時空を超えた探し物
今の自分が何を求めているのかを分かっていないのに、あの頃が夢だったと思うのは、あの頃には今と違って、何かを求めていたという証拠なのだろうか? 求めていたものが何であったとしても、今よりはよかったはずだ。それなのに、忌まわしさから、さらに前に戻ってやり直したいと思う。すでにあの頃から、修正の利かない人生を歩んでいたというのだろうか?
シャワーの熱気が、浴室を包み込んでいる。熱気が湿気を含んでいることなど、意識することなどなかったはずなのに、今日は湿気が身体にまとわりついてくることをいやが上にも意識していた。
しかも、気持ち悪いと思っていたはずの湿気が、今日に限って心地よい。
――由香先輩の腕に包まれているようだ――
と感じた。本当は逆だったことに気づいていたが、
――まあ、いいか――
と、快感に酔いしれる心地よさに、身を任せることにした。
由香のことを思い出したことで、人生をもう一度やり直したいと思ったのは、快感に酔いしれながらも、どこか気持ちの中で罪悪感を感じているからに違いない。その罪悪感が由香との過去のことなのか、それとも、今シャワーに快感を覚えている自分に対してのことなのか、そのどちらにもではないかと思えてならなかった。
由香との過去の関係は、決して同情からではないと思いたい。最初は崩れそうなほど弱弱しい由香を見て、
――今までの立場を逆転できるかも知れない――
と感じたような気がした。
元々、由香の一途なところに一目置いていて、一途なところから、まわりとうまくいかずに孤立している由香を見ていると、
――自分がそばにいてあげたい――
と思うようになっていた。
陰から支えたいという思いは、本来であれば、相手より立場が上のはずなのだが、由香のお目を見ていると、とても自分が彼女よりも上に行くなど考えられなかった。
もう一つさつきには、
――私はMなのかも知れない――
という思いがあり、そんな自分と相性が合っている由香を見ていると、必然的に由香がSであり、由香に従うことが自分の運命であるかのように感じていた。
もちろん、漠然としてしか感じていないことだが、心の中で感じている、
――支えてあげたい――
という気持ちと、
――由香先輩を慕いたい――
という気持ちが複雑に入り組んでいた。
どう対処していいのか戸惑っていたが、ある日突然に、
――その時の状況に応じて、態度を変えればいいんだわ――
と考えるようになった。
今回のように、失恋という痛手を負っている相手には、こちらの優位性を示せばいいのだろうと思っていた。実際に話し相手になっていると、由香はさつきのことを頼もしく思っているようだった。さつきの思いツボに思えた。
しかし、実際に接していると、由香がさつきに対して甘えてくるのが分かった。その時さつきは、
――何かが違う――
と感じた。
由香との関係において、甘えを示していいのは、さつきの方だけだという思いを抱いていたことに気づいたからだ。
由香は、甘え始めると、とどまるところを知らなかった。もし、由香が男性であれば、きっと参っていたに違いないと思うと、不倫に陥ったのは、
――由香が相手を誘惑した?
という思いがどうしても拭えなかった。
――由香のような女性には、相手を誘惑するようなことをしてほしくない――
と感じていたが、それが、自分の中にある由香に対しての誇大妄想であることにその時はまだ気づいていなかった。
さつきは、シャワーを浴びながら、その時の由香の顔を思い出していた。
だらしなく口をポカンと開けて、目も虚ろだった。まるでモノ欲しそうな表情は、今まで自分が慕っていた由香と同じ人間であるなど、俄かには信じられなかった。
その時の由香の顔を思い出すと、シャワーを持った手に力が入る。敏感な部分にシャワーを当てると、思わず喘ぎ声が漏れてくる。
さつきは、最初に由香と愛し合った日のことを思い出していた。
――あれは、それまで落ち込んでいた由香先輩が、急に饒舌になって、何もなかったかのような表情で他愛もない会話を始めたんだったわ――
さつきも最初は戸惑ったが、すぐに由香の気持ちが分かってきた。
――開き直ったんだわ――
開き直りは、さつきの専売特許のようなものだった。
落ち込みやすいのは、由香よりもむしろさつきのほうが激しかった。
――熱しやすく冷めやすい――
という性格をまるで絵に描いたようだった。熱しやすいというよりも、冷めやすいという方がさつきのイメージには強く、時々自分に冷静沈着なところがあると思うようになったのは、そういうところがあるからだった。
それ以上に、冷徹なところがあるのも、自覚していた。そんな思いがあることから、その後の自分の人生に冷徹に思う感覚が影響してくるのだが、その時はまだ分かっていなかった。
さつきは、由香の開き直りが分かると、急に由香がいとおしくなってきた。相手をいとおしいと思うのは、自分が少しでも優位に立っていないといけないということにその時は気づいていなかったはずだ。だからこそ、由香が考えていることが少し過激であると思った時、まるで他人事のように感じようとしたのだ。
今までさつきは、戸惑った時など、相手のすることを他人事のように思うことで、その時の窮地を乗り切ってきたような気がした。それほど大げさなものではなかったのだろうが、少し考えただけでも分かりそうなことを他人事と思うことで何かを理解するのに、かなり遠回りしてしまったように思えたのだった。
さつきは、由香の気持ちが分かると思ったその日、由香が自分を求めてくることを察知していた。その上で、
――由香先輩が相手なら、それでもいいわ――
と思っていた。
その思いは、最初は他人事という思いから派生したものだった。
――由香先輩が満足してくれればそれでいい――
と思いながら、さつきは淫らなシーンを思い浮かべた。
黙って天井を見つめているさつきに、由香が貪りついてくる。吐息が漏れているのは由香だけで、さつきはされるがままになっていて、決して感じることはない。
見つめた先の天井が、今にも落ちて気はしないかという思いからか、天井から目が離せない。
もちろん、瞬きも許されない。それだけに、カッと見開いた目は、嫌な相手に犯されそうになり、必死で抗っていたのに、途中で急に我に返り、瞬き一つもすることなく、相手にされるがままになるという光景を思い浮かべてしまった。
その時の目は、まるで死人の目のようだった。断末魔の表情を通り抜け、完全に死んでしまった時に、開いている目を見つめているようだった。
そんな目を自分がすることになるなど、想像もしていなかった。だが、そんな目をするのは、嫌な相手に犯されそうになり、抗った後の脱力感から生まれるようなシチュエーションでもなければありえないことだと思っていたが、思い浮かべてみると、まんざらでもないことにビックリさせられた。