時空を超えた探し物
と思っていたので、由香が自分に対して悪い気がしていないと思うと、こちらも気になっていたことが悪いことではなかったと思うことが一番平和な考え方だった。
由香は一本筋が通ったところがあり、その筋を曲げるようなことはできない人だった。厳格なところがあり、一歩間違えると、少しでも進んでいる道の横に逸れてしまうと、苦悩に陥り、逃れられない運命のようなものを感じるのではないだろうか?
大げさなようだが、そんな考えを抱いている人は、意外と多いのかも知れない。今までさつきの周りにいなかったような人たちである。
そのくせ、自分が信を置いている人に対しては、とことんまで尽くす人だった。高校を卒業し、すぐに就職したのだが、就職してから由香は人生で最大の過ちを犯した。会社の先輩で好きな人ができて、相手も好きだということで相思相愛の中、付き合うようになったのだが、相手の男には妻子がいたのだ。
世の中にはありがちな話であり、由香もそんなことがあるということは知らないわけでもなかった。
――私には関係のないこと――
不倫関係とは思っていても自分以外のところで行われている蚊帳の外の出来事だと思っていた。それが、まさか自分に降りかかってくるなど思ってもみなかっただろう。
――そんなまさか――
と思ったことだろうが、どうしていいか分からないと思い。頭が混乱している中でも、彼のことを忘れられない自分がいることに由香は気づいていた。しかし、気づいていたとしてもどうなるものでもない。どうかなるのであれば、最初から彼を怪しいと分かっていたと思ったからだ。
そう思うと、由香が不倫に入り込んだのは、彼に騙されたというよりも、
――彼を見抜けなかった自分が悪い――
と思うようになったとしても無理のないことだ。
由香は、自分が窮地に陥った時、まわりが悪いのではなく、
――すべて自分が悪いんだ――
と感じるようになっていた。
潔いという考えもあるが、あえて苦言を呈するならば。
「すべて自分のせいにすることで、目の前の事実から逃げようとしている」
と言われても仕方のないことだと思うようになっていた。
確かに自分から逃げようとしているからこそ、自分で勝手に結界を作ってしまって、人から自分を隔離するようになる。
潔さと取られることもあるだろうが、えてしてまわりからは冷静な目で見られることが多く、
「結局、自分を苦しめるだけで、何ら問題の解決には至っていない」
と言われるだけだった。
それは、責任回避にすぎないことだ。責任回避などしているつもりはないのに、自分の殻に閉じこもるということは、冷静な目で見ている人からは、責任回避にしか見られない。特に由香のような性格の女性に対して、まわりは冷静な目で見ることが多いようだ。
「庇いだてなんて、彼女には必要ないわ」
と思われて、さらに孤立してしまう。そんな時期を由香は初めて味わった。その期間は半年ほどであり、結構長い間、尾を引いていた。
そんな由香を救ったのは、さつきだった。
由香がそんな状況にあるなどまったく知らなかったさつきは、昔のさつきのつもりで会いに行った。
「由香先輩、お元気ですか?」
屈託のない笑顔だったように思う。少なくとも由香にはそう見えた。
――何て懐かしいのかしら――
と、感じたことで、由香の中の結界に一つのひびが入った。まったく目立つことのない割れ目だったが、光を屈折させるには十分で、曲がった光の行先が、よほどいいところだったのか、それともさつきの中にあるあどけなさが、由香の結界に包まれた心に届いたのか、どちらにしても、光が由香に届いたのは間違いないようだった。
――一筋の光とは、よく言ったものだわ――
由香はこの時のことを後で思い出すと、思わず心の中で、そう呟いていた。それほど、タイミング的には抜群だったのだ。
さつきは、由香の心の結界を打ち砕く何か決定的な言葉を口にしたわけではなかった。さつきという存在が由香の中で作られた結界に振動を与えた。一度入ったひびには、ちょっとした振動でも容易にぶち破ることができる。それが、今までの二人の関係であり、それからも続いていくであろう付き合いには、とっておきのアイテムだったに違いない。
不倫という言葉に敏感に反応したことが、由香の中で自分をパニックに陥れた一つの理由だったのかも知れない。由香の中では、言葉というものに、
――善と悪を完全に振り分けてしまう――
という必要性のようなものが備わっていたようだ。その気持ちが自分の中で何かあった時に収拾がつかなくなるような状況を生み出すのだということに、由香よりもさつきの方が分かっていたようだ。
由香はさつきによって苦しみから救われた。さつきはその時、由香の中にある今までに見たことのない「あどけなさ」を感じた。
今までは、自分の方が慕っていたはずなのに、今は自分が慕われている。しかし、慕われているという思いをさつきは認めたくなかった。そのため由香の中に、今まで感じたことのないものを求めようとして辿り着いたのが、「あどけなさ」だったのだ。
由香の中にあるあどけなさが、今度は、さつきの中で今までと立場を逆転させようという思いがあったのかどうかは分からないが、さつきは、由香をいとおしいと思った。相手を「いとおしい」、「可愛い」と感じるのは、自分の方が優位に立っていないと感じることのできないものであることに初めて気づいたのが、その時だった。
さつきが女性に対して隠微な気持ちを抱くなどということはなかった。
そんな世界があることは分かっていても、
――自分とは関係のない世界のことだわ――
と思っていた。
シャワーに快感に浸りながら、そこまで思い出していたさつきは、その頃から自分が積極的な性格になったことを思い出していた。積極的であり、何事にも一生懸命になれる自分が、今では眩しく感じられる。
今では、どんなにシャワーを浴びても、化粧を施したとしても、あの頃の若さを取り戻すことはできない。いや、取り戻すことができないのは若さではなく、無我夢中だった精神状態だった。
ただ、あの頃に戻りたいとは思わない。どうせ戻るのであれば、もう少し前に戻って、あの頃すらやり直したいと思っている。
――忌まわしい過去になるのだろうか?
自分では忌まわしいとまでは思っていない。なぜなら何かが変わってしまったとすれば、それからだいぶ後のことである。むしろあの頃は、変わってしまう前の一番輝いていた時期ではなかったか? そうは思ったが、逆に考えれば、輝いていたと思っている時期のどこかで、気づかぬうちに翳りが見え始めていたのかも知れない。
最近は、ロクな仕事も回ってこない。人と話すこともあまりなくなってきた。寂しいと思う気持ちすらマヒしてきたように思う。そんな毎日を過ごしていると、急に刺激がほしくなることもある。だが、その気持ちには持続性がなく、襲ってきた感情が頭の中で形になるまでに冷めてしまうことが多い。
――本当に面白くない毎日だわ――
と感じると、思い出すのは由香のことだった。
――由香先輩がそばにいた頃は、毎日が夢のようだったわ――