魂の記憶
――そんなことではいけない――
と思っている自分もいたりする。その葛藤が大学生という環境では、流れに身を任せる自分を、
――逃げではない――
と思わせるための言い訳に利用しているのであれば、大学時代の楽な自分から、脱却することはできないだろう。
だが、そんな大学時代を過ごしていても、社会人になったら、自分を変えることができる人もいる。
正則もその一人だったのかも知れない。
あれだけ大学時代、楽をしてきて、卒業までに自分というものを確立できたという気がしなかった。それだけに就職した時には、かなり自分に自信がなく、不安だらけだったことを覚えている。
それでも何か月かすれば、社会人に慣れてきた。別に「五月病」に掛かったわけでもなく、先輩社員から、
「大学時代の甘い考えを捨てろ」
などというアドバイスのようなお叱りの言葉を拝領したわけでもない。
最近では、また大学時代に感じたような妄想を抱いている自分を感じたりする。考えてみれば、
――妄想のどこがいけないんだ?
ということであった。
自分の願望を頭に描くことが妄想というのであれば、
――欲が形になる――
という発想でもある。
決して欲を悪いものだと思っていない正則は、妄想も悪いことではないと思うようになってきた。
「欲というのは、食欲でも睡眠でも、性欲であったとしても、人間にとって必要なものを得ようとする積極的な気持ちなのであって、それを悪いように意識させてしまうのは、きっと世の中のどこかが狂っているからなんじゃないかな?」
という話を過去に聞いたことがあった。
それがいつ頃のことなのかハッキリとは覚えていないが、最近ではなかったことは間違いない。
中学の頃だったか、高校の頃だったか、一つのことが中学、高校時代のいつだったのかということを思い出そうとした時のその頃の意識は、普通に思い出そうとする時に比べて、かなり長い時期だったように思えるのだった。
過去の話を思い出す時というのは、ある程度ピンポイントで意識した時期に一気に飛び越えて思い出そうとしているのかも知れない。それが過去の記憶の時系列に変化を生じさせ、
――昔のことの方が近い過去に思わせる時がある――
と感じさせるのだった。
正則は、今まで自分の中に、何かを捨てられないものがあることに気づかなかった。そのことに気づいたのは、欲というものに対しての考えが変わった時だった。変わったというか、欲というものが悪いことではないということに気づいたというべきで、自分が変わったと思っていることの中には、新しいことに気が付いたということに気が付いたのだと分かると、今まで何か大切なことに気づかずに、捨ててしまってきたものがあるのだという認識を持つようになった。
その認識は半ば強引であったが、確かにモノを捨てることに意識がなかったことを思い起こすと、
――知らぬが仏――
ということで、簡単に見逃してもいいのかと思うようになった。
今まで自分がモテたことなどないという意識でいた正則だが、まったく女性から声も掛けられなかったわけではない。声を掛けられた時、気が動転してしまい、
――興味本位で声を掛けてきただけなんだ――
と思い込んでいた。
あくまでも、
――下手な鉄砲、数打てば当たる――
という発想であり、それがどれほど自分に対して失礼なことになるのかということも十分に分かっていた。
しかし、分かってはいるものの、声を掛けられて嬉しくないわけはない。失礼なことをする相手に怒りを覚えなければいけないと思う自分と、声を掛けられたことを素直に喜びたいと思う自分、それぞれの思いが交錯し、表に出てこようとしている。それでも最後はいつも決まっていて、怒りを覚える自分が表に出ることで、相手にそっけない態度を取ってしまい、結局、進展するはずもない。
素直な自分が表に出てきたとしても進展するとは限らないが、怒りを持った自分が表に出ることで、結局ダメになってしまった自分を納得させられると思っていたが、実はそうではなかった。
怒りを表に出した自分が、相手に対して失礼なことをしたことに、冷静になると気づくのだ。
「人を傷つけて後悔するくらいなら、人から傷つけられて泣く方がいい」
というセリフを思い出したが、まさしくその通り、自分を納得させるどころか、後悔させることになるのだ。
それでも、自分に声を掛けてきてくれる女性は絶えなかった。それでも、やはり最後は同じ結末にしかとどまらないのだ。
――俺って、成長しないな――
同じことを繰り返して同じように後悔を繰り返す。学習しないと思っても仕方のないことだった。
ほとんどの女の子は何も言わずに引き下がったが、一度、逆ギレした女性がいた。
「何よ。お高く留まっちゃって。あなたなんて、女性にモテる要素、どこにもないじゃないの」
と、言われて、一瞬たじろいでしまったが、そこまで言われると売り言葉に買い言葉、黙って引き下がるわけにもいかない。
「何言ってるんだよ。モーションかけてきたのはそっちじゃないか。俺だって君のような女性、好きなタイプでも何でもないんだ。なぜかそれでも一緒にいても違和感がないと思っていたから一緒にいたんだ。文句を言われる筋合いなどない」
と言ってやった。
「どうせ私は、男性からモテないわよ」
完全に開き直ったようだ。自分から逃げに入ったように見えた。
「そんなこと言ってるわけじゃないじゃないか。僕は君と一緒にいて、嫌な気はしたことがないんだ」
と、素直に告げると、
「そう、それがあなたのいいところだと思っていたの。私のようにモテない人相手でも優しくしてくれる。でもね、あなたは気づいていないかも知れないけど、それは、あなたの中の気持ちの中で、『捨てられない』という思いが強いからなの。いい、分かる? それはあなたが、私たち女性をモノとして見ている証拠なのよ。女性の側からすれば、それに気づくまではあなたが聖人君子のように見えて、あなたとなら、今まで辛かった人生を取り返すことができて、お釣りがくるとまで思う人もいるかも知れないわ。それがあなたの魅力なんだけど、一皮剥けば、あなたは女性をモノとしてしか見ていないということに気づくの。だから、あなたは女性から声を掛けられることが多くても、最後は相手に愛想を尽かされることがあなたの結末なのよ。心当たりあるでしょう? 私の言っていることに……」
そう言われて、正則は驚愕した。
――俺って、そんなに上から目線だったんだ――
ということを、あらためて思い知らされた。
彼女とは円満に別れられるはずもなく、心の中にトラウマというしこりを残したままの別れとなった。だが、そんなことを言う女性とは別れた方がいいのだ。下手にネチネチと皮肉を言われるよりもよほどマシだった。
別れに関しては免疫ができていたつもりだった。その女からは屈辱を思い知らされたが、一夜明ければ、結構冷静になれた。
――やっぱり、あんな女と別れられるきっかけを相手が作ってくれたのはありがたいことだ――
と感じたからだ。