魂の記憶
「実は、僕も由紀子さんと同じような性格の女性と以前知り合いだったことがあったんですが、最初、自分をこんな性格にしたのが彼女ではないかと思い恨みに思ったことがあったくらいなんですが、でも、実際はそうじゃなかった」
「というと?」
「他に、自分をこんな性格にした人がいたことを知らされたんです」
「それは誰からですか?」
「姉からだったんですが、姉はその人に復讐したいって言っていたんですよ。それは僕のための復讐だったんですが、途中で『私、復讐なんてどうでもよくなっちゃったの。だから、あなたも変なことを考えるのはやめた方がいいわ』と言っていたんですよ。最初は何のことを言っているのか分かりませんでした。姉が僕のために復讐を考えているなんてことも知らなかったし、でも、その時姉は、確かにこう言ったんです。『あなたの心の中に残ったトラウマは子供の頃に閉じ込められた納屋が原因だ』ってですね」
由紀子は、納屋に閉じ込められたという話を、まさか啓介の口から聞かされるとは思わなかった。
――森田啓介――
子供の頃の記憶で、その名前は出てこない。少なくとも、子供の頃の由紀子に、啓介との接点はなかったとしか思えない。
同じクラスになったことのある子であれば、たぶん思い出せるような気がしていたが、思い出そうとしても思い出せないということは、啓介とは少なくとも同じクラスにはなったことがないということだ。
子供の頃に聞いた話だっただけに、勝手にその子が自分に接点のある子だと思い込んでいただけなのかも知れない。
「お姉さんというのは、おいくつくらいなんですか?」
「僕よりも一つ年上だったんだけど、姉はしっかりした人なので、後で僕がどうしてあんな目に遭ったのかということを調べたみたいなんです。もちろん、小学生の頃のことなので、姉が調べたというのは、事件がというのは、事件があってから、かなり経ってからのことのようなんです。それだけ姉は執念深いということなのか、それとも、僕のことをそれだけ気にかけているということなのかのどちらかなのでしょうが、弟の僕でも、恐ろしく感じられるくらいだったんです」
「それで、復讐というのは?」
「姉は、今ではもう復讐なんて考えていないようなんです。僕も姉が復讐しようとしてくれているのなら、姉のしたいようにさせてあげようと思っていたくらいで、それだけ姉には逆らうことができないと自分でも思っていて、実際に最近まではその通りだったんです」
「では、最近は違うということですか?」
「ええ、姉は今では復讐しようとしていたことすら、忘れてしまったのではないかと思うほど、精神的に穏やかなんです。姉の性格からすれば、姉は自分で自分の性格を変えることができるほどではないようです。しっかりしていると思ったのは。猪突猛進で突き進み、実際に目的を達成することができることから、しっかりしているように思えたんですね。でも目的というのは、復讐する相手を突き止めるところまでで、そこから先はまた別の目的になってしまう。その目標をいつどうして見失ってしまったのか、弟の僕にはわかりかねているんですよ」
「どうしてあなたは、その話を私にしてくれたんですか?」
「実は、姉が復讐するために狙っていた相手があなただったからです。あなたには、身に覚えがありませんか?」
「ええ、確かにあなたの言う通り、私はカギを持っていて、そのカギを捨ててしまったと思っています。納屋に閉じ込められた子がいたというのは後から知りました。私は、それからモノを捨てられない性格になってしまったんです」
「そのことは姉から聞きました」
「あなたのお姉さんと、私は直接関係ないと思っていたんだけど?」
「ええ、うちの姉とは確かに関係はなかったんですが、姉はあなたのお友達から聞き出すことができたようです」
「頼子さんのことかしら?」
「ええ、そうです。でも、頼子さんを恨むことはしないようにしてくださいね。姉は頼子さんの中にあなたを見たようなんですよ」
「そういえば、大学生の時、目力の強い森田さんという先輩がおられたのを思い出しました」
「それが僕の姉です。姉はなるべくあなたに近づかないようにしながら、あなたに意識だけはさせるようにしていると言っていました。たぶん、そういうことだったんでしょうね」
何がそういうことなのか分からないが、
「でも、私はあなたのお姉さんを慕っていたような気がするんです。私のモノを捨てられない性格を変えてくれるような気がしたんですよ。きっとお姉さんの目力の強さに惹きつけられた気がしたからなんでしょうね」
「僕も姉の目力の強さには圧倒されることもあったくらいです。姉と言っても一人の女性、そんな風に考えたこともありました」
少し頭を下げて考え込んでいる彼を見ながら、
――啓介さんは、お姉さんを姉としてだけ見ていたわけではないのかも知れないわ。それが彼の中にジレンマを作り出したとすれば、この二人は姉弟でありながら、愛し合っていたのかも知れないわ――
と感じた。
啓介は続けた。
「そういえば、昔のことは思い出せるのに、最近のことはなかなか思い出せないというのが姉の口癖だったような気がします」
「それは最近、私も思い始めていたことだわ」
「姉は、ずっと以前からそのことを言い続けていました。それこそ、あなたが『捨てられない』という意識を持ち始めた頃に近いかも知れないと思っています」
「私とあなたのお姉さんは、どこか似たところがあるのかも知れませんね」
「僕は頼子さんをよく知っていますが、あなたを見ていると、頼子さんを見ているようだ。本当なら僕はあなたを恨まなければいけないのかも知れないけど、恨みは不思議とないんです。最初に恨みがあって、それが自然と消滅していったのであれば分かる気がするんですが、あなたに対しては、なぜか最初から恨みを感じることがないんですよ。恨むことができないと言った方がいいかも知れませんね」
「お姉さんの名前は何と言うんですか?」
「森田恵と言います」
「私が慕っていた人も同じ名前でした」
「今は連絡を取り合ったりはしないんですか?」
「ええ、恵さんの方から連絡を断つようになりました。最初から恵さんの方が連絡をくれていたので、その流れでずっと来ました。私が慕っていたというのも、二人の関係が恵さん主導だったからだと思います」
「いや、それはあなたが『モノを捨てられない性格』だったからなのかも知れませんね。あなたは、学生時代とか、結構男性からモテたでしょう?」
「ええ、でも、私が好きだと思うような人からモテたことってないんですよ。しかも、お付き合いすることもほとんどなくて……」
「それはそうでしょうね、由紀子さん自身から見たのでは分からないかも知れないですが、あなたがモテていたのは、モテない男性から見て、モノを捨てることのできないあなたからは、自分が捨てられることはないと思っていたからなんですよ。でもよくよく考えれば、あなたは他のモノも捨てられないのだから、いくらモテない男性たちとはいえ、自分の他に誰かがいると思えば、彼らなりにプライドが許しませんからね。由紀子さんと付き合おうという気にまではならないんですよ」