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時空を超えた探し物

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 その日、いつものように、由香の部屋で、さつきが作った食事を食べながら、漠然とテレビを見ていた。いつものことであるが、目は液晶を捉えているが、実際に意識して見ているのかどうか、相手のことだけでなく、自分のことも分からなかった。意識しているつもりでも、急に上の空になり、意識が飛んでしまっているなど、それまでにも何度もあったことだった。
 料理に関しては、お世辞にもさつきは自分が上手だとは思っていない。少なくとも由香の方がきちんと作るし、料理に関しても性格を表していることは、一目瞭然だった。
 さつきは、由香に料理の手ほどきを受けていたことがあった。相手が由香でなければ、相手に手ほどきを受けるようなことはなかったはずだ。自分が劣ると思っている相手に勝ちたいという思いは絶えずさつきにはあった。そのために、劣りたくないと思っている相手から手ほどきを受けるなど、考えられないことだったからだ。
 しかし、相手が由香だと、そんな思いは薄れていた。それだけ由香に対しては他の友達、あるいは、今までの友達とは一線を画したような相手だったのだ。
――飾ることなく付き合っていける相手――
 それが由香だったのだ。
 食事をしていると、次第に由香の息が荒くなってくるのを感じた。さっきまで能面のように無表情だった由香の表情から、急に血の気が引いてきたかと思うと、次第に顔が真っ赤になってくるのを感じた。
――逆だったら、大変だったわ――
 最初に血の気が引いているのを見たので、その後、顔が真っ赤になったことで、却って安心した気持ちになったというのも嘘ではなかった。
「しばらく横になっていた方がいいわ」
 と言って、由香をベッドに寝かせて、さつきは、その横に寄りそうように座った。
「ありがとう、すぐに良くなるわ」
「今までにもあったことななの?」
 と聞くと、
「ええ、最近時々あることなの。だから大丈夫なのよ」
 と言って、ベッドの横にある小物入れから、薬を取り出し、口に含んで飲み込んだ。すると、十分ほどすると、落ち着いてきたようで、顔色も元に戻っていた。
 顔色だけを気にしていたが、実は彼女のバロメーターは唇にあった。最初に血の気が引いてきた時、実は恐怖を感じた。その理由が最初は分からなかったが、顔色が戻ってくると、
――血の気が引いたように感じたのは、唇を意識していたからなんだわ――
 と思うようになっていた。
 一番最初に目が行くところが相手の唇であることを、その時初めて気が付いたのだ。
 由香の唇は、最初紫いろだったはずだ。普通に色を失っているだけだと、ここまで恐怖を感じることなどなかったはずだからだ。唇が人の体調のバロメータであるということを知るということも、さつきの今後の人生において大きな影響を与える一つになっていたようだ。
 由香の体調が戻ってきてすぐは、まだ唇の色は復活していなかったはずである。しかし、体調が戻ると、唇の色が戻るのも時間の問題だった。由香の唇を見ていると、みるみるうちに表情が穏やかになってくる。ただ、その時に由香の唇が怪しく歪んだことに気づかなかった。
 それは、唇の色だけを意識していて、表情と唇がその時の心境に大きくかかわっていくことを忘れてしまっていたのだろう。
――唇を見続けるというのは、それだけで相手の心境を思い知ることができるということでもあるんだわ――
 と感じた。
 由香の表情を見ていると、そのうちに何かに吸い込まれていきそうになっている自分がいることに気づき始めていた。
――唇を見つめ続けていたからだろうか?
 と感じたのは、由香の顔色が戻ってきてから見た由香の唇の色が、とても隠微に感じられたからなのかも知れない。
――紫があんなに隠微な色だっただなんて――
 ずっと、由香の唇は紫だった。血色が戻ってきても、唇から紫の色は消えなかった。最初に紫を感じたことで、頭の中から紫という色が消えなかったからなのかも知れない。だが、同じ紫でも、赤が少しでも混じることで、限りなく紅に近い色としての紫を感じることができるのを感じたのだった。
 唇だけを見ていると、唇に吸い寄せられるように顔が近づいていく。触れるか触れないかの瀬戸際までくると、胸の鼓動が最高潮に達したが、それが眠っている相手に伝わったのか、いきなり目を開けて、こちらを凝視する。それは一点を見つめる目であり、目覚めにしては、あまりにもハッキリとしている。
――ずっと前から目が覚めていたんじゃないかしら?
 と思えるほどだった。
 一瞬ハッとして身構えてしまったが、近づけた顔が遠のくことはなかった。硬直した空気が、氷のように冷たくなった自分の顔を、後ろに反らすことができなかった。
 由香の顔から漂ってくる冷徹さは、じっとさつきを見つめていた。
――どこに隠れても、すぐに見つかってしまう鬼ごっこをしているようだわ――
 と、感じた。どこにいても逃れることのできない感覚ほど、恐ろしく気持ちの悪いものはない。
 逃げることができないと思うと、肝は据わるもので、
――逃げようとするから、怖いんだ――
 と思うようになった。
――どうせ後ろに下がることができないのなら、このまま唇を重ねてみたい――
 そう感じたのは、同じ紫でも、最初に感じた血の気が引いた色とは正反対の、暖かさしか感じられないような血色のいい紫色を見たからかも知れない。
――目を瞑っても、この距離で外すことはない――
 と思うところまで唇が近づいてくると、さつきの目は自然と閉じていくのであった。
――次はいつ目を開けることになるのかしら?
 と感じていると、手が勝手に、由香の頬を触っていた。
――暖かい――
 燃えるような熱さまではなかったが、十分に胸の鼓動を感じられるほどの暖かさだった。その鼓動のリズムはさつきの胸の鼓動とシンクロしているようで、自分の胸の鼓動の大きさをごまかすために、わざと由香から胸の鼓動を伝えているように思えてならなかった。
 唇が重なると、さつきは自分の身体が金縛りに遭っているのを感じた。金縛りには震えがつきものだと思っていたが、逆に震えを感じることができなければ、金縛りに遭うこともない。だから震えを感じた瞬間に、反射的に、
――金縛りに遭ってしまう――
 と感じてしまったが最後、自己暗示にかかったことが、金縛りを呼び込んでしまったのかも知れない。
 震えはすぐには収まらないと思ったが、唇が重なった瞬間、ピタリと止まった。唇が重なるまでに、思ったよりも時間がかかったのは事実だが、それでも一直線に相手の唇を目指したはずだった。どんなに時間がかかったと思っても、それは架空の時間が作り上げたものであるに違いなかったのだ。
 心地よさは想像していたはずだったのに、どこかが違っていた。いや、想像通りだったと言ってもいいくらいだったのだが、何が違うのか考えようとしたが、身体を摺り寄せてくる由香の間髪入れない「攻撃」に、何を考えたとしても、打ち消されてしまうのだった。
 吐息はやはり由香の方がすごかった。確かに気持ちよかったのだが、吐息が漏れるほどではない。気持ちよさというよりも、心地よさを感じさせることが、さつきに吐息をあげさせなかった。
作品名:時空を超えた探し物 作家名:森本晃次