魂の記憶
「引き取られた後、しばらくしてから、その家は没落したという話を聞いたんだが、お父さんはそれを確かめるのが怖かった。しかも、ちょうどその時、お前が閉じ込められる事件が起こったり、それと前後して、お姉さんの精神状態に異常を期したりして、それどころではなかった。これもお父さんが情けないばっかりに起きてしまったことだと思い、私はそれ以上何もできなくなってしまったんだよ」
「じゃあ、お姉さんがあんなになってしまったのも、お父さんの因果が姉さんに報いたということなのかな?」
「私はそう思っている。だから、お父さんは、それ以上のことは何も言えないんだよ」
「でも、お姉さんが僕のことで誰かに復讐しようとしていたことは知っているの?」
「いや、知らない」
そこまで聞くと、啓介は急に気合が抜けていくのを感じた。何かの運命が働いているのは分かっていたが、その運命は細かいところで微妙に捻じれている。微妙な捻じれが大きくなっていき、今の自分や姉、そして正則の運命を何かに導いているような気がした。そのカギを握っているのが、カギを捨ててしまったことでモノを捨てることができなくなってしまった由紀子だというのも皮肉なことだ。しかも、姉が復讐を考えていた相手がカギを握っているということになる。啓介は運命の悪戯を感じていたのだ。
「弟は、どうやら友達が死ぬのをその場で見ていたようなんだ」
人の死を見てしまうというのは、どんなものなのだろう? しかも、まだ子供だったという弟は、それを人の死として受け止めることができたのだろうか?
「じゃあ、弟さんが記憶を失ったというのは、友達の死を見たからなの?」
「お父さんはそう言っている。お父さんもここまで僕に話をしてきたんだから、今さら細かいウソやごまかしはしないと思うので、ほぼ信用してもいいと思っているんだ」
その意見には由紀子も賛成だった。
「それに、姉が定期的に精神に異常をきたすのは、躁鬱症の気があるからだというのは先生の話だったんだけど、躁鬱症という意味では、由紀子さんにもあるんじゃないですか?」
「えっ、どうしてそんなことを知っているんですか?」
「頼子さんから聞いたんだよ。頼子さんとは由紀子さんのことを知る前からの知り合いで、実は頼子さんから、由紀子さんがモノを捨てられない性格の女性だって聞いたんですよ。僕はその時まで、僕を以前閉じ込めた原因が由紀子さんだって知らなかった。でも知ってしまうと、急に由紀子さんを知りたくなったんですよ。復讐なんてことは思わない。でも、僕が由紀子さんの前に現れて、由紀子さんが自分の過去のことを知るとどうなるか、それが気になっていたんです」
「お姉さんとシンクロしたのかしら?」
「そうかも知れませんね。でも、僕は頼子さんのことが好きだった。それがさらに由紀子さんへの歪んだ気持ちにさせたんですよ」
「どういうことなの?」
「由紀子さんは知らないかも知れないけど、頼子さんは由紀子さんのことが好きだったんですよ。愛情と言ってもいい」
「えっ」
それ以上何も言えなくなった。
「でも、僕が由紀子さんと関係のある人間だって頼子さんは知らないから、自分の知っている由紀子さんのことを、僕にいろいろ話してくれる。きっと、自分が由紀子さんを好きだということを他の人に知られたくないという思いから、そういう態度に出たのかも知れないですね。まさか僕が由紀子さんいゆかりのある人間だと知らないからですね」
由紀子にゆかりがあるということを強調して話した。それは明らかに、由紀子に対しての挑戦のような表現だった。
啓介は続ける。
「でも僕は頼子さんを由紀子さんというよりも、姉が後ろにいるような気がしてみていたんですよ。頼子さんが見ていたのは由紀子さんではなく、姉だったような気がしています」
「お姉さんと頼子は、知り合いだったの?」
「いえ、知り合いだったわけではないです。二人は面識はないと思います。でも、頼子さんを見ていると姉を見ているような気がして仕方がないんですよ」
そう言われてみると、恵さんを慕っていた時の心境は、最初は友達のような感覚だったはずだ。その思いが短かったので気づかなかったが、言われてみれば頼子の雰囲気に似ていた。頼子が由紀子のことを好きだったと言っていたが、頼子に慕われていたことに心地よさを感じていた。その思いに近いものが、恵にも感じられ、恵が慕ってくれていないことが分かると、今度は自分が慕う気持ちになっていたのだ。自分から慕う気持ちであっても、慕われる気持ちであっても、同じ心地よさに変わりはなかった。
頼子に精神の異常を感じることはなかった。
だが、それは由紀子と似ているところがありすぎることで、見えていない部分がたくさんあったのではないだろうか。同じ部分が多すぎると死角になる部分が多くなり、普通なら見えてくるものも見えなくなってしまう。
啓介は恵の後ろに頼子を見たという。似ているからというわけではないのかも知れない。逆に似ていないから、普段見えないものが見えたのかも知れない。同じ時期に頼子は由紀子を好きだったというが、どこまで啓介の言葉を信じていいのか分からなくなった。ただ、言われてみれば自分も恵を慕っていたのだから、まわりから見れば好きだという感情が現れているように見えたとしても不思議ではない。恵と由紀子の両方を知っている人が見ると、由紀子の後ろに恵が、あるいは、恵の後ろに由紀子の姿が見えていたかも知れない。ここにきて頼子の存在が急にクローズアップしてくるなど、想像もしていなかっただけに、由紀子にとって啓介の登場は、何かを変えるきっかけとなって立ちふさがることになるのかも知れない。
啓介の話を聞いて、
――そういえば、私も頼子の後ろに誰かがいるような気配を感じたことがあった気がする――
それは、啓介が頼子の後ろに姉を見たという感覚とは違っていた。
由紀子が感じたのは気配であって、
――誰かがいる――
という感覚はあるのだが、そこに誰がいるのかは分からなかった。もし分かっていたとしても、
――そんなバカな――
ということで、自分の方がおかしいとしか思わずに、そのおかしいということも、信じなければいいだけのことで、すぐに忘れてしまうだけのことだった。
元々、頼子の方が由紀子を意識していて、由紀子の方ではあまり友達という思いはなかったはずなのに、なぜここまで頼子を意識してしまっているのかということを考えた時、頼子の後ろに誰かを見ていたと思うと、納得もいくものである。
由紀子は、頼子が何かを恐れていたことを思い出した。
――そういえば、頼子は男性恐怖症だったはず――
それなのに、啓介とは付き合っていたと、啓介自身が語っている。
――啓介を見ていると、女性に安心感を与えるところがあるわ――
と感じた。
どこか女性っぽいところがあり、そこが女性に安心感を与える。だが、同性愛という雰囲気ではない。ただ、そのことを心のどこかで悩んでいるように思えてならない。
由紀子は頼子を意識しすぎて、自分も男性に襲われている夢を見たことを思い出した。その時の男性の顔を今までに何度か襲われた夢を見てきたが、結局思い出すことができなかった。