魂の記憶
という思いであったが、なかなか覚めてくれないことに業を煮やしていると、待ってましたとばかりに、目が覚める。自分の思いが成就できないのが夢だと思っているのに、その時は簡単に成就してしまった。
――目が覚めたのだから夢であることに違いはないが、それならなぜ、思いが簡単に成就したのだろう? ひょっとして目が覚めたと思っていることも、「夢から覚める」という夢を見ていたのかも知れない――
と感じていた。
頼子はそんな思いを抱くようになってから、友達がいなくなった。元々、友達がいると思っていたのも、、自分の勘違いだったのだ。しかし、そのことに頼子は気づかない。感が鈍いところがあって、そのことを知らぬは自分ばかりなりだったのだ。
頼子は、自分の妄想の深さが友達を作れないと思っていた。物事を考える時、あまり深く考えず、状況だけを素直に受け入れていると、肝心なところを見誤ることがある。それでも頼子はそれを自分の実直さだと思い、まわりの人に気を遣うことよりも、自分の実直さに素直になろうと思う方だった。
そんな頼子に対し、一時期友達が一人もいなくなったが、中にはそんな頼子の性格を好きになった人もいる。本当はそんな相手こそが、一番頼子のことを分かってくれる親友なのだが、頼子の中で、友達にランク付けをするなどという発想はなかった。
親友というのはランク付けでも何でもないはずであり、ランクを付けることができないから親友だという考えもあるだろう。頼子は中途半端に真面目なところがあり、それがまわりからは、
「打算的だ」
と思われているようだ。
今ではそんな頼子の一番の親友だと言える人は、由紀子だった。
由紀子は頼子のことをあまり深く気にはしていないが、
――どこか気になるところがある――
と感じていた。
それが何かは、由紀子が頼子に自分から近づこうとしないので、分かるものではなかった。近づくことで自分の中にある自分が嫌だと思っている性格を、相手に看破されるのが嫌だったのだ。由紀子は本当に気を許すことができる人でなければ、自分のことを分かってほしいとは思っていない。それは、まるで自分の心の中に、土足で入り込まれて、気持ちを踏みにじられる気がしていたからだった。
人の気持ちを寄せ付けないから、妄想を抱くようになったのか、妄想を抱くことで、人を寄せ付けなくなったのか、どちらにしても、最初、頼子は由紀子を寄せ付けようとはしなかった。
最初の頃に歩み寄ろうとしたのは、むしろ由紀子の方だった。相手のことが気になったからというよりも、頼子が自分を敬遠しているのを感じたことで、対抗意識を燃やしたというのが本当のところだったが、由紀子が自分のことを気にしているのに、頼子は妄想の世界に入り込んでしまう。だから、余計に由紀子が気になるのだという堂々巡りを繰り返していたが、最初にそのことに気が付いたのは由紀子の方だった。
「バカバカしいわ」
と思うようになり、頼子に対して抱いた思いをすべて消し去ってしまいたいくらいの感情を持っていた。そんな時の由紀子は本当に自分の気持ちを打ち消すことができるようで、後になってみれば、最初から頼子に興味など持たなかったと思い込むことができるのも由紀子の特徴の一つだった。
――捨てることができずに、整理整頓ができないくせに、なぜ一度持ったはずの興味を、一気に消し去ることができるんだろう?
と思っていた。
整理整頓ができないことと、一度持ったものを消し去ることでは、発想の次元が違うのかも知れないという思いを、由紀子は抱くようになっていた。
――相手がモノだったら捨てることができないが、人間だったら、捨てることができるのかも知れない――
そう考えると、もう一つの仮説が生まれてきた。
――捨てたくなかったり忘れたくないと思っている感情が誰かに対してあるのだったら、モノだと思えば忘れたりしないんじゃないかしら?
という思いだった。
しかし、モノだと思えるとすれば、すでにその人に対して感情がなくなってしまった後でしかないのだったら、忘れたくないという感情は、思い出として残すか残さないかということだけにしか使えない気がしてきた。
由紀子は、次第に頼子から離れていった。興味が失せたのだから当然のことだ。しかし、その頃になってやっと頼子は由紀子が自分を気にしていたことに気が付いた。その頃になると、なぜか最初に興味を持ったはずの由紀子の意識の中に、最初の頃の気持ちが本当に消え失せてしまっていた。つまり頼子に興味を持ったという事実すら、忘れてしまっていたのだ。
それが由紀子の中にある。
――モノを捨てられない性格に対する反動――
であるということを自覚していない。何しろ、意識していたという記憶がないのだから、反動も何も、その時に何を考えていたのかとうこともすべて、忘れてしまったのだ。
由紀子が頼子に興味を持ったことを忘れてしまったのは、
――興味を持つことができたのは、頼子のことをモノだと思うようになったからなのかも知れない――
と、感じたためであった。
そう感じてしまったために、すぐに自分の中の意識が、忘れてしまうという本能を呼び起こし、記憶すら消してしまう作用をもたらしたのではないだろうか。由紀子自身の記憶が消えてしまっているのだから、誰も感じることのできないものであった。
由紀子は、忘れてしまうことを、
――記憶を失うことだ――
とは思っていない。
記憶を失いということは、頭のどこかに記憶を封印する場所があって、そこに格納されていると思っている。しかし、由紀子が感じているのは、
――記憶を失うのではなく、記憶が消えてしまっている――
ということだった。
記憶が消えるということは、頭の中のどこにも残っていないということで、もし次に感じるのであれば、それは思い出したわけではなく、新しく感じることである。つまりいつまでも、
――最初に感じたことだ――
という思いばかりを感じることで、思い出すということはないのだった。
もちろん、中には記憶していることもある。忘れそうになりながら、何とか忘れずにいることだ。しかし、よほど印象の深いことでないと、ずっと記憶していることはできない。いずれは忘れてしまい、今度は、新しく感じることになるのだ。
頼子も、実はなかなかモノが捨てられずに、整理整頓ができない方だった。さすがに由紀子ほどの重症ではないが、意識だけは持っていた。
だからと言って、由紀子のように、
――記憶が消えてしまう――
という思いはほとんどしたことはない。
――記憶とは失うものだ――
と思っていて、忘れてしまったものも、すぐに思い出せると思っているのだった。