柿の木の秘密
――俺もあんな大学時代を過ごしていたんだ――
と思うと、大学時代の友達といまさらつるむことは情けないと思うようになっていた。
元々、孤独が似合うと思っていた武明が、何を勘違いしたのか、大学時代は友達がたくさんできたことで、輪の中心になれるのではないかとずっと思っていた。しかし、気が付けば卒業していて、輪の中心になれなかったことよりも、輪の中心にいるやつを羨ましく見ていた自分が情けなく感じられたのだ。
いつも輪の中心にいるやつを見ながら、羨ましく思っていた。その思いが嫉妬であることは、卒業するまで気づかなかった。しかし、裏やしいという気持ちが焦りと不安から来るものだということが分かれば、自分の中に抱いていた思いが嫉妬であることに気づいたはずだった。
――分かっていたはずなのに――
通勤の途中で出会う彼女とは、自分が遅刻しそうになっていつもと違う電車に乗った時も、会うことができた。彼女がわざと自分のために時間をずらしてくれているはずがないとすれば、もうこれは、相性が合っているのか、悪戯で片付けられるかも知れないが、運命と感じてもいいように思えた。
大学二年生の頃までは、運命なるものを信じていたように思うが、三年生になることから、運命というものが信じられないようになっていた。
もっとも、これは明らかに自分が悪いのであって、誰のせいでもない。高校時代までの自分を大学に入ったら変えたいという思いの強さから、それまで人の真似をしないことを心情としていたはずなのに、いつの間にか、まわりに染まってきてしまっているので、人の真似をするようになっていた。
それも、自分にできるできないという判断を最初にしなければいけないのに、それを怠ったことで、
――まわりができるんだから、俺にもできる――
と思い込んでしまったことが致命的だった。
武明のまわりにいる連中は、武明よりも高校時代から成績がよかった。頭の出来はさておき、彼らには要領のよさがあった。勉強の仕方を熟知しているというべきか、高校時代から、真っ正直に頭からアクセントもつけずに勉強していた武明には、彼らの才能が分かっていなかった。
同じように遊んでいたのだから、気が付けば、高校時代の勉強方法が大学では通用しないと分かった時には、時すでに遅しだった。友達はどの部分を重点的に勉強すればいいのか分かっているので、同じ勉強するのでも、半分の時間ですむのだ。武明はそれを頭から勉強していたので、後半の半分を勉強する時間がなかったのだ。
気が付けば、二年生が終わった時点で、友達との成績の差は歴然だった。
友達は、三年生でほとんどの単位を余裕で取得できるほど、二年生にして十分に単位を取得できていた。だから、三年生では精神的にも余裕があった。
しかし、武明はそうは行かない。二年生で取りこぼした単位は卒業に際して、致命的になりかねない。三年生でよほどがんばって単位を取得しないと、四年生になって、就職活動と卒業の二つを考えなければいけないのは、かなりの困難を要していた。
その頃から、孤独を感じるようになっていた。
二年生の頃までは同じように遊んでいたはずなのに、どこで差ができたのか、後悔しても始まらない。
最初は寂しさに押し潰されそうな自分を感じていた。一人でいると、悪さをした子供が、親から蔵の中に閉じ込められて、一晩真っ暗で気持ち悪い蔵の中で過ごさなければいけないイメージを頭に浮かべていた。
「まるで、屋根の上に上るのに掛けられた梯子を、親切からだと感じながらお礼を言いながら上ったにもかかわらず、相手は簡単に騙せたことへ不適な笑みを浮かべながら、掛けた梯子を取り外す姿が目に浮かぶようだ」
と感じていた。
孤独と孤立を勘違いしていたとすれば、この頃だっただろうか。両者とも、同じものだと思っていたのだ。
そのうちに、
「孤独に苛まれた結果、孤立するものだ」
と考えるようになった。それがそもそもの学生時代において、一番の間違いだったのかも知れない。
三年生になって、完全にまわりから置いていかれてしまった武明は、一人寂しさの中で孤独を感じていた。
そんな時に出会ったのが、詩を書くことだった。
武明と同じように、二年生までに単位を取りこぼしてしまった人がいて、彼と友達になった。彼は趣味で詩を書いていると言っていたが、その詩を見て、
「これが素人の詩なんだろうか?」
と、詩など分かるはずもない自分でもそう思ったくらいなので、かなり完成されていたように思える詩だった。
武明が自分から詩を書こうと思ったのは、彼と友達になったからだ。
しかし、大学二年生の頃までの友達と同じような付き合い方をしていれば、きっと詩を書こうなどと思わなかったに違いない。
「僕も詩を書いてみようと思うんだけど」
と言って話しかけると、そこまで仲良くなったわけではない武明に対して、遠慮することもなく、
「俺は自分が書きたいから書いているんだ」
と、あっけらかんと言ってのけた。
最初は、何を言われているのか分からなかった。
「いいんじゃないか」
と言ってくれると思っていただけに、想像していた回答とはまったく違っていたことで、急に目が覚めたような気がした。
もっとも、
「いいんじゃないか」
と言われたとしても、その答えは半分上の空のように他人事で、下手をすると、もっとショックを受けていたかも知れない。
だが、そのショックには諦めの要素を含んだものがあった。
――どうせ、長続きなんかしないんだから、他人事のようにあしらわれた方が諦めもつくというものだ――
と感じたからだ。
しかし、相手に気を遣うような素振りのまったくない回答には、驚かされたというよりも、気が抜けたと言っていいような感覚を与えられた。
他人事のように言われると、相手に対して、ずっと他人事の要素が頭の中に芽生えてしまうが、気が抜けたのであれば、それは一時的なもの。彼に対しては気が抜けてしまったかも知れないが、詩を書くということに対して諦めるというよりも、前にも増してさらに深く詩の世界を知りたいと思うようになっていた。
――もう、あいつに頼ったりなんかしない――
彼の詩がどれほどのものなのか分からないが、自分は自分の世界を切り開くことにした。考えてみれば、他人の真似ばかりして損をしてきた自分なのだから、ここからは少々わがままでも、自分の考えるとおりに進むというのもいいことだと感じた。
そのためには孤独もやむなしだった。
むしろ、下手にまわりに人がいると、気が散ってしまったり、また人の真似をしたがるという悪い癖に陥ってしまったりしないかどうか、不安だった。
学生時代、三年生、四年生になってからは、遊ぶことを控え、勉強と詩に没頭していた。
何とか卒業も就職もできたことは、三年生の期間の努力が実を結んだのだろうが、その頃の精神状態はかなり独特だったのだろう。
「今でも、あの頃の夢を時々見るもんな」
目が覚めて、その夜に何かの夢を見たのだが、目が覚めてしまうと覚えていないことが結構ある。そんな時に、思わず口に出してしまうのだ。