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短編集5

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「いえ、僕も最近ここへは来てなかったんですけど、久しぶりに寄ってみました。以前は同僚と来ていたんですが、たぶん今なら誘っても誰も一緒にビアガーデンにはついてこないでしょうね」
 そう言って苦笑した私を見た彼女の表情が少し和らいだ気がした。
「私も以前は同僚の人と一緒に来ていたんですよ。女性だけのグループだったんですけどね」
「そうなんですか」
 女性ばかりのグループというと、どうしても賑やかな雰囲気を思い浮かべる。自分たちですらここに来た時は会社では見せないような賑やかさで、たまに従業員から注意を受けていたことを思い出した。思わず思い出し笑いが漏れてくる。
「さぞかし賑やかだったんでしょうね?」
「ええ、そうですわね」
 と言った時の彼女の表情に一瞬のかげりがあったのを見逃さなかった。
 彼女は賑やかなのが苦手なのだろう。なるべく私も言葉を選んで話すように心掛けているため、さすがに普段にはない疲れを感じる。
「私は一対一だとそれほどでもないんですけど、たくさんの人の中だとどうも会話に入って行けないところがあるの」
 初対面でしかも男性の私に対してこれだけ話せるのだから、彼女の言うことは本当であろう。
「実は僕もそうなんですよ」
 少し意外そうに彼女が私を見ている。
 確かに同僚たちと群がってビアガーデンに来ていた頃はそれなりに話を合わせることもあっただろう。しかし根本的に自分からネタを振るタイプではなく、目立ちたがりでもない私は、ビアガーデンに来ていても特定の人を見つけ、その人との会話を楽しんでいた。その人というのが毎回同じ人だとは限らない。時には男性だったり、ある時は女性だったりと、一対一であれば相手が女性であってもそれほど苦にならない。
 今までは集団の中での一対一であって、今回のようにまわりに誰もいない中で女性と一対一で、しかも自分から話しかけるなど、考えられないことだった。
 決して自分の中でナンパだという思いはない。どちらかというと恥ずかしがり屋で、言葉を選んで話すことが苦手な私にそんな勇気があったなど自分でも不思議だった。
 最初見た時から、一見して言葉を選んで話さないといけないタイプの女性であることは分かっていた。いくら最初に彼女が呟いたからといって、それを返さなければならないようなシチュエーションでもなかったはずだ。
 しかしその時の心境は今さら思い出せないが、とにかく自然だったのである。
 話しかけたことへの後悔はない。
「どこを見られていたんですか?」
「山ですわ。今は真っ暗ですけどね、でも私はここから山を見るのが好きなんです」
「あの山には学生時代に何回か登りましたね」
「私も登ったことがありますわ。私は卒業してからですけどね」
「山登りがすきなんですか?」
「ええ、昔付き合っていた人が好きだったんです。夏の間しょっちゅう言ってましたわ。早く秋にならないかってね」
 そういえば私も夏は苦手な方である。汗がベタベタ身体に纏わりつき、拭っても拭っても吹き出してくる汗がいい加減嫌になる。そして何より血圧が平均より低い私にとって、立ちくらみは大敵であった。
 夕方になるとホッとする。どこからともなく吹いてくる風が心地よく感じる時があり、そんな時こそビアガーデンでなければならないのだ。
「付き合っていたその人と一緒にビアガーデンに来たりしたんですか?」
「ええ、ここからよく一緒に山を見ていましたわ」
 敢えて私はそれ以上聞こうとしなかった。もちろんそれ以上は失礼にあたるということもあるが、私自身で聞きたくはなかった。
 理由が何であれ、私の目の前で以前付き合っていた男性の話をする彼女がいとおしくなった。そこにあるのは恋愛感情なのかどうか定かではなかったが、まわりが真っ暗になっていく中、ビアガーデンの明かりに映し出される彼女が妖艶に見えてくるから不思議だった。
 少し黄色掛かった照明であるにもかかわらず、肌が透き通るような白さに見えるのは気のせいだろうか。いや、白さというよりもまるで向こうが透けて見えるのではないかと思えるような透明感すら感じる。
 すでに酔いが回ったかな?
 思わず両手の人差し指で目を擦るようにして、さらに凝視してみたが、透明さが変わることはなかった。まるでこのまま目の前から消えてしまうのではないかと思えるほどの透明感は、このままずっと私の瞼の奥に焼きついてしまうのではないかとさえ思えた。
 いつもであればもう少し私の方から何か話しかけることもあっただろう。しかし如何せん失恋による鬱状態を感じている中、話題を出そうにも気力がない。その気はあっても気持ちと感情は決して一致するものではないということは鬱状態に陥った時にいつも再確認させられる。
 元々私は女性と話すのは苦手な方ではない。どちらかというと話題を合わせることも苦にならず、話題性もないわけではない。たまに外して会話が滞ることもあるが、それは相手が悪かったと思って開き直りくらいのことは日常茶飯事だ。
 もちろん、鬱以外の時のことであるが。
 彼女といれば、ひょっとして鬱状態から逃れられるかも知れない。
 鬱に入る時に予感めいたものがあるのと同様、抜け出すきっかけにも予感めいたものがある。そのほとんどが直感であるが、人との出会いの時もある。
 しかし本来ならまだ人と話ができるほど、鬱状態から抜け出しているわけではない。もし彼女が言葉を発しなければ、そばに座っていても一言も話せずに自分から席を移動していたかも知れない。
 屈辱的なことである。
 自分から近づいておいて、目的を果たさず離れることに、しかもそれを相手に悟られるであろうということが分かっていることに感じる屈辱感である。
「お名前は何と言われるんですか?」
「泰子って呼んでください。あなたは?」
「晴彦です。晴れるに彦根の彦ですね」
 そう言って苦笑いした私に初めて泰子は笑顔を見せた。まだ少しぎこちなさを残していたが、それでも初めて見せた笑顔は私にとってとても新鮮だ。
「近くにお住まいなんですか?」
「ええ、会社がここから近いんです。泰子さんは?」
「私はこの近くなんですけど。今日はここに宿を取っています」
「もちろん、お一人ですよね?」
「ええ、でも部屋はツインを取っています。贅沢でしょう?」
「いえ、そんなことはないでしょう」
 枕が変わるとなかなか寝付けないという人がいるが、狭い部屋でも寝付けないという話を聞いたことがある。泰子の場合がそうだとしても不思議のないことだ。
 話をしていると夢中になってしまい、それほど経っていないと思って時計を見ると、すでに午後九時をとうに回っていた。
「時間が気になるのですか?」
 私がちらっと時計を見ると、すかさず泰子が声を掛けてきた。
「いえ、そういうわけではないのですが、思ったより時間が経つのが早いと感じたんですよ」
「そうですわね」
 会話が飛び交ったわけでもない。堰を切ったというほどの会話でもなかったが、会話と会話の間にそれほどの間があったという感じも受けない。にもかかわらず経ってしまった時間はどこへ行ってしまったのだろう? そう考えると、さらなる酔いが私に襲い掛かってくるような気がした。
作品名:短編集5 作家名:森本晃次