魂の記憶
「頼子さんの方では結構あったみたいですよ」
頼子が由紀子のことを意識していたのは分かっていたが、慕われることに優越感を感じているだけだと思っていただけに、複雑な心境になった。コンプレックスは優越感とは正反対の感覚。根柢のコンプレックスには太刀打ちできるわけもない。
由紀子は啓介を見ていると、
――この人も頼子のことが好きなのかも知れない――
由紀子は、自分がモノを捨てられない性格だから、あまりモテない男性にモテていた経験があったが、そのおかげというべきか、目の前にいる人が誰かを好きになったとして、無意識にでも、その人が自分の好きになった人の話をしている時、
――今話をしている人が好きなんだ――
と分かるようになってきた。
勘のいい人なら分かるのかも知れないが、由紀子はどちらかと言えば鈍感な方だ。そういう意味でも誰かに好意を持っていることを分かるというのは由紀子にとって奇跡に近いことだと以前は思っていた。それなのに、いつの間にか分かるようになったのも、今まで気づかなかった自分を好きになってくれた人の本当の気持ちを分かるようになったからなのかも知れない。
だが、何か違っているような気がした。
確かに、頼子のことを好きだということは間違いない。だが、頼子のことを好きなのは、本当は彼の弟ではないだろうか。自分が女性っぽいところがあることから、どうしても自分へのコンプレックスに打ち勝つことができない。しかも、競争相手が自分の弟だ。
相手は自分のことをどこまで意識しているのか分からないが、兄だという意識だけは持ってほしくないと思っていた。同じ女性を好きになった兄弟というだけでも難しい関係なのに、弟に対しての後ろめたさもあるのでは、勝ち目はないだろう。
由紀子は自分が啓介に同情しているのを感じていた。
啓介は見ている限り、コンプレックスの固まりに思えてきた。
自分が女性っぽいことをコンプレックスに感じている。表面上、いかにもと感じられるのは女性っぽい仕草だった。
いくら隠そうとしても、すればするほど表に出てくるものだ。特にそのことは同性の男性から見るよりも、異性の女性から見た方がよく分かる。元々近くにあって遠ざかっていくものよりも、元々遠くても近づいてくるものの方が、同じ距離であっても、よりハッキリと見えてくるものだからだ。
姉の恵を思い出していた。
彼女は、いつも何かを守ろうとしていた。その反面何かから逃げようとしている。それが何かすぐには分からなかった由紀子だが、啓介と話をしているうちに分かってきたような気がしていた。
恵が何かを守ろうとしていたことは、恵のことを慕っている時から感じていた。そんなことを思っていると、
「そういえば、頼子さんはいつも何かを守ろうとしていたような気がするんだ」
由紀子はそれを聞いてハッとした。
今、恵のことを思い出そうとして、同じことを感じた。それと時を同じくして、まるで図ったかのように、啓介の口から、頼子がいつも何かを守ろうとしていたということを聞かされるなんて、本当に偶然で片づけてもいいのだろうか?
由紀子は、そう簡単に偶然という言葉で片づけられるものではないと思っている。偶然というのは、あくまでも予測不能なことが起こってしまうことだと思ったからだ。
――私が恵のことを思い出したのは決して偶然ではなかった。目の前にいるのが恵の弟だという意識がどんどん強くなっているのを感じているのだから、それも当然のことではないだろうか?
と思うようになっていた。
啓介の言葉は頭の隅にまずは置いておいて、最初に感じた恵のことを考えようと思った。恵が何を守ろうとしていたのかを考える時、恵の持っていたトラウマが何であるかを考えてみた。
――どうしても、弟を死なせてしまったという思いが強かったのだとすれば、守ろうとしているのは、啓介ではないだろうか?
ただ、啓介だけを見ていると、それだけではないように思えた。出会ったことのないもう一人の弟を思い浮かべてみたが、どうしても啓介とダブってしか見ることができなかった。彼は女性っぽいというわけではないだろうが、啓介と似すぎているくらいに似ているという発想が浮かんでくる。
どうしても、一人を見ていると、その人の後ろに見える存在を、
――似すぎるくらいに似ている人だ――
という発想に至ってしまう。
ということは、頼子と恵も似すぎているということになるのだろうか?
似ているという感覚と似すぎているという感覚は違うものだと由紀子は考えている。
普通に似ているのであれば、それぞれを並べて比較することもできるが、似すぎているという感覚に陥った人には、
――同じ次元で並べてみることはできない――
と思うようになっていた。
頼子と由紀子は同じ次元に存在していることは分かりきっている。友達なのだから当たり前のことだ。
しかし、頼子と恵が同じ次元に存在しているというわけではない。それぞれ、存在は知っているかも知れないが面識はないのだ。似すぎていると考えても不思議ではない。
由紀子は恵を慕っていたが、今の恵はあの頃の恵ではない。
もし、今の恵を見たとすれば、
――本当に私が慕っていた恵さんなのかしら?
と感じるに違いない。
モノを捨てられない性格である由紀子の頭の中には、慕っていた頃の恵の姿しか映らない。しかし、それは由紀子に限ったことではなく、誰でも同じなのかも知れない。それだけにモノを捨てられない自分が特殊であり、余計に当時の恵のイメージを自分の中で引きずってしまっているのではないだろうか。
由紀子は、自分と頼子が似ていると思っていた。しかし、実際に似ていると感じている時、目の前に頼子がいるわけではない。面と向かうと、似ているところを意識することはない。
――自分と同じ人間など、存在するわけはない――
と思っているからだ。
いくら同じ人間ではないとはいえ、
――限りなく近い存在――
というのは、面と向かっている時に感じられるものではない。
由紀子は自分と似すぎていると頼子に感じたその時は、由紀子の虚像を眺めていたのかも知れない。
――自分が頼子から離れていったのは、頼子に対して自分と限りなく近い存在であるということに気が付いたからなのかも知れない――
興味が薄れていったというのは、後から取って付けた言い訳ではないだろうか。興味が薄れたのではなく、近い存在に気づいたことで、由紀子は頼子を遠ざけなければ、その思いの本当のところを見つけることはできない。
このままずっと一緒にいることもできるのだが、それ以上に、どうして頼子が自分と似すぎているのかを知りたいと思ったのだ。
限りなく近い存在と、似すぎているという発想も、厳密に言えば同じものではない。同じものだとして考えてしまうと、自分の気持ちを見誤ってしまうように思えてならなかった。
由紀子はそのことにしばらくしてから気が付いた。それでも、同じように違う次元で考えなければいけないことに変わりはない。
最初は、
――二人は似すぎている――
という考えから、次第に、
――限りなく近い存在――
という風に考えが変わっていった。