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柿の木の秘密

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 すると、男は綾乃の視線に気づき、綾乃と同じ視線を柿の木に注いだ。
 男は満足そうに微笑んだが、綾乃はさっきまで以上に、嫌な顔になっていた。まるで苦虫を噛み潰しているかのような表情に、武明はゾッとしたものを感じた。
「また来るよ」
 男はそう言った。
 さっきまで、二人の会話はまったく聞こえなかったはずなのに、最後の男の言葉だけハッキリと聞こえた。
 しかも、それは男が声を張り上げたわけではない。むしろ呟いたような感じだった。
――最後だけ聞こえたというのはどういうことなんだろう?
 考えられることは二つだった。
 一つは、
「途中、縁側の世界は幕が張られたように、まわりに声や音を遮断していて、最後だけベールを外したような感じ」
 だと思うことと、
「武明の方が、二人の会話を聞きたくないという思いがどこかにあり、わざと聞こえなかったのか、夢のように我に返っていく間に、忘れてしまったか」
 のどちらかではないかと感じていた。
 普通であれば、前者の方が圧倒的に信憑性を感じるのだが、この時だけは、どちらともいえないような気持ちになっていた。
 武明は、隣の庭に思い入れがあり、老人に対して飽きたと思いながらも忘れられない思いが残っていることを感じていた。
 飽きが来たように感じたのも、本当は老人を見ている時は、まるで夢を見ている時と同じように、
――忘れなければいけないと思っているのだろうか――
 と感じていた。
 しかし、忘れようとしなくても、自然と忘れてしまうことが、夢であるならば、自分は隣の老人を夢として忘れたくないという思いがあるのだ。
――老人は本当に、見つめられていることを何も知らなかったのだろうか?
 という思いは、覗いている間、いつも持っていた。
 いくら鈍感な人であっても、毎日のように見られていれば気づきそうなものである。そう思うと老人は、わざと分かっていないふりを続けることで、武明の関心を次第に強くしていこうという作為があったように感じられた。
 息子夫婦に対して、かなり露骨に嫌な態度を示していて、奥さんの方は、息子と違って自分の意見をしっかり持っているような人だった。老人を置いて家族で出て行こうとしたのは、ハッキリとした性格である奥さんが決めたことではないだろうか。
 ハッキリとした性格であるがゆえに、今まで家に住まわせてくれた老人に対しての敬意を表することなく出て行くことは自分に対して許せない気持ちがあったのだろう。躁考えれば一人残された老人にヘルパーがつくというのも分かる気がする。
「立つ鳥後を濁さず」
 ということわざがあるが、まさにその通りだろう。
 ただ、一人取り残された老人はどうだったのだろう?
「一人でせいせいしているのに、ヘルパーをつけるなど、息子夫婦も余計なことをしてくれた」
 と思っているかも知れない。
 ただ、そんな感情はお首にも出さずに、老人はいつもの通り、縁側に佇んでいた。
「これでお義父さんは安心」
 と思い、息子夫婦は出ていったのだろう。
――そういえば、杉下老人と綾乃さんが一緒にいるところって、最初の一回しか見たことがなかったな――
 いまさらのように武明は思い出していた。
 思い出してみれば、杉下老人がいつも縁側の中心だったが、息子夫婦がいる間でも、老人は目立つことをしたわけではなかった。露骨な態度をしていたと言っても、奥さんも態度がハッキリしていたので、お互い様と言ってもいいだろう。それを傍目から見ていて、まるで他人事のように旦那は感じていたに違いない。
「俺は、二人に挟まれて、被害者なんだ」
 と、他人事のような意識を持っていたことだろう。
 奥さんとすれば、こんな旦那の方が操縦しやすい。出て行くタイミングを見計らい、綾乃を雇うことで、旦那を納得させたに違いない。
 綾乃は老人と一緒にいる時、庭の柿の木を意識したのだろうか。老人の姿を見なくなってから、元々老人がいた位置に座り込んで、まるで柿の木の番人を引き継いだような雰囲気だった。
 武明は、自分が熱しやすく冷めやすい性格だということを、いまさらながらに思い出したのは、綾乃に飽きが来たからだった。綾乃は相変わらず柿の木を見つめているが、老人が見ていた時と雰囲気が違っている。最初はどこが違っているのか分からなかったが、すぐに分かった。
「そうだ。老人は柿の木を見る時、心ここにあらずという雰囲気だったのに、綾乃の場合は、明らかに柿の木を穴が開くほどに見つめている。見つめていれば、土の中に何があるかが透視して見えるかのような熱い視線だ」
 そんなことを思っていると、自分が綾乃に飽きが来た理由が分かってきた気がした。
 一つのことに集中している人を見ているのは、最初はいろいろな発想を思い浮かべることができるのだが、次第に限界があることに気づいてしまう。自分が興味を持ったのは綾乃という女性なのか、それとも柿の木を見つめている綾乃なのか、次第に分からなくなってくる。
 老人がいた時のイメージから、綾乃がいない時にその場所にシンクロさせてみると、綾乃をかぶせて見ることができなかった。明らかに綾乃と老人は別の意味で、何があるか分からないその場所に興味を持ったのだ。
――やはり、同じ場所であっても、二人が同じ次元に存在していたという感覚を持つことはできない――
 老人が消えてしまったのは、
――別の次元に行ってしまったのではないか?
 などという、バカげたSFチックな発想を抱いてみたりした。
 すぐに、
――そんなバカな――
 と打ち消すことで、今度は老人が、予期せぬところに現れるような気がしてきたから不思議だった。
 そんなことを考えながら、武明はいつもの喫茶店に朝食を食べに出かけた。
 相変わらず表に出るパターンは決まっていて、毎日の日課としては、馴染みの喫茶店でのモーニングは欠かせなくなっていたのだ。
「いらっしゃい」
 マスターともすっかり顔馴染みになっていて、会話のほとんどはマスターとだった。アルバイトの女の子とも時々話をするが、すぐに話題が切れてしまって、気まずい雰囲気になる。それでも懲りずに彼女は話しかけてくれる。会話をするといっても、いつも話しかけてくれるのは、彼女の方からであった。
 名前をふうかちゃんと言う。どんな字を書くのか分からなかったが、話しかけてくれる時、甘えられているようで、くすぐったい気分になっていた。そのうちに、
「風に香るって書くのよ」
 と、自分が聞いたわけでもなかったのに、風香ちゃんの方から教えてくれた。まるでこちらの考えていることが分かるかのようだった。
 武明は、どちらかというと、まわりの人に考えていることを看破されやすいらしい。大学の時の先輩からそう言われて、
「大学時代はそれでもいいけど、就職してから百戦錬磨の先輩たちを相手に相手に看破されやすいと、やりにくくなったりすることもあるので、気をつけないとな」
 と言われた。
「それならそれでもいいですよ」
 半分、やけ気味に返事をしたが、今となっては、その言葉が予言となってしまったのだった。
作品名:柿の木の秘密 作家名:森本晃次