柿の木の秘密
しかし、覚えていない夢が、三年生の頃の焦っている精神状態とは違っている。
見た夢を覚えているのは、怖い夢を見た時がほとんどなのだが、いくら焦りがあったとはいえ、その時に感じた思いは、恐怖とは少し違ったニュアンスによるものだった。
目が覚めるにしたがって何となく思い出してくると、そこに出てきたのは、会社に勤めていた時に気になっていた女性だったのだ。
夢の中では逆だった。
彼女との間の立場は、彼女が自分を追いかけていて、武明の方は彼女から逃げている夢だったのだ。
この夢は一度見たという意識があり、怖い夢として、自分の意識の中に残っている。しかし、夢を見たのだが、覚えていない夢のそのほとんどが彼女との夢であるのではないかと思ったのは、ごく最近のことだった。
武明がこのコーポに引っ越してきてからすでに三年が経っていたが、それまでどうして気づかなかったのか、ベランダから見える隣の家は、かなり昔からあったのか、完全な木造の日本家屋だった。
田舎になら、まだまだ残っていそうな家だが、都会の、しかもマンションの乱立している場所で、よく立ち退きにもかからず残っていたものだと思える。
武明は子供の頃、家族と田舎の家に行ったことがあった。母親の親戚だったのだが、旧家というにふさわしい。農家として生業を立てていた。
都会で生まれ、都会で育っている武明には、田舎は珍しかったが、住みたいとは絶対に思わないという思いを強く持っていて、こんなところに一人取り残されたら、どれほどの恐怖に見舞われるか、考えただけでも恐ろしかった。
子供の頃に見た夢で覚えている夢の中には、田舎の光景が映し出されていたのを思い出した。
家族で田舎に遊びに来たのだが、気が付けば自分だけ置いてけぼりにして、親は家に帰ってしまった。その思いが強く、怖い夢というのは、焦りと不安に苛まれる状況に置かれることだというのを実感していた。
今は、その頃の夢を見ることはほとんどなくなったが、
「覚えている夢というのが怖い夢である」
という認識を持つようになったのは、田舎に取り残されるという妄想にとりつかれるようになってからのことだったのは間違いなかった。
あの頃の両親は、あまり好きではなかった。何かにおいて、
「勉強しなさい」
と口煩く言われていた。
しかも、
「あなたの取り柄は真面目なところ。真面目な人は、人一倍努力をするものなの。だから、努力を惜しんではいけないのよ」
と言われていた。
その頃は、反発心はなかったわけではなかったが、どう考えても親の言うことは正論だった。そのため、逆らうこともできず、正面から親の顔を見ることができなかった。おかげで、田舎に取り残される夢を見ている時、親の顔がのっぺらぼうのようになり、どんな顔をしていたのか、思い出すことが出来なかった。
子供の頃の写真を見ることがあるが、親と一緒に写っている写真はほとんどなかった。その頃から、写真に写ること自体嫌いだったが、それは親と一緒に写りたくないという気持ちの現われだったに違いない。
その頃の親も、同じように写真を撮るのは嫌いではなかったが、武明と一緒にファインダーに収まりたくなかったようだ。夫婦で一緒に写っている写真はあるようだが、武明の写真の中には、親の姿はほとんどない。
――親はわざと、夫婦の写真と、子供の写真を分けて保管していたんだ――
と、親が死んでからリビングの片づけをしている時に見つかったアルバムを見て、
「やはり」
と確信した。
それまでは、保管は同じなのかも知れないと思いながらも、両親のことなので、信用できないと思っていたことが本当だったことで、親が死んだことよりも、こちらの方が自分にとってショックだったのだと、思い知らされた気がした。
「写真なんて、どうせ過去の遺物だ」
としか、考えないようになっていた。
武明は、通勤途中で出会う女性に結局声を掛けられないまま、会社を辞めることになった。会社を辞めてしまうと、彼女に対しての感情が薄れていくのを感じた。
――あれほど好きだったのに――
と思ってみても、会社という安定があってこその彼女だったということに、気づかなかっただけだった。
会社を辞めてから、すぐには新しい会社に入ろうという気にはならなかった。何をしたいというわけでもなく、今まで上ばかりを向いて生きてきた自分が初めて叩き落された気がしたのだが、過去を振り返ってみると、上を目指していたわりには、上に上がったという意識はない。そのことを最初から分かっていたような気がしていた。
それからしばらく、何もしない毎日が続いた。いわゆる引き篭もりなのだが、最初の頃は、親も心配して声を掛けていたようだが、そのうちに何も言われなくなった。その方が気が楽だった。食事はいつも部屋の表に置いてあり、自分が食べた後は、扉の外に置いておくだけだ。他の引き篭もりも同じなのだろうが、武明はそのうちに食事を摂らなくなった。
どこかに出かけて体力を使うわけではないので、あまり食べなくてもよかった。腹が減れば、近くのコンビニに出かけるだけのことだった。引き篭もりと言っても、部屋から一歩も出ないわけではない。親と顔を合わせるのが億劫なので、寝静まった深夜にでも、こっそりコンビニに出かけていた。
そのうちに両親が交通事故で死んでしまった。別に悲しいという気分にもならない。顔を合わせていたわけでもないので、却って自由になれたという感覚だったのだ。
それなりに遺産があったことで、家屋敷を売り飛ばしてどこか一人暮らしができれば、しばらくは仕事をしないでも生きていける。今のコーポに住んでいるのは、そんな背景があってのことだった。
武明は二十五歳になっていた。友人がいるわけでもなく、相変わらずの生活だったが、一人暮らしを始めたことをきっかけに、また詩を書き始めた。最初は詩を書いているだけだったが、そのうちに小説も書くようになり、次第に文学の世界に陶酔していったのだ。
学生時代から本を読むのは嫌いではなかった。当時はミステリー中心だったが、自分で書いてみると、ホラー小説になってしまう。奇怪な話が頭に思い浮かび、それを羅列するように書き続けていると、ホラーであれば、書けるようになっていた。
自分の住んでいるコーポから見える隣の家を見ていると、ホラーが思い浮かんできた。最初は家族で住んでいたようで、幼稚園か小学生低学年くらいの子供の声がうるさく響いていた。その声を実に鬱陶しいと思いながら聞いていた武明は、自分が子供が嫌いだったことに改めて気づかされたのだった。
「どうせ俺のようになるんだ」
と、子供がうるさくしているのを見ると、いつもそう思っていたが、実際にはそんなことはない。武明は子供の頃、決してうるさくするような子供ではなかった。親の言うことには逆らうことのできない子供であり、親に逆らうという概念が頭の中にはなく、うるさくしている子供の気が知れなかったのだ。
今であれば、
「自分の主張を訴えようとしている」
ということが分かる。子供の頃の自分がおとなしかったのは、親に逆らうという概念がないことで、自分を主張するという理由がなかったからだ。