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魂の記憶

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 だが、気が付けばいつの間にか、考えは最初に戻っていた。その時には、一緒にいた頃の頼子は、遠い過去の存在に思えてならなかった。厳密には違っていても、本人も無意識のうちに考えが移行し、また元の考えに戻ってしまっていたということもあり得ないことではない。むしろ、頻繁に起こっていることで、誰も意識していないことだとすれば、それを意識してしまったということで今後の自分の人生に、何らかの影響を及ぼすのではないかと思えてきた。
 由紀子は、似すぎている二人には、
――いつも何かを守ろうとしている思いと、その反面、何かから逃れようとしている思いが交錯している――
 と思っていた。由紀子にも頼子にも同じ感覚があったとは思っているが、それが同じものだったかどうか、今となっては、想像もできないのではないかと思えていた。
 恵が何を守ろうとしているのか? 由紀子には最初それが弟のうちのどちらかだと思っていたが、啓介の話を聞いているうちに少し変わってきた。
「僕は、姉が遠くを見ているのを感じたんだ」
「それは、精神に異常をきたしているというところからきているということ?」
「いや、そうじゃないんだ。僕は今まで精神に異常のきたした姉をずっと見てきたけど、今まで僕を見る時に上の空だったことはあっても、虚空を見つめるような眼をしたことはなかったんだ。それが急に遠くを見つめる目を見ると、その先に見えるものが、自分や弟ではないことに気が付いた。その時初めて姉が僕たち兄弟以外の誰かを守ろうとしているって分かった。まるで姉が他人のように感じたよ」
 今度は啓介が虚空を見つめていた。
 その時の啓介は、言葉では男らしい発言をしていたが、女性として姉を見ているのが分かった。
――大好きな姉が他の誰かを好きになった――
 という意識よりも、
――姉が遠くに行ってしまった――
 という思いが見て取れる。
 相手の男性に対しての嫉妬ではない。相手がどうのというよりも、自分から離れてしまったことへの口惜しさだった。
 しかし、その思いも若干違っていることに気が付いた。
 それは、恵が相手を好きになったわけではなく、
――守りたい――
 と思っていることに気が付いたのだ。
 その思いは、あからさまに表に出ているものではなかった。明らかに自分の内に向けられたものだ。相手が肉親であれば、感情を剥き出しにしてもいいのではないかと思っている。それなのに、内に秘めるというのは、恵の中で、
――人に言えない想い――
 があるからで、それは男性に向けられるものだというよりも、女性に向けられるものと考える方が自然だった。
「お姉さんは、自分の気持ちを内に秘める方なんですか?」
 と、啓介に聞いてみた。
 唐突な質問だったので、啓介も拍子抜けしたようだが、それだけに返答にウソはないだろう。
「そんなことはないですよ。精神に異常を期してからというのは、逆に表に気持ちを出すようになったみたいなんですよ」
「でも、肝心なことは隠そうとするんじゃないですか?」
 ある程度、自分の中で確信を持って聞いているつもりだった。きっと、啓介を正面からまともに見ているに違いない。
 由紀子が何を聞きたいのかを図り知ることができない啓介は、少しうろたえるようにしながら、
「え、ええ、そうですね」
 確信はあるつもりだが、啓介のようなタイプほど、自分の気持ちを内に籠めようとするに違いない。ウソのない返答をしてくるだろうが、肝心なことは黙秘するかも知れない。間髪入れずに質問することは、肝心なことを引き出すには効果的ではないかと由紀子は思っていた。
 恵が守りたいと思っている人は、女であることは確信している。しかし、自分の知っている人のような気がするのは、啓介の態度を見るからだった。
――この人は、本音としては、その人の名前を私に告げたいのだろうけど、姉を守りたいという気持ちが邪魔をして口にすることができない。ジレンマに陥っているに違いないわ――
 と思えた。
 由紀子に聞いてほしいと思わない限り、唐突に、
「そういえば、頼子さんはいつも何かを守ろうとしていたような気がするんだ」
 とは言わないだろう。しかも、偶然にも、由紀子が恵に同じことを考えていた時に口にしたことで、ハッとなって気が付いたのだ。もし、さっき啓介がこのセリフを口にしない限り、恵が誰かを守りたいと思っていたなどということを思いつくはずもないのだ。
「会話での偶然には、何か含みがあるのかも知れない」
 由紀子はいつもそんな風に思っていたが、最初から啓介は、由紀子に何かを訴えたいと思っていたように思えてならなかった。
「お姉さんは、毎日病院のベッドで臥せっているんですか?」
 由紀子は思わず自分が同じ立場になった時のことを考えて、思わずそんなことを聞いてみた。
 しかし、啓介はその質問には狼狽える素振りは見せなかった。最初から質問されることを想像していたのか、それとも、内容はどうであれ、質問は避けられないと思ったのか、それとも、質問されることに慣れてきたのか、そのどれかであろう。
 由紀子は、啓介が質問されることに慣れてきたような気がした。次第に狼狽えた様子は見えなくなったからである。ただ、それが本当に精神的に落ち着いてきたからなのか、それとも開き直りによるものなのか判断がつかなかった。精神的に落ち着いてくることと、気持ちが落ち着いてくることは似ているようで違うことのように思えたからだ。
 精神的に落ち着いてくるということは、広い意味で気持ちが身体を凌駕するかのように気持ちが前面に押し出されているのが分かることで、気持ちが落ち着いてくるというのは、狭い意味で気持ちだけが落ち着いてくるというものだ。狭い意味での落ち着きは、開き直りのような何かのきっかけがなければ起こりえないことだと思っている。ただ、その二つを見分けるん尾は容易なことではない。最初から相手に開き直りがないかどうかを見極めるつもりでいなければ、見切ることはできないだろう。
 そう思って次の言葉を待っていたが、相手に開き直りがなければ、冷静な判断が加わっているということで、話をしっかりと聞くことができれば、真実に辿り着けるまでの直線距離を見切ることができる。しかし、逆に開き直りであった場合、相手が焦っている分、言葉にウソもないことも事実だろう。そう考えると、開き直ってくれた方が、容易に真実に辿り着ける。しかし、相手の言葉に一貫性があるとは思えない。単語一つ一つを拾い上げて、こちらで判断しながら、真実を組み立てていく必要がある。
 もし、肝心なところが抜けていれば、先に進めないどころか、ミスリードされてしまうことも大いにある。下手をすれば、堂々巡りを繰り返させられる。それは、戦国時代の城の縄張りに似ているものがあるように思えてきた。
 由紀子は、啓介と話をしているうちに、啓介を見ているつもりで、自分の心の奥を覗いているように思えてきた。いろいろなパターンを考えられるのも、自分に置き換えているからであり、そのおかげで、筋道も見つけられるように思えていた。
――ということは、啓介さんの返答をある程度予期しているつもりでいるのかしら?
作品名:魂の記憶 作家名:森本晃次