柿の木の秘密
「老人がまだ子供の頃だったらしいんですが、家の近くに空き地があったらしいんですよ。そこには土管があるだけの、他に何もないところだったらしいんです。そして、その奥には西洋屋敷があったらしく、よく友達とその家に冒険に出かけたということなんですよ」
「ワンパク坊主だったんですね」
「そういうことでしょうね。それで、その西洋屋敷は荒れ放題で、たぶん、子爵か公爵が住んでいた家だったんじゃないかっていうんです。戦後没落して買い手もなく、屋敷は荒れ放題。庭には雑草が生えまくっていて、通路も分からないほどだったといいます。その奥には横穴が掘ってあったといいますから、たぶん戦時中の防空壕の跡ではないかと思われるんですよ。その近くに井戸と柿の木があったといいます。友達は井戸に興味があったというんですが、老人は柿の木が気になっていたと言いました。どうしてなのかと聞きますと、『生きているからだ』って答えたんですよ。荒れ果てた家で、住んでいる人もいなければ整備する人もいない。生きているのは雑草だけという状態でも、柿の木は生きているっていうんですよね」
「面白いですよね」
「ええ、そして、もう一つ気になるのは、その柿の木の下に、誰かが眠っているっていうんですよ。それを感じたんだそうです。子供だからなのか、霊感が強いからなのか分かりませんが、老人は自分が決して霊感が強いとは思っていないそうです。その時もそうだったし、今でも霊感が強いとは思っていないということでした」
と、マスターはそう言いながら、一瞬背筋をピンと伸ばして、ゾクッとしているようだった。
「マスターは霊感があるんですか?」
「ええ、私は霊感が強い方ではないかと思っているので、話を聞いているうちに、何だか自分がその場にいるように思えてきて、ゾクゾクしていたのを思い出しました」
「誰かが眠っているって、誰が眠っているんでしょうね?」
「時代が時代なので、戦争で亡くなった人の亡き骸が、そのあたりに放置されていて、見かねた誰かが柿の木の下に埋めたとも考えられますよね。何しろ防空壕があったわけですから。しかも、戦後になって財閥や特権階級は没落の一途を辿っている。どう思えば、どんなに大きな屋敷に住んでいても、明日の保障がないのであれば、没落は目に見えている。屋敷が荒れ放題になってしまったのも分かるというもの。その後、国に買い上げられたんでしょうが、その頃の国も余裕などあるはずがない。国民、国家すべてが混乱していた時代だったんですからね」
マスターも武明も年齢的にそんな時代を知るはずもない。しかし、杉下老人を意識するようになってから、昔の時代のことを考えることが増えたような気がする。特に武明は隣の庭先を見ていると、何もないはずの庭先が時代を通り越して、何かを見せているように錯覚することがあった。
――僕はどうしてしまったのだろう?
と考えてしまい、頭がどんどん時代を遡っていくのを感じていた。
――今年って、戦後何年になったんだろう?
戦争の話題など、誰もしなくなった今の時代だからこそ、考えなければいけないことがある。そんな言葉、どこかで聞いたような気がしたが、どこでだったのか、思い出すことはできなかった。
ただ一つ言えることは、自分たちには戦争のことはまったく分からないということだ。杉下老人であっても、戦争を経験したとは言えないかも知れない。それを思うと、防空壕などと言われてもピンとはこなかった。
ただ、柿の木が植えられていたところというのは、なぜか想像することができた。杉下老人の家の庭に植わっている柿の木を思い出すと、一本だけある柿の木の他には何もない光景をいつしか違和感なく見ることができるようになっていた。最初の頃にしても、何か違和感を感じたという意識もなかったように思えた。ただ、そこにいるのが息子夫婦が出て行った後の、杉下老人だけの時だけであった。
――綾乃の存在はどうだっただろう?
そう思うと、綾乃の姿を見ている時に、縁側だけしか意識が集中しておらず、庭を見たという意識はなかった。だから、綾乃と柿の木を同じ次元で見ることはできない。やはり柿の木のイメージは杉下老人以外にはなかったのだ。
マスターは、柿の木の話のついでと言いながら、少し話が変えていた。
「そういえば、その柿の木の話をしている時というのは、珍しく杉下老人が他の人と一緒に来た時だったんですよ」
マスターの言葉に一瞬驚いたが、すぐに我に返った武明は、それが綾乃ではないことは分かっていた。
「それは誰だったんですか?」
「若いお嬢さんだったんですが、ほとんど何もしゃべらずに、老人の話をじっと聞いていましたね。ショートカットの可愛らしいお嬢さんでしたので、何も話さないことに違和感がありましたが、でも、杉下老人の話をニコニコしながら聞いていたので、違和感はすぐになくなりました」
綾乃はロングヘア―で、可愛いというよりも美人系の女性だった。やはりここに一緒に来た女性というのは、綾乃ではないようだ。
マスターは続けた。
「杉下さんは、柿の木の話をした次の日に、今度は一人でやってきたんですが、その時も柿の木の話をしたんです。前の日にした柿の木の話は中途半端なところで終わってしまい、私も少し消化不良だと思っていたので、杉下さんがまた次の日に来てくれた時、話の続きをしに来てくれたんだって思うと、嬉しかったですね」
「その時はどんな話をしたんですか?」
「杉下少年は、友達と一緒に、柿の木を掘り返してみたそうです。何かが埋まっているという予感めいたものがあったんでしょうね」
「それで何かを見つけたんですか?」
「いえ、期待していたものを見つけたというわけではないようでした。ただ……」
「ただ、何でしょう?」
「何か箱を見つけたらしくって、その中に手紙が入っていたようです。友達と杉下少年は恐る恐る見たらしいんですが、そこにあったのは、女性の綺麗な字で書かれた手紙のようでした」
「それで?」
「ただ、その手紙を見つけるまでには少し時間が掛かったといいます」
「というのは?」
「箱の中にはまた箱があり、その中にはまた小さな箱が……。どんどん小さくなる箱の中にその手紙は認められていたそうです」
「おかしなことをするものですね」
「ええ、その手紙というのは、読んでみると遺書のようだったというんですが、杉下老人は、すぐには理解できなかったと言いますが、今頃になってやっと分かってきたと言います。最初は、誰かに見つけられたくないという思いがあったのではないかと感じたということ、そして、次に感じたのは、どんどん小さくなっていく箱を開けながら、開けている人に、限りなく小さなものを感じてほしかったという思いを、手紙に認めたということ、つまり、それは人の死という認識ですね」
「というのは?」
「人一人は、その人にとっては、すべてなんでしょうけど、この社会にとっては、一つの歯車でしかない。歯車にもなりきれない人さえいる。そんな思いに儚さを感じ、限りなく小さなものに押し込めておこうという思いが働いたのではないかと思っているようなんでえすね」
「奥が深いですね」