柿の木の秘密
うるさくしている子供を見ながら心の中で、
「このくそガキが。ぶち殺してやる」
というくらいに思っていた。
自分以外のことを本当に他人事にしか思えなくなったのは引き篭もりになってからというよりも、一人暮らしを始めてからの方が大きいような気がしてならなかった。
子供は、毎日同じ時間に騒ぎ始める。理由がどこにあるのか想像もつかなかったが、その現象を面白いと感じていたのは事実だった。自分が書き始めた小説に、いつも同じ時間になったら騒ぎ始める子供の話を書いたことがあった。主題ではなかったが、ストーリーの中核を担っていることには変わりなかった。一人暮らしを始めてからというもの、見ること聞くことが新鮮で、それは小説のネタになるという気持ち一心があるからだった。
だが、いつの間にか、子供が騒ぐ声が聞こえなくなった。最初は、
「どこか、家族で旅行にでも行ったんだろう」
と思っていた。
海外であれば、一ヶ月くらいいなくても別に不思議はない。しかし、二ヶ月、三ヶ月経っても子供の声が聞こえなくなると、ますます不思議に思えてきたのだ。
隣の家の家族構成は、確か、おじいさん、息子夫婦、そして小学生くらいの男の子が一人だけだった。
息子夫婦は三十歳代くらいだったが、おじいさんは結構年が離れていたような気がする。すでに七十歳は当に超えているように思えた。おばあさんを見たことはないので、すでに他界しているのかも知れない。隣の家の庭を覗いていると、老人が一人で縁側にいる時間が一番多く、その次には、例の子供がうるさい時間があるくらいだ。息子夫婦が庭に顔を出すことはほとんどない。洗濯物を干している姿も見かけることはなかった。
武明は、一人暮らしを始めてから、さすがに引き篭もりではなくなった。ただ表に出ても別に行くところがあるわけではない。食事のための惣菜を買うためにスーパーには立ち寄るが、それ以外は、たまに本屋に行くくらいであった。
コーポの隣にどんな人が住んでいるかなども知る由もない。隣の人も同じで、武明のことは何も知らないだろう。表でバッタリ出会うこともない。どんな人が住んでいるのかもまったく知らなかった。
一人暮らしを始めてからの三年で、書いた小説は、結構あった。長編が多いのだが、年間で六作品くらいは書いていた。似たような作品もあるにはあるが、後から読み返してみると、自分で思っているよりも完成度は高かった。
「これなら、出版社系の新人賞に応募するのもいいかも知れないな」
と思い、何度か投稿を繰り返したが、いつも一次審査で落選させられてしまう。根本的に自分の作品には、何かが足りないのだろう。
一次審査を通らない理由を、
「自分の作品は奇抜すぎて、一般受けしないんだ」
と思っていた。
しかし、一次審査では、それ以前の文章体裁などを審査されるものなので、どこか体裁が整っていないのだろう。それも、自我流という意味では仕方のないことだと思っているので、それほどショックはない。それでも、何度も一次審査で落とされるとさすがに我に返ってしまう。
「どうしたものか」
と思いながらも今は書き続けるだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
最初は、
「他の作家の本を読んで勉強しよう」
と思い、文庫本を読み漁ったりもした。
また、小説家になるためのハウツー本なども本屋で買ってきて、いろいろと読んだりもした。どの本を見ても書いてあることは似たり寄ったり、結局、書き方が決まっているように思えてならず、新人賞への応募に対して、少し冷めてきたのを感じてきた。
誰かに相談するにも、相談する相手がいるわけでもない。武明は最近になって馴染みの喫茶店を見つけ、通いつめるようになっていたが、店の人と話をしたことも、常連さんと話をしたこともなかった。その店は午前九時から開いているので、通勤ラッシュが一段落してからの時間なので、ゆっくりできる。モーニングを食べながら本を読むのが日課になっていて、話をしたことはなかったのに、アルバイトで入っている女の子のことが気になっていた。
――通勤途中で気になっていた女の子を思い出させる――
顔が似ているわけではないが、雰囲気は似ていた。澄ましてはいるが、愛想はある。そのギャップが、武明の心を掴んでいた。
喫茶店に立ち寄るようになったのが偶然ではなかったことを感じるようになったのは、それから少ししてのことだった。隣の家から、子供や息子夫婦の姿が消えてから、半年ほどが経っていた。さすがにその頃になると、
――老人を一人残して、息子夫婦は出て行ったんだ――
と感じた。
自分のことを棚に上げて、
――なんて冷たい息子夫婦なんだ――
と感じた。
他人の方が思い入れを深く感じられるなど、いかにも自分らしいと武明は感じていた。
一人でいると、すべてが他人事のように思えてくる。しかし、テレビを見ていたり、ゲームをしていると、いつの間にか自分を主人公にシンクロさせていた。それなのに、頭の中の根底にあるのは、
「他人事」
というキーワードである。
――いくらテレビドラマの主人公やゲームのキャラクターに自分をシンクロさせたとしても、しょせんは他人事だ――
と思っているのかも知れない。
これは矛盾しているようで矛盾していない。シンクロさせることの外に、他人事という意識があることで、他人事という膜がすべてを覆いかぶしているのだ。
その頃に書いていた小説は、一人の老人が主人公だった。家族から見捨てられて、一人で世を儚んでいる。その思いが家族に乗り移り、自分を見捨てた息子夫婦はW不倫を重ね、泥沼の法廷闘争を繰り返すことになった。しかも、見捨てたはずの老人にかなりの遺産があることが分かり、息子夫婦はW不倫を一時休戦し、遺産相続に預かろうと悪知恵を弄していた。
しかし、すべてを他人事のように考える老人には、
――人間としての感情――
などなかった。
息子とはいえ、どうなってもかまわないとまで考えていて、息子夫婦の弄する策など、すべてが子供だましにしかすぎず、他人事の感覚の前ではまったく効き目のないミサイルだったのだ。
遺産相続に預かることができないばかりか、老人は自分たちの知らない見ず知らずの人に、ポンと遺産を相続させてしまった。
「一体、相続した人はどんな人なんだ?」
と、苛立ちから気も狂わんばかりの息子は、すでに精神は常軌を逸していた。
嫁の方は冷静に見えたが、実際には夫よりももっとはらわたは煮えくり返っていたことだろう。何しろ嫁は本当の他人なのだから、人情などあってないようなものだ。心の中では、
――くそジジイ、どうせ死ぬなら遺産くらいよこせよな――
としか思っていない。
元々この嫁は、旦那とは恋愛で一緒になったわけではない。別に旦那を好きだったわけでもなく、それまでは適当にいろいろな男を食い漁ってきた肉食だったが、年齢的にもそろそろ身を固めなければいけないという時に知り合った相手が旦那だった。
ある程度の妥協は仕方がないと思っていたことに加え、親の遺産が結構あることを知ると、まんまと遺産目当てに、この家に転がり込んできたという具合だ。