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魂の記憶

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 見切ってしまった由紀子は、今度は啓介の口が開くのを待っていた。
――次の言葉が興味深いものになりそうな気がする――
 と感じたからだ。
 啓介の顔を見ていると由紀子は自分がこの後何を喋っていいのか、そこで決まるのではないかとさえ思えた。だからこそ、ベッドの上で恵が描いているところを想像していた時間が、自分の想像通りの長いものだと思っているのだ。
 だが、啓介の表情はまったく変わらない。啓介のように女性っぽい人は、えてして表情が豊かで、表情によって自分の感情を表に出そうとしているのではないかと思っている。特にそのことを信念のように思っているおは、啓介のように、女性っぽさを持った人だと思っていた。
――男性でもあり、女性の心も持っている――
 そんな人は、普段の人の全体を一とすると、半分ずつの思いを持っているように感じられたが、啓介を見ていると、その割合が、それぞれ七十パーセントくらいのものであるように思えてならなかった。すべてを足せば本当は一のはずなのに、これはどういう錯覚だと言えるのだろう?
――表に出ている感情を少しでも、一に近づけたい――
 という思いがあるからではないだろうか。
 どうしても、女性が表に出ている時は、男性を隠さなければいけない。しかし、本当は男性なので、女性をすべて表に出すわけにはいかないという思いが渦巻いている。それは彼の男性としてのプライドなのかも知れない。
 しかし、逆に男性が表に出ている時は、女性を隠さなければいけない。それでも、自分の気持ちにウソを付けない啓介は、男性をすべて表に出すことはできない。これは、気持ちにウソを付けないという彼の意地というものではないだろうか。
 意地とプライドはそれぞれ似たものである。性が一つであれば、その二つが協力しあうのだろうが、性同一症候群の彼にとっては、意地とプライドは一緒にはできないものだった。
――むしろ、表裏相まみれるものではない――
 と思っていることだろう。
 歌舞伎の舞台の「どんでん返し」のように、表と裏は決して一緒には出ることができない。その思いが、
――どうして、人間には男と女の区別があるんだろう?
 と思わせるのだった。
 種の保存という考え方から動物、いや植物も含めて、性が二つあるのは当たり前のことだ。生物の中には、一つの肉体に二つの性が共存しているものもいるが、そんな風にはなりたくはない。あくまでも人間としての二つの性の共存を考えるしかなかった。
 啓介を見ていて、そこまで苦しんでいるように見えないのはなぜなのか、由紀子は考えていた。
――私にも同じような思いが頭の中にあるのかしら?
 それは、性が二つという意味ではない。あくまで自分は女なのだが、その中で二つの性格を保有している。
――ひょっとすれば、二つに限らないかも知れないわ――
 とも思っていた。
 自分のことを、
――私は二重人格だわ――
 と思うことはしばしば、しかし、その性格が正反対のものだとはどうしても思わなかった。
「長所と短所というのは紙一重であって、表裏相まみれないもの。つまりは、長所が表に出ている時は短所が隠れていて、短所が表に出ている時は、長所が隠れているものだって思うのよ」
 こう話していたのは、頼子だった。
 あれは、何人かで話をしていた時で、頼子の話に誰も反論しなかった。賛成していたというよりも、皆考え込んでいたと言った方がいいかも知れない。
 もちろん、こんな話に最初から興味のない人もいたが、ほとんど皆考え込んでしまったということは、今までに一度は似たようなことを考えたことがあるということだろう。
 由紀子だけが、最初から反対だった。
「そんなことはないわ。長所が表に出ている時にだって、短所は燻っているものなのよ。そう思うのは、相手の長所だけを見ようと思う気持ちが前面に出ているからなんじゃないかしら?」
「どうして、そんなことが言えるの?」
「だってあなた自分で言ったじゃない。『長所と短所は紙一重』だって」
「紙一重なのに、長所と短所として、明らかに違うものだっていうことは、相まみれないものがあると私は思うの。だからこそ、決して一緒には表に出てこないものだって思うのよ。躁鬱症だってそうでしょう? 躁状態の時に鬱が顔を出すわけないわけだしね」
 頼子の話には信憑性があった。躁鬱状態をよく知っている頼子である。躁状態の時か、鬱状態の時のどちらかの時、長所と短所を自分で感じたのかも知れない。
――それにしても、今ここで頼子の話を思い出すというのは……
 啓介が目の前にいることで感じたような気がする。
――そういえば、女性っぽさを啓介さんに感じる時、頼子のイメージがダブって感じられるような気がしてくる――
 と思ったからだ。
 啓介を見ていて、
――どこかで見たことがあるような気がする――
 と最初に感じたが、それがまだ啓介に女性っぽさを感じる前だったことで、まさか頼子を思っているなど、想像もしていなかったからである。
 由紀子は、頼子の話も、
――もっともだ――
 と思っていた。
 しかし、心の中で、
――どうしても、譲れない――
 と思っていることもあった。
 その理由が、まさかこんなに後になって分かることだと、果たしてその時に感じたであろうか。由紀子が感じたどうしても譲れないことというのは、啓介の中に感じた、
――二つの性――
 ということだったのだ。
 啓介のことを見ながら、由紀子の話を思い出していると、またしても、違う発想が思い浮かんでいた。
――二つの性というけど、本当に二つの異なる性なんだろうか?
 確かに肉体的には決定的な違いがある。また、生理的にも絶対的な違いがある。
――だからといって性というのが精神的にも二つなければいけないというのは、違うんじゃないかしら?
 と思うようになっていた。
 肉体的にも生理的にも確かに絶対的な違いがあるが、それがあまりにも絶対的過ぎて、――精神的にも違っていて当然だ――
 と思うようになったのかも知れない。
 しかし、思い込みというものがどれほど危険なものであるかということを、由紀子は分かっているつもりだった。
――子供の頃のカギを捨ててしまった記憶――
 それを引きずってしまうのは、仕方がないと思っている。それをトラウマというのだろうが、トラウマに苛まれているのはもちろん、自分だけではない。誰もが大なり小なりのトラウマを抱え持っていると考えれば、
――トラウマとは、永遠になくなることのない人間界の「トラウマ」と言えるのではないだろうか――
 という禅問答に陥ってしまうことだろう。
 カギを失くしてしまったというのは、捨ててしまったという意識に繋がり、
――モノを捨てられない――
 という性格になってしまった。
 つまりは、トラウマというのはきっかけであり、トラウマが性格に影響してしまうことで、性格を含めたところまでをトラウマとして、広い意味で見たことが、一般的な「トラウマ」となっているのだ。だからこそ、禅問答に陥ってしまうのだろう。
 頼子のことを思い出していた。思い出してみると、自分のイメージしていた雰囲気とは違っているように感じられた。
――どこが違うのだろう?
作品名:魂の記憶 作家名:森本晃次