時空を超えた探し物
特に俳優を目指しているさつきは、その頃から、真面目という言葉に疑問を感じていた。いいことだと思っていたのに、人から言われるとドキッとするようになっていたが、ドキッとしてしまうというのは、次第に自分の考えに疑問を持つようになったからだと思ったからだった。
俳優になるということは、
――自分というものを捨てて、他の人格を自分自身が演じることであって、限りなく創造された性格にどこまで近づくことができるか――
ということだと思っていた。
もちろん、限りなく近づけなければいけないのは、性格だけではないだろう。しかし、性格が俳優として、架空の人物を演じる上で、一番顕著に表に現れてくることだ。それは実在の人物を演じる時にも言えることだが、実在の人物を演じる場合は、完全になりきってはいけないと思っている。
あくまでもなりきるということであり、その人になってしまうわけではない。その人になりきるなど、絶対に不可能なことであり、不可能なことには不可能だという理由が存在している。それが、
――限りなく近づくことはできる――
という思いと引き換えに、その人になりきってしまうという考えは捨てなければいけなかった。
ただ、まわりの人から、
「その人を演じる時は何を心がけますか?」
と聞かれた時は、どうしても、
「なりきる」
という言葉をキーワードに用いてしまう。それは嘘をついているようだが、本人は方便だと思っている。
いくら俳優でも、実在の人物であれば、その人になりきるということを考えてはいけないという考えを教えてくれたのは、他ならぬ由香だったとさつきは思っている。
言葉でハッキリと聞かされたわけでもない。また、由香もそう感じているかどうかも分からない。だが、由香がさつきに対している態度を見ていると、そう感じてくる。さつきは由香を尊敬している。由香のようになりたいと思っている。しかし、それは由香という女性すべてになりたいわけではない。
――由香になりきる――
ということは、相手のすべてを受け入れなければ、相手になりきるなどできるはずもない。そう思うと、誰かになりきるなどというのは、自分の気持ちの中の傲慢さがそう感じさせると最初は感じた。
しかし、よく考えてみると、そうではない。自分が相手を尊敬はしているが、すべてを尊敬できないその理由を探した時、
――相手になりきることはできない――
という考え方が、自分に対しての言い訳となり、言い訳ではありながら、自分の気持ちの均衡を保つための必要な言い訳であることに気づいた。
――世の中には、なくてはならない言い訳というのも、あるのかも知れないわ――
ということを、さつきに感じさせたのだ。
さつきは専門学校を卒業すると、中小のプロダクションに所属した。看板女優もいて、中小の中では名前は知られている方だった。
「まあまあいいところに所属できたわ」
と考えていたが、さつきの最初の仕事は雑用だった。
元々女優というのは、街でスカウトされた女の子の中から、さらに篩にかけられて、オーディションを勝ち進むことで、勝ち取るものである。学校を卒業したからといって、テレビや映画の女優として出演できるわけではない。それでも、裏方の仕事を嫌がることもなくこなしていたの幸いしたのか、運も味方して、一度主役が転がり込んできた。
?シネマの主役だったが、それでもさつきには嬉しかった。もちろん、濡れ場も存在し、さつきが濡れ場も嫌がることのない女性であるということが評価されての抜擢だった。
最初に他に決まっていたのだが、その女性がスキャンダルを起こし、仕事ができなくなってしまった。配役も決まって、撮影がそろそろ始まるという時の青天の霹靂だっただけに、事務所はパニックだったが、
「さつき君は、確か女優養成の学校を出ていたよね?」
と、雑用をこなしていたさつきに監督が声を掛けてきた。
「ええ、今は裏方をしていますが、本当は女優を目指しています」
と監督の目を見ながら答えた。
「じゃあ、さつき君も主演候補に含めて、再度配役を考え直そう」
ということになった。さつきにとっては、願ってもないチャンスだった。
しばらくしてから、
「さつき君。主演ではないけど、重要な役を君にやってもらいたいんだが、大丈夫かな?」
と、監督から声を掛けられた。内容を聞いてみると、主演女優の引き立て役で、濡れ場ももちろん存在する。主演よりも濡れ場は多く、見方によっては、濡れ場を引き受ける役であった。
「はい、喜んでやらせていただきます」
さつきは、有頂天であった。降って湧いたような話だったが、
――チャンス到来というのは、本当にいきなりやってくるものなんだわ――
と感じた。
濡れ場があろうが、助演であろうが関係ない。自分は自分の演技をするだけだった。さつきの性格から考えて、どうしても謙虚になって、相手を引き立てることが多かったさつきのデビュー作としては、ちょうどいいのかも知れない。
主演の女優は、脇役だった女の子の抜擢だった。内部昇格と言えばいいのだろうが、そのおかげで、さつきにもお鉢が回ってきたのだった。
――これを幸運と取ればいいのだろうか?
さつきは有頂天であったが、慎重な性格には変わりなかった。謙虚な性格は演技にも表れていたようで、監督の受けもよかった。ただ、どちらかというとストーリーの中では憎まれ役になっていることが少し気になっていた。
憎まれ役が嫌だというわけではなく、
――私にそんな役が務まるのかしら?
という気持ちが強かった。人を憎んだり恨んだりしたことがあまりないさつきに、自分にない性格を演じることができるのかどうか。それが気になっていたのだ。
その時思い出したのが、由香だった。
――由香だったら、どんな態度を取るだろう?
という思いだった。
由香を尊敬しながらも、由香になりきることはできないと思っていたのは、自分にはなりきれないところがあるからだと思っていたが、それが、積極性だった。
――当たって砕けろ――
という言葉が合っているのではないかと思うほど、よく言えば
――積極性――
であるし、悪く言えば、
――猪突猛進――
と言える性格だった。
いい意味でも悪い意味でも、さつきには備わっていないところであり、今度の役は、その両方を兼ね備えていないと演じることができない役に思えたのだ。
さつきは、演じながら役になりきるというよりも、由香をイメージしていたといってもいいだろう。本当なら自分を出さなければいけないところを、由香がどうしても出てきてしまい、演技している自分を客観的に見ていたのだった。
それがデビュー作では幸いした。
「さつき君は、演技をしながら、冷静な目で見ることができる数少ない女優さんじゃないかって思うんだ」
と、監督に言われた。
「それって褒め言葉なんですか?」
「ああ、もちろんそうだよ。今回の作品の成功は、さつき君の貢献が大きいと思っているんだ。本当なら企画倒れになってしまっていた作品を完成させることができたのは、さつき君のおかげだ。礼を言うよ」
さつきは、監督から言われた言葉に感無量になっていた。