時空を超えた探し物
本来なら自分が慕い委ねる相手のはずなので、絶えず自分よりも高いところにいて、見下ろしてくれているのが、立場的に一番ありがたい。それなのに、自分よりも高いところにいると思っている相手から褒められるということは、相手が自分を見上げていることになる。立ち位置が逆に思えてくるのだ。
さつきは由香に対して、考えを改める時が来たのではないかと思うようになった。尊敬だけではなく、由香の弱いところもしっかりと見ていかないと、相手を見誤る気がしたのだ。
尊敬の念は確かに大切ではあるが、由香に対しては、弱い部分を見たくないという思いが強かったのだと感じた。
弱い部分を見たくないという気持ちは、きっと、
――相手の中に自分を見ているからだ――
と思っていたからに違いない。もし、相手に対して、
――自分を写す鏡――
のように感じていたのだとすれば、なるべく見たくないと思うのも無理のないことだ。
なぜなら、自分の弱い部分というのは、自分が一番分かっていると思うからである。他人の中に自分の弱い部分を見るということは、周知していることを、これでもかと思い知らされることになるからだった。
由香がさつきを褒めるというのは、羨ましがっているのとは厳密に言えば違うのかも知れない。しかし、さつきがそう感じたことが大きな問題であった。
「憧れの芸能人には、尾籠なことはない」
という憧れが昂じて、勝手な思い込みになってしまうことは往々にしてあることだが、さつきの中での由香は、
――憧れの芸能人――
と同じイメージなのかも知れない。
もちろん、考えすぎに違いないのだろうが、さつきは最初に思い込んだ考えを改めることが苦手だった。思い込みの激しさは、ある意味女優には必要なものなのかも知れないが、この場合の思い込みは、さつきにとって致命的なものであることに、その時はまだ気づかなかった。
それが、今度の役をもらった時、露呈した。さつきは、監督におだてられているものだと思ったからだ。人から褒められることがあまりない人にとって、急に褒められるのは、自分に警戒心を与えることに繋がってくる。
本当は監督にはそんな気持ちがあったわけではない。監督にもいろいろな人がいて、叱咤激励が強すぎて、俳優が陰で泣いているということも少なくないような、厳しさを前面に押し出した人もいる。
逆に、今回の監督のように、いかに俳優を気分よく仕事に集中させることができるかということを考えている人もいる。
今までのさつきが仕事をした監督は、ほとんどが叱咤激励を前面に押し出す人ばかりだったのだ。ほとんどおだてたりすることのない監督ばかりだったので、お世辞にはどうしても敏感になってしまう。
だが、本当は違っていた。
一見優しそうに見えて、実際には一番厳しい注文をしてくる監督だということに次第にさつきは気づいていくことになる。
監督から言われて、自分のアレンジをいろいろ考えてみたが、なかなか考えがまとまらなかった。
「自然が一番」
という考えに至るまで、
――ああでもない。こうでもない――
と考えあぐねていた。
その間は後から思えばあっという間だったが、考えが行ったり来たりしていたのを悩んでいた。堂々巡りを繰り返すということが、どれほど自分にとってプレッシャーを与えることなのかを考えたりしていた。
――開き直ればいいんだ――
頭のどこかにその思いは確かにあったような気がする。そのことに気づくまでにかなりの時間がかかったのは事実だが、逆にその思いがなければ、本当に開き直ることなどできるはずもないのだった。
堂々巡りを繰り返し、そして開き直る。それは自分にとっての一皮を剥くことになるのだということを分かっていたはずなのに、実際に経験してみるまでは、実感が湧くわけもなかった。
ただ、もっと難しいのはそれ以降のことだった。
いくら頭で描いていても、それは自分の仲だけの完結である。演技というのは相手があること、もし監督が他の人に、
「好きなように演じればいい」
と言っていれば、お互いにリズムが合わなければ、なかなか撮影がスムーズにいくこともないだろう。しかし、一度歯車がかみ合えば、そこから先は完璧に限りなく近いリズムを生み出すことができるのかも知れない。
監督がそこまで考えていたとすれば、さぞや名作が生まれるのだろうが、しょせん、?シネマの類だった。俳優の中には、
「どうせ、?シネマ」
ということで、監督から激励されようが、自分を表に出そうとしない人もいるだろう。諦めの境地とでもいうのだろうか、少し上から見ている監督には、一目瞭然であるに違いない。
クランクインしてから、さつきは自分の考えていた通りの演技をしていたが、どうしても相手によってうまくいかないこともあった。相性のいい人とは、NGを出すこともなくスムーズに撮影は進んでいくが、相性の合わない人とは、いくらやってもうまくはいかない。それでも、何度かやっているとピタリと合うこともあり、
「やっぱり、皆個性のある俳優なんだな」
と、監督に言わしめていた。
最初は、監督の言った言葉の意味がよく分からなかった。だが、その言葉には大きく二つの意味があると分かると、理解できるようになった。
さつきが最初に感じたのは、
――俳優というのは、皆少なからずプライドを持っている。そんなプライドは人から冒されるのを一番嫌っているはずなのに、個性があるということは、相手と歩み寄りを認めない自分の中に壁があってしかるべき――
だということだった。
相容れない二つを一つの言葉で綴ってしまうということは、どういうことなのかと考えてみたが、
――一足す一は、二ではなく、三にも四にもなる――
ということを暗示しているのではないだろうか?
そう思ってみると、さつきはそれこそが、監督の狙いであると思うようになっていた。
だが、さつきは自分が、
――監督の描いたイメージの歯車の一部でしかない――
と思っていた。
そう思っている以上、監督に言われた
――さつき流の役――
というのを見つけることがどれほど難しいか分かってきたような気がしていた。
撮影は、うまく行く時と停滞することの繰り返しだった。
さつきは監督の顔色を窺っている自分にそのうちに気づくようになると、
――これが問題なのかも知れない――
と感じるようになった。
――監督から目を反らすようにしよう――
と思うようになると、どこを見るかが問題だった。
――そうだ、カメラを見ればいいんだ――
カメラばかり意識していると、自分が何を演じているか分からなくなるから、カメラだけは見つめないようにしようとそれまでは思っていた。どちらかというと、
――俳優の初歩的な考え方――
という思いを持っていたくらいだ。
カメラばかりを見ていると、必ず監督から怒られた。
「素人じゃあるまいし、カメラばかり意識するんじゃない」
素人同然の相手に、そんなことを言われても分かるはずはないと思ったものだ。
素人かどうかという発想は、その映画がメジャーなものなのかどうかというビジョンで見ていた。