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柿の木の秘密

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――高所恐怖症――
 と言われるように、元来高いところを怖いものだという意識が本能として身についているからに違いない。
 そういえば子供の頃に冗談で、
「高所恐怖症の鳥なんているんだろうか?」
 と、友達と口論したことがあった。
 友達は、
「いるんじゃないか? 鳥だって空を飛びながら怖いと思っているやつもいるかも知れないぞ」
 と言っていたが、
「それじゃあ、鳥としての機能を果たせないじゃないか。鳥としては失格だよ。神様がそんなものを創るはずはない」
 と、武明は言い返した。
 本当は半分くらい、友達の意見もありではないかと思っていたが、先に意見を言われてしまったことで、反対意見に回るしかなかった。意見が同じなら、話がそこで終わってしまうからだ。武明はまわりを敵に回してでも、話を続けたかった。
 なぜそんなにこだわったのか、その時はもちろん分かるはずもないが、ひょっとすると、今のような話を将来においてしないとも限らないという予感めいたものがあったからなのかも知れない。
 それに、老人がこちらが見ていたことをいつから知っていたのかということも気になる。自分の屈辱的とも思える過去をまったくの他人に話してもいいと思うくらいなので、かなり意識していることは確かだろう。
 最近気が付いたので、その分まだ驚きが残っているのだとすれば、少しは分かる気もするが、この店に入ってきてから武明に気づいた時、もっとビックリしてもいいのではないだろうか。
 ただ、老人に見られたという意識は一度もなかったのが気になるところだ。偶然、目が合ったということだろうか? いや、少なくとも武明には目が合ったという意識はない。もし目が合っていたのだとすると、反射的に隠れようとするはずだ。そんな意識も記憶の中にはない。やはり、武明の意識しないところで、老人の方が意識していたというだけのことなのだろうか?
 杉下老人が風俗に通っていたというのは意外だった。
 だが、それは今の老人から見ているからそう思うのだろうが、奥さんが亡くなってから、ずっと時系列で老人のことを見ていれば分かることなのかも知れない。
――杉下老人がまさかEDだったなんて――
 奥さんを亡くしたショックがそれほど大きかったのだろうか?
 ただ、奥さんを亡くしたショックが大きかったのだとすれば、風俗に通うというのは合点がいかない。老人が風俗に対して自分が立ち直るために必要なものだと意識していたということなのか。
 武明は、大学生の頃に初めて先輩から連れて行ってもらったのが最初だったが、その時は「筆おろし」をしてもらった。恥ずかしいという思いはあったが、決して屈辱感はなかった。むしろ、彼女たちの存在が必要不可欠なものであることを実感したのであって、軽蔑の目を向けたことはなかった。
 だが、これが他人だと思うと、まったく違った目線を向けることになった。自分にだけは必要であるように思わせるのは、何とか自分だけに正当性を認めたいと思う感情であって、
――すべてを言い訳というオブラートに包んで、自己を守るという観念がベールとなって、そのまわりを包んでいるかのようだ――
 と、感じさせたのだ。
――何かが入れ替わっているかのようだな――
 今まで風俗に対して偏見を持っていたのは事実だった。しかし、この話を聞いてから武明は、風俗に通ってみた。自分が引きこもりであるという自覚がある中で、別に世の中を呪っているという思いもなく、なぜ自分が引きこもりになったのか、その理由も今の自分の中では曖昧だった。
 世の中に失望したり恨みを持っている人が引きこもりから立ち直るのは、這い上がるだけの気力を持てばできることなのかも知れない。恨みを持つだけの気力を逆に向ければ、抜けることができるのではないかと思うのは、武明の勝手な思い込みに過ぎないのだろうか。
 武明は、自覚はあっても、曖昧な意識しかない。気力があるのかと言われると、今の自分はなるようにしかならない。流されているだけだと思っているので、気力という意味ではないのだろうと思っている。実際に流されるだけの毎日もまんざらではなく、誰からも文句が出ることのない人生は、ものぐさと言われればそれまでなのだろうが、悪くないと思っている。
 引きこもっている間、テレビを見たりゲームをしたり、一人でできるおとも結構あった。別に人と関わらなくても生きていける。もし、お金がなくなれば、適当にアルバイトをして食いつなげばいい。別に贅沢をしたいと思っているわけではないので、自分の居場所になるスペースさえあれば、それで満足だった。最低限の生活をするだけの能力は、まだまだ残っていると思っていた。
 それだけに、引きこもっていることに不安はない。
「将来はないぞ」
 と言われたとしても、
「どんな未来を、あなたは将来と呼ぶんですか?」
 と言ってやりたいものだ。
 きっと相手は何も答えられないだろう。それでも何かを言おうとしているとすれば、武明にはその時の会話を垣間見ることができるような気がしていた。
「どんな将来って、誰にだってやりたいことがあるだろう? 達成させるための目的を立てて、そこに向かって邁進するということなんじゃないか?」
 言葉は違っても似たような言い方になるに違いない。
 そんな話を聞くと、思わず吹き出してしまうかも知れない。ありきたりなセリフは歯が浮いてくるようで、聞いていて情けなく感じる。相手に情けなさを感じると、思わず吹き出してしまいたくなるものなのだろう。
「なんか、当たり前のことを言われても、別に何も感じないんですが。私だって、そんなことは分かっているつもりですよ。それを真剣に語られると、思わず吹き出してしまうというものです」
「分かっているなら、どうして、その思いを追求しようと思わないんですか?」
「追及? それはその思いに賛同できて初めて感じることでしょう? 私は賛同できません。いや、賛同という次元ではないんですよ。何しろ最初から他人事のようにしか思えませんからね」
 としか答えられない。
 普通であれば、説得する方も相手の口から、
――他人事――
 などと言われると、そこで引いてしまうだろうが、中には熱血を感じている人は、さらに言葉を重ねようとするだろう。
「もっと自分の人生を大切にしないと」
 という話になってくるだろう。
「自分の人生って何なんですか?」
 この質問をすると、返ってくる答えは分かっているような気がしている。その答えが自分にとってのボーダーになることが分かっているので、さっさとその言葉を引き出したい気がしていた。
 最初は、何と答えていいか考えるかも知れないが、最後には、この言葉に限りなく近い答えを返してくることだろう。
「親からもらった人生だよ」
――そら来た――
 この言葉を待っていた。
作品名:柿の木の秘密 作家名:森本晃次