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柿の木の秘密

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 武明は一度だけ、その井戸を見たことがあった。井戸には落ちないように鉄の網のようなものが張り巡らされていて危険はなかったので、その井戸を覗きこんだ。下から冷たい風が舞い上がってきて、震えを伴いゾッとした気分では、そこからすぐに立ち去ることはできなくなっていた。
 その日はそれからどうなったのか次の日には覚えていなかった。
「夢だったんだろうか?」
 と思うと、もう一度その場所に行ってみなければ気がすまなかった。
 武明はその場所に行ってみたが、あるはずの井戸が消えていた。
「やっぱり夢だったんだ」
 と言って一言で片付けられない気持ちになっていた。
 神社の人に聞いてみればいいのだろうが、急に怖くなって、聞くことはできなかった。最初に聞くことができないと、どんどん恐ろしさは増幅されていって、もう、考えることすら恐ろしくなっていた。
「早く忘れてしまわないと」
 と思いながら、別の夢を見ることを望んでいた。別の夢を見ることで、うわっかぶせで打ち消されるように感じたからだ。
 風香に井戸の話をされてドキッとしたのは、この記憶があったからなのだが、いきなり井戸という言葉が風香の口から出てきたことで、一気に記憶の手前にあったであろう井戸への思いが、奥深くまで追いやられてしまった。
 なぜその時、風香は井戸の話をしたのか、武明には想像もできなかったが、風香が武明の中に、井戸に関する意識を感じたのだとすれば、理屈は通る気がした。
――井戸のことは思い出してはいけない――
 とっさにそう感じた。
 井戸の中に、何か光るものを見たような気がしたからだ。真っ暗で何も見えないはずの井戸の奥、最初はその光るものが、
――水が溜まっていて、そこに光が当たって、波打っているのが見えていたに違いない――
 と感じていた。
 しかし、そんな反射による光ではなく、自ら光ったものだと子供心に感じた。確信があったわけではないが、怖がっている証拠が反射によるものではないと思うことで、自分を納得させていたのだろう。
 そこまで考えてくると、いろいろ思い出してきた。
 井戸の底から吹いてくる風は冷たいと思っていたのに、生暖かさを感じた。その音は、
「ゴォー」
 という音ではなく、
「モォー」
 という音だった。音というよりも、声のように聞こえたことがさらに恐怖を煽ったのだった。
――急いでこの場から立ち去らないといけない――
 と思いながらも、一度覗き込んでしまった井戸から身体を起こすことができなくなっていた。
――このままでは吸い込まれてしまう――
 井戸には鉄の網が敷かれているので、落ちることはないはずなのに、その時は落ち込んでしまうことを真剣に恐れていた。落ちるというよりも吸い込まれてしまうことが恐ろしかったのだ。
 吸い込まれてしまっては、二度と這い上がることはできない。自分も井戸の底から、叫ぶことになるのだろうか?
 テレビでやっていた妖怪モノの映画番組で、井戸を覗き込んでしまったために、井戸の中にいる「井戸の精」と入れ替わることになる話を見たのを思い出した。
「俺は、三百年もここで、誰か俺の身代わりになってくれるやつを待ち続けていたんだ。君が覗き込んでくれたおかげで、俺はここから出て行くことができる」
 と言って、覗き込んだ人間を井戸に引っ張りこんで、「井戸の精」は、表に出てきた。
「俺も、三百年前に君と同じように好奇心からここを覗いてしまったんだ。そのため、この井戸の精にさせられて、元々の井戸の精は喜んで表に出て行った。そいつはここに二百年いたと言っていたっけ。俺はそれ以上かかってしまったけどな。それだけに喜びはひとしおなのさ」
 と言って、鬼気迫る表情で、喜びをあらわにしていた。それだけに、まるでこの世のものとは思えないその表情に何も言えず、自分の運命を呪うしかなかったのだ。
 元々の井戸の精は、そう言って立ち去っていった。
 一人残された、「新しい」井戸の精は、諦めが付かないまま、次第に冷静さを取り戻してきた。
 そして、いろいろ疑問に思うことが生まれてきたのだ。
 一番大きな疑問は、
――どうしてあの男は、自分が三百年もいたことを分かったのだろう?
 ここには時計もなければ、何もない。太陽が差し込んでくるわけでもないので、一日の感覚などあったものではない。それなのに、どうして時間や日にちの感覚が分かるのか、まずそれが一番の疑問だった。
 考えてみれば、まだまだ疑問はたくさんある。
――あの男だって人間なんだから、どうやって生き延びたのだろう?
 という疑問。
 そもそも当然、人間なんだから、三百年も生きているなど、ありえる話ではない。食事だって摂らなければすぐに死んでしまう。飲食がどうなっているのか、まずそれが死活問題だった。男は暗闇の中で、いろいろなことを考えていた。
 どれくらいの時間が経ったのか、たったこれだけの時間なのに、すでに分からなくなっていた。もう一つ気になったのは、いくら真っ暗な井戸の中とはいえ、目がなかなか慣れてこないことだった。
 人間は、いくら暗闇でも、時間が経ってくれば、目が慣れてくるものである。
 そんなことは分かっているので、
「そのうちに目が慣れてくるはずだ」
 と思っていたことが、この状況の中での一つと言っていい安心感を与えるものであった。それなのに、一向に目が慣れてくるふしはない。まるで自分に安心感を絶対に与えないという見えない力が働いているかのようだった。
 目が見えないと、その場から動くことはできない。
 さっきまでいろいろな疑問や不安に感じることも考えていたが、目が慣れてこないことで、それどころではなくなっていた。
――一体、どうすればいいんだ――
 恐怖が次第に死に直結する気分になってきた。逃げ出したいという思いはすでにどこかに行ってしまっていて、まずは自分の置かれている状況を知ることができればと、それだけしか考えられなくなっていた。
 そこまで追い詰められてくると、やっと目が慣れてきた。
 目の前に白いものが転がっているように見えた。どうやら井戸の底には水が溜まっているわけではないようだ。
 目が慣れてくるのを感じると、さっきまでまったく見えなかったのがウソのように、井戸の底の様子が手に取るように分かってくる。さっき見えていた白いものは、白骨で、頭蓋骨など、ひび割れしていて、明らかなこの世の地獄絵図だった。
 白骨死体は山のようにあって、一体どれだけの人、あるいは動物のものなのか、分からなかった。
――白骨の山――
 まさにそんな言葉がピッタリで、よく見ると芸術作品のような不気味ではあるが、綺麗に見えていた。
「ひょっとして、さっきの井戸の精が毎日食べつくしたのが、この白骨なんだろうか?」
 そう思うと、白骨の数を数えることで、それだけの年が経ったのか分かるのだろう。
 しかし、一年や二年なら何とか分かるかも知れないが、三百年などという期間を月日に置き換えるなど、実に気が遠くなるというものだ。どこか現実離れした感覚に、男は次第に何も考えられなくなっていった。
 さて、井戸から出て行った最初の井戸の精はどうなったのであろうか?
作品名:柿の木の秘密 作家名:森本晃次