主人公と言えるわけではないが、二人を意識させることで、充希に関係なく、この二人は裏で主人公を張れるのではないだろうか。
――どんな作品にも、表の主人公とは別に、裏にも主人公が存在しているのかも知れない――
 と感じるようになった。
 ただ、この思いは前から持っていたもので、本を読んでいる時には気づかなかった。本にはなくて映像にすると生まれるものは、
――裏の主人公――
 という発想なのかも知れない。
 俊哉は、戻ってくると冷静沈着な男になっていた。見ている人の中には、俊哉が冷静沈着になって戻ってくるというシナリオが、頭の中にあった人もいるかも知れないが、それはよほど発想が豊かな人か、捻くれて作品を見ていた人なのかも知れない。
 悟には、俊哉が戻ってくるという思いはあったが、性格まで変わってしまっているとは想像していなかった。性格が変わっているということは、それだけ目立つ存在であり、俊哉がこの物語で果たす役割の大きさを物語っている。
 しかし、悟には、
――人の性格は、そう簡単に変えられるものではない――
 という思いがあった。途中、彼の存在が抜けていて、いきなり戻ってきた時に性格が変わっていたというオチは、反則ではないかという思いすらあったくらいだ。
作品名:時空を超えた探し物 作家名:森本晃次