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短編集5

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 鬱状態であれ、失恋であれ、どちらかであれば、まさしく言葉どおりである。しかし一緒に襲ってくるなど考えてもいなかったこともあってか、まるで先の見えない暗闇だけが続くトンネルに迷い込んだようで、進もうにも退こうにもどうにもこうにも行かないのである。
 こんな時、皆どうしているのだろう?
 何とか解決策を模索するかのように自分からアクションを起こすものなのか、それとも怖くて波が通りすぎるのを待つものなのだろうか、まず他人のことを考えてしまう。先が見えないトンネルであがくほど恐ろしいものはないが、じっとしているのもストレスを溜めるばかりである。
 鬱状態に陥ると、人と話すことはおろか、顔を見るのも億劫になってしまうものだ。下手に動けば、どうしても人とのかかわりに出くわすのは必至というものだ。
 しかし私はあえて動くことにした。
 一つは以前の自分を取り戻したいという気持ちの表れである。
 失恋した彼女と出会う前の行動パターンを繰り返してみるというのも以前の自分を取り戻す鍵になるだろうと考えた。
 もう一つは数年のブランクを肌で感じることにより、ブランクのあった時間を少しでも埋めたいと思うことだろう。
 こちらはあまり前向きではないが、自分の精神状態を少しでもリラックスした状態に置いておきたいからだ。
 どちらにしても失恋が後ろ向きのことだと思いたくないための行動である。
 これがエレガンスホテルに足が向いた理由になるだろうか。
 外観は五年前とほとんど変わっていない。
 会社から反対方向にあるので、あまり近寄ることもなかったが、相変わらず白い壁に西日が当たっている。しいて言えば少し雨による沁みが目立つようになったことか。
 エレベーターも変わっていない。この五年間に整備が行われたか定かではないが、行われたと言われれば信じるだろうという程度である。
 相変わらずのゆっくりとしたスピード、数人しか乗れないエレベーターからビアガーデンの広さも想像できる。決して広くないスペース、それでもいつも客はポツポツだった。
「貸切だぜ」
 そう言って叫びまくっていた同僚がいたっけ。確かにいつもそうだった。BGMも客の数に合わせて静かだったことを思い出す。
「誰もいないのかな?」
 屋上についてあたりを見渡したが、客のいる気配は感じなかった。今までいくら人が少ないからといって全然いないということも珍しい。思わず後ずさりするところだったが、せっかくだから一杯だけでも呑んでいくことにした。
 ここは夜景が綺麗だった。眼下にはメイン道路の面した街灯がずっと続いていて、ビジネス街のネオンサインもきらびやかである。そこからさらに続く道は明るい時には目の前に広がっている山に続いているが、麓から傾斜が掛かったところは住宅地となっていて、それが立体的に綺麗に見える時があるのだ。
 今までに一人で来たことも何度かあった。ほとんどが連れ立ってであったが、一人で来る時はたいてい夜景を楽しみに来る時である。西日が当たる時に見える埃からは想像できないような煌びやかな光景は吹いてくる風を心地よく感じさせるに最高である。
 あんなところに住めたらなあ。
 そう言ってよく同僚と話していた。いつも愚痴や嘆きばかりの同僚の呟きも、ここで聞くとそれほど苦痛ではない。逆に自分の欲求を口にしてくれているのだと思い却って厭味なく聞こえる。
 いちいち頷いている私に同僚はどう感じていただろう? 仲間意識を持っていたことは確かなようで、そのカッと見開いた目は完全に私の同意を求めていた。
 目を逸らそうにもそうもいかず、苦笑いを浮かべるだけだった。
 ビールとつまみセットの食券を買いホールに出ると、さっきまで誰もいなかったと思っていたのが嘘であることがすぐに分かった。
 錯覚だったのだろうか?
 そう思うのも当然で、いつも一人で来た時に座る私にとってのベストポジションに誰かが座っているのだ。見逃すなど完全に自分の不覚である。
 意外にもそこに座っているのは女性で、ピンクのカッターシャツにジーンズとアクティブなファッションに最初は男性かと思った。ショートカットでストレートな髪がライトアップされて綺麗に見えるその後ろ姿は、どう見ても女性だった。
 それ以外の場所に座ることも考えたが、私は敢えて彼女の座ったテーブルへと向かう。正面から見てみたいという思いが強くなり、自然と顔が綻んでくるのを自覚できるほどである。
「よろしいですか?」
 トレイを置きながら話しかけると、一瞬驚きを見せたような感じを受けたためか、無言で頷くだけだった。
 ちょっと上目遣いなその表情にドキッとしなくもなかったが、ほとんど表情を変えることなく飲んでいる彼女に対し顔が綻んでいる私は少しバカみたいに思えた。
「私もこの場所が好きで、いつもひとりで来た時はここに座るんですよ」
 会話に困っていい訳じみたことを話したが、よく考えると皮肉に取れないこともなく、彼女の顔を覗き込んだ。
 あくまでも無表情な彼女は私の目を見ようとしない。無視を決め込んでいるのか、自分の世界に浸っているのか分からないが、私としてもここまで来ればヘンな意地もあり、後に引けなくなってしまった。
 彼女の視線の延長上には何があるのだろう?
 私も必死で彼女の視線を追ってみるのだが、どうもはっきりしない。夜景の綺麗な方稿でないことは確かで、今は暗くてはっきりしないが、空と山の境目にあるどこまでも広がっている漆黒の闇を見つめているような気がして仕方がない。反対方向から首を捻って見るという苦しい体勢にもかかわらずじっと見ていたが、私自身も時間の感覚が麻痺してきたのかも知れない。
 たまに向き直ってジョッキーを口に持っていく際に彼女の表情を垣間見るが、相変わらずの無表情である。
「暗闇ってどこまで続くのかしら」
 小さな声が静寂をぶち破った。
「朝が来れば終わるさ」
 驚きの中で、よく返事できたものだと思ったが、自分でもその返事に対し「まさしくその通りだ」と思ったものだ。まぁ、返事を期待しての呟きだとは思えないが……。
「本当にそうかしら?」
「きっと、そうに決まってるさ」
 妙なことを言う女である。遠くを見つめるように目を細めたかと思えば、急に一点を凝視するかのように目を瞠る時もある。
 彼女の視線に合わせるように後ろに向きがちだった視線を彼女に向けると、一瞬瞳の奥が光ったような錯覚を覚えた。
「ここにはよく来られるんですか?」
「ほとんど毎日来てますわ」
「お一人で?」
「ええ、誘う人もおりませんから」
 ビアガーデンに女性一人、しかも毎日来ているという。私の感覚からは信じられない。
「誰か一緒に来られる方はおられないのですか?」
「おりません」
 一瞬「まずい」と思った。初対面の女性に対して聞く質問ではない。しかし私の失礼な質問に彼女は相変わらずの無表情で答えていた。感情が分からないだけに却って気持ち悪い。一人が好きな人もいるだろうし、女性だから特に一人になりたい時もあるのかも知れない。
 彼女の表情は相変わらずの無表情だったが、少し顔色に血の気が戻ったように見える。
「あなたはいつも一人で?」
作品名:短編集5 作家名:森本晃次