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短編集6(過去作品)

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 確かに考えが甘いかも知れない。心変わりがあっても何の不思議もないと普段から思っているくせに、こと自分のこととなれば別で、つい相手を信じ込んでしまう。
 私はあまり相手を信じる方ではない。
 どちらかというと、何でも疑って掛かる方なのだが、それは相手が分からない時である。相手のことが分かってきて、信じるに値する人だと思うと一途になってしまう。それだけ自分の眼を信じきっているのかも知れない。
 別れを通告されてからの私は完全に自信がなくなってしまった。それは人を見る目に限らず、何事に対してもそうだった。私が自分の鬱病に気付いたのはその時が最初だったのだ。
 どれくらいの間落ち込んでいただろうか。笑うことを忘れてしまい、顔色もさぞかし悪かったことであろう。そういえば元々暗かった私を避ける人たちの目がとても気になっていた。普段ならあまり気にならないことにも神経過敏になっていたはずだ。
――まわりから孤立してしまい、たった一人になってしまった――
 ただ、そう思い込んでいただけなのだが、そんな時というのは、なまじ優しい言葉を掛けられると却って辛いものだ。今まで笑顔を向けられると自然と綻んでいた顔が、その時は引きつっていたことだろう。
 しかし、そんな時でも姉だけは違っていた。他の人とは顔を合わせたくないと思っているにもかかわらず姉にだけは素直になれるのだ。
 そんな私が分かるのか、深い包容力で私を包んでくれる。自分でも気付かない、甘えたくて仕方がない思いを姉は引き出してくれ、しっかりと甘えさせてくれる。姉とは私にとってそういう存在なのだ。
「女ってね、あなたが考えてるよりも、もっとしたたかなものよ」
 そう言って私を戒めることも忘れない。そんな時の姉はまともに私の顔を見ることができないほど寂しそうになる。しかもその横顔がとても綺麗に見えるのは、失恋した後だからというわけでもない。
「分かってるよ、姉さん。でも、どうしても信じちゃうんだよ」
 せっかくの戒め、黙って聞いていればいいものを、どうしても言い返してしまう。
――本当は姉さんのイメージがある人だった――
 という言葉が喉から出掛かっているのを必死で抑えている自分がいることを悟られないようにしていたためもあるかも知れない。
 高校時代の私が、一番姉に対しての想いが強かったのかも知れない。
 失恋してからしばらくは人を好きになることなどなかった。
――あの人いいなぁ――
 と感じ、思わず後姿を追いかけてしまうようなことはあっても、それは本能から来る行動であって、決して恋愛感情に結びつくようなものではない。私が異性を見る時、必ず私の脳裏に姉の姿が浮かび上がり、
――姉以上の女性がこの世にいるものか――
 とまで思わせるのだ。
 もちろん嫌なわけではない。ただ、姉弟というどうしようもない関係に、しばし眠れない夜を過ごしたことも何度かあった。そんな私の心境を知ってか知らずか、姉は相変わらずの笑顔を私に振りまいてくれる。却ってそんな笑顔が私には辛いのだ。
――ひょっとして姉は私の気持ちに気付いているのでは?
 そう感じたことが何度かあった。
 私と話していて時々寂しそうな顔になる時がある。一生懸命に姉の一喜一憂を探ろうとしている私にはすぐに分かる気がするのだが、それを姉が隠そうとすればするほど私に確信めいたものを植え付ける。きっと姉も私同様に隠すのが苦手なのだろう。
――私たちって不器用な方だから、気をつけないとね――
 前、姉が言っていたこの言葉、感情を隠すのが苦手だということを言いたかったに違いない。
 私は姉に言われなくても自覚はしていた。付き合っていて、これといった別れる理由もないにもかかわらず別れなければならなかった中に、私が姉への気持ちを中途半端にしていたから彼女に見抜かれたことは分かっている。そういう意味でも私は不器用だということを確信していたのだ。
 私が姉に特別な感情を持ったと気づいたのは、偶然だったのかも知れない。あれは小学校三年生の頃だったので、誤解もあったかも知れないが、ちょうど風邪が流行っているころで、元々身体の強い方ではない私も類に漏れず引いてしまった時のことだった。
 歳の離れた姉は、そろそろ大学受験を控えていた頃である。
 自分も大変な時であるにもかかわらず、一番私を気にかけてくれて、看病もしてくれた。熱にうなされていたのかも知れないが、私には後にも先にもその時の姉が一番綺麗だったような気がしてならない。
 私にはその時の姉の顔が忘れられない。私が姉の表情で忘れられない時があるとしたら、この時の表情と、ウエディングドレスを着て私の前から出て行った時の、少し寂しそうで哀れみを浮かべたような表情をした時だった。
 そう、あの表情は寂しそうというより、哀れみを持った表情だった。その意味をわからないでもないが、今まで私に対してしたことはない。なぜ、結婚して私の前からいなくなってしまうその日にしたのだろう? 私には理解できなかった。
 本当は分かっていたのだが、心の中で打ち消していた。姉に対して感じてはいけない想いを、姉が私から取り払ってくれたではないか。したがって私は結婚していった姉を祝福して送り出してあげなければならない。
――しかし、何だってあの時点で私に教えてくれたのだろう?
 という思いでいっぱいだ。知らなければそれでよかったことではないか。私は自問自答を繰り返す。その中で私が見つけた結論は一つ、
――ひょっとして姉の中にも私と同じような想いがあったのではないだろうか?
 というものだった。
 もし姉も私のことを弟以上だと思っていたのだとすると、今さらながら私に話して聞かせてくれたことは頷ける。
 そう、あの日でなければならなかったのだ。それより前だと私が想いを募らせ、それより後だときっと姉が苦しんだはずだからである。
 私には姉の気持ちが痛いほど分かる。姉がかなり早い段階でそのことを知っていたということを聞いた時から、姉の苦労が想像できる。
――言われてみれば、姉の表情が時々違うことがあった――
 いつも見せる優しい顔ではなく、思いつめたような恐い顔をしたかと思うと、すぐに私から視線を逸らし、哀しそうな顔になる。その意味を最初分からなかった私は、その表情にこそ姉の美しさを見出していたのだ。もし、姉がそんな表情を私に見せなければ、これほど私自身苦しむこともなかったかも知れない。
 私が付き合っていた彼女に抱いていた妄想を夢で見たことは何度もある。何しろ多感な高校時代、夢を見るくらいは当然のことで、いかがわしい想像も仕方ないことであった。
 しかし、そんな時でも最後に現れるのは姉だった。もし、夢に出てきたのが彼女だとすれば、きっと最後までは想像できなかったであろう。出てきたのが姉だったことで、私の想像は最高潮に達し、そこで果てていた。
 夢というのは潜在意識が見せるもののようだ。
作品名:短編集6(過去作品) 作家名:森本晃次