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柿の木の秘密

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 武明は、今までに躁鬱状態に陥ったことは何度かあった。一番最初に感じたのは、他の人に比べても結構早い方ではなかっただろうか。その頃はまさかそれが躁鬱状態だなどと想像もつかなかった。後から思い返して、
――あれが躁鬱状態の始まりだったんだ――
 と思えた。
 それがいつのことだったのかというと、小学生の高学年の頃、何をやっても面白くない時期が急に訪れたのだ。
 明らかに今まで見えていたのと同じ光景ではなかった。学校の校庭が小さく感じられ、それが遠くから見ているように感じるのだということは、小学生の自分に分かるはずもなかった。
 担任の先生を意識していた。
 担任の先生は女の先生で、子供心に憧れていた。初恋というわけではなく、子供の頃にはよくある年上の女性への憧れであり、そこに母親を見たのかも知れない。
 武明が、母親を遠ざけるようになったのは、この頃だった。
 先生への憧れが、母親と比較してしまう自分を感じさせ、母親が決して悪いわけではないのに、先生を引き立てるために、母親を劣化した目で見てしまう自分を情けなく感じていたのだろう。
 その思いが、いつしか欝状態を作り出し、憧れている先生の顔をまともに見ることのできない少年になっていた。
 しかも、先生は小悪魔的なところがあり、色気というよりも、かわいらしさが表に出ているので、大人の先生からも人気があった。そんな男の先生を見ていると、恋敵というよりも、母親を取られるような感覚に陥ってしまったことで、先生からからかわれているような錯覚すら感じていた。
 それも、からかいながら、先生は自分に気があるという風に思い込んでいて、その思い込みがまたしても、欝状態に拍車をかける。
「ああ、何をやっても、面白くない」
 思わず独り言のように口に出してしまう。そんな様子を担任の女の先生は、妖艶に笑って見ているのだった。
 一番最初、先生に対しての感情を分かっていなかった時、自分が今まで見えていた光景と違うものが見えたという話を先生にしてしまった。
「須藤君は、なかなか面白い感性をしているわね」
 そういって先生は歯を見せて笑った。
 教室では、そんな笑い方をしたことのない先生が、自分にだけ見せてくれた笑顔、そこにどんな感情があるのか、小学生が分かるはずもないのに、緊張感が高まっていた。
「先生、僕……」
 と、甘えたような声を出していたのかも知れない。
 すると、先生は今までの先生ではなくなっていた。その顔には笑顔が満面で、それは、皆に振りまいていた教室で見せる顔ではなかった。自分だけのためにするその顔は、
「このことは内緒よ」
 と言う言葉を耳元で囁いた時、すでに金縛りに遭ったかのように、動けなくなっていたのだ。
「何が内緒なの?」
 と言う前に、先生の唇が、武明の唇を塞いだ。
「君、かわいいわ」
 指で、先生は、武明の頬を撫でている。武明には、すでにどうすることもできなかった。
 いや、どうすることもできなくてもそれでいい。せっかく先生が自分をかわいがってくれようとしているそのシチュエーションに逆らう気持ちなどあるはずもなかった。
「あぁ、先生」
 声が漏れてからというもの、喉の奥がカラカラに乾いていて、言葉が出てくる状況ではなくなっていた。
 それからどれくらいの時間が経ったのだろう?
 先生は武明に何度も口付けし、背中をなぞってくれていた。さすがに、自分の生徒に手を出すほどの勇気はなかったのか、一線を越えることはなかった。
 今から思えば先生も、気持ちの高ぶりを必死に抑えていたのだろう。乾いた空気の中、二人の吐息が十分に湿気を帯びた空気を作り出し、妖艶な雰囲気はそれ以上でもそれ以下でもない凍りついた時間を作り出しているようだった。
 先生は、次の日からも今までと変わらない様子で、武明を見ても、普通の先生と生徒でしかなかった。
 だが、武明にはそんな状態のままいられるわけがない。
 先生への思いを満たすことができずに、かといって、諦めるだけの力があるわけもない。小学生の自分で思いを遂げようとした先生の罪は、武明が一人で背負うことになってしまった。
 それなのに、武明は先生を諦めることができなかった。その思いが躁状態を作り出し、何をやっても楽しく思えるのだが、先生だけはまともに見ることができない。そんな中途半端な感情のまま、いつしか欝状態がやってくる。そして、前兆を経て、また欝状態に入り込むのだ。
――ああ、また欝状態だ――
 前兆はいきなりやってくる。躁状態になる時にはトンネルの出口が見える感覚だったが、欝状態になる場合は、信号機の色が違って見えてくる。
 今までは、緑色に見えていた青信号、そして、普通に赤に見えていた赤信号が、真っ青な青に、ワインレッドのような赤に変わって見えてくるのだった。夕方の喧騒とした雰囲気が、夜になると、はっきりとした光を帯びて感じるようになってくると、そこは欝状態の入り口だったのだ。
 そんな時、担任の先生と、同僚の先生が腕を組んで夜の街に消えていくのを見た。ネオンサインをバックに二人はキスをしている。それは、自分にしてくれたキスとは違って、完全に相手に身を任せているキスだった。
――いやらしい――
 悔しさと妬みが渦巻く中、いやらしさが沸々と湧き上がってくるのを感じた。
「あれが大人の恋愛なのか?」
 そう思うと、男と女の両方ともが汚く感じられた。
 自分も男の一人なのに、自分だけは違うと思い、男も女も嫌いになった。
 それがどんな感情なのか分かっていなかった。
「これが人間不信というものか」
 と最初に感じたのは、いつが最初だったのだろう?
 躁鬱状態というのは、その頃には分かるようになっていたが、嫉妬や恋愛感情というものはハッキリとは分からない。
 中学生の間に、自分は成長期にあることを自覚していたが、そんな成長期の自分も、まわりの人も、皆汚らしいものに思えてならなかった。
 そんな時に思い出したのが、ネオンサインをバックに見えていた先生同士のキス。成長期の自分たちから比べれば、十分に綺麗なものだったのを思い出していた。
 それから躁鬱症と人間不信が同じ次元に存在しているように思うようになり、
「躁鬱症の原因は人間不信から来るんだ」
 と思うようになっていた。
 確かに人間不信から躁鬱症になったのは確かだと思うが、人間不信がなくなれば躁鬱症も解消されたり、逆に躁鬱症が治れば、人間不信もなくなるというわけではない。あくまでもきっかけというだけで、対策に使えるだけの原因とは言い切れないところがある。
 しかも、人によっても原因が同じだとは限らない。その人それぞれによって解決、解消法が違っているのだ。それを思うと、今は時間が解決してくれるのを待つしかないということなのだろう。
 中学時代が今から思えば一番躁鬱症がひどかったような気がする。人間不信も一番強く、ただ、その頃には寂しいという感覚はなかった。
 つまりは、孤独という感覚がなかったということになる。
 もちろん、孤独という言葉は知っていた。寂しいという感情から生まれるもので、孤独を感じたくないという思いは、ずっと持っていた。
作品名:柿の木の秘密 作家名:森本晃次