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魂の記憶

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 彼女の声も少し籠ったように聞こえたが、何と言ったか分からないほどに籠った声ではなかった。ただ、それが本当の彼女の声だとは思えず、どんな顔をしているのかそっちの方が気になって、相手の顔を覗き込んだ。
 暗闇には目が慣れていたはずなのに、すぐには表情が分からない。彼女の後ろにちょうど街灯があるので、逆光になってしまっているためハッキリと顔を確認することができないのだ。
「えっと、どこかでお会いしましたか?」
 顔を完全に見ることができないので、相手を認識できなかったにも関わらず、相手の答えを待つという他力本願だった。
「ええ、お忘れかも知れませんが、よく私がアルバイトしていたお店に来ていただいていました」
 正則は高校二年生の頃から、一人で喫茶店に立ち寄ることが多かった。特に馴染みの店ができてからは、その傾向が強くなり、大学一年生の頃には、同時期に最高五か所の馴染みの喫茶店を持っていた。大学入学からずっと、馴染みの店を作ることを一つの目標としていたので、五か所は少ないくらいだと思っていたが、それでもそのすべては、常連として三年間は通ったものだ。大学を卒業して行かなくなった店もあったが、それぞれの店に、自分の中で一つの「役目」を課していた。
 モーニングをいつも食べに行っていた店もその中の一つで、その店がモーニングが役目であれば、ランチが役目の店もある。待ち合わせが役目の店もあれば、読書が役目の店もあった。
 もちろん、複数の役目を持った店もあったが、店にはそれぞれ個性があり、自分の個性と相まって、それぞれに役目を忠実に果たしていた。今声を掛けてきた女性は、その中のどれかの店でアルバイトをしていたのだろう。
 表情がハッキリと分かるようになってくれば、何となく面影を思い出せてきた、逆光を浴びて、顔がハッキリと見えない方が、却って輪郭で当時の彼女の顔が思い出せるような気がしてきた。一つ一つ丁寧に思い出している暇はないと思っていたので、輪郭が分かったことは、正則にとってありがたいことだった。
 面影から彼女のことを思い出すまでに少し時間が掛かった。それだけ時系列としては昔のことのようだ。少なくとも大学に入ってからのことではない。さらにその前ということになる。
――ということは、高校時代になるんだ。では、彼女は自分よりも少なくとも年上ということになるのかな?
 高校時代に馴染みだった喫茶店で何人かアルバイトの女の子がいたのは覚えているが、自分が高校生ということもあり、皆年上ということで、眩しく見えたという思いがあった。笑顔にはあどけなさがあったはずなのだが、高校生から見ると、大人びてしか見えなかったような気がする。輪郭でしか分からない間思い出していたその表情には、今ではあどけなさしか感じられないような気がした。
――彼女が全然変わっていなければいいな――
 とさえ思えてきたのだった。
 次第に顔の輪郭から、顔そのものが分かってくると、自分が想像していた表情と、まったく変わらないのを感じた。さらに、その顔はあどけなさどころか、以前とまったく変わりがなく、大人びた様子もまったくないことに気づき、喜んだのだが、考えてみればそんなことがあるはずもなく、今目の前にいる女性が本当に自分が知っていた女性なのかどうかが、疑問に思えるほどだった。
 しかし、その取り越し苦労も一瞬で、瞬きを一度すれば、すぐに彼女の大人びた表情を感じることができ、一瞬だけでも昔の彼女を見ることができたのは、錯覚なのかそれとも願望が見せた幻影なのかのどちらかだと思うと、相手に見つめられることが恥かしいやら、むず痒いやらで、懐かしさを超越したものがその場の雰囲気に感じられた。
 最初は思い出せなかったが、彼女は今までに知り合った他の女の子にはない、すごいと思えるほどの特徴があった。それは、目力の強さで、一度見つめられると、金縛りに遭ってしまいそうなくらい、胸の鼓動の激しさを感じるのだった。
――そうだ、名前は確か恵さんと言ったっけ――
 少しずつ思い出した。
「恵さん?」
 思い切って声を掛けてみると、
「ええ、そうです。思い出してくださったんですね?」
 嬉しそうな恵の頬に窪みを感じた。
「ああ、そうだ、彼女が微笑んだ時に見せたあのエクボ。まさしく俺の知っている恵さんだ」
 と、喜びを爆発させるような笑顔をしていたことだろう。鏡が目の前にあったら、すぐにでも確かめたいと思う表情をしていたはずだ。こんな表情をしたかも知れないと感じたのは、本当にいつぶりのことだったのだろうか?
「真田さんも本当にお変わりないわね。私、すぐに分かったわ」
 何年も経っていて、高校時代から大学時代を経て、今では社会人。変わっていないと言われて喜んでいいのかどうか、複雑な心境だったが、相手が恵であれば、
――喜んでいいんだ――
 と思うしかないほど、その時の正則は、感動で胸が震えていたのだった。
 それにしても偶然というものには驚かされる。彼女のことに声を掛けられて、彼女のことを思い出してみれば、つい最近も、彼女のことを思い出したことがあるような気がして仕方がなかった。もし思い出したのだとすれば、きっと夢を見たのだろう。一体どんな夢を見たのか、そのことも思い出してみたいような気がした。
 今まで正則は、女性の方から声を掛けてきたということはほとんどなかった。大学の構内で、友達の女の子から声を掛けられることはあったが、それはあくまでも社交辞令でしかないことは分かっていた。それでも大学という環境の中であれば、それでも嬉しいもので、相手が彼女である必要はなかった。しかし、彼女であるに越したことはなく、彼女になった人から声を掛けられる自分を、何度となく想像してみた。
 そのうちに彼女ができて、大学の構内で声を掛けられたことがあったが、
――こんなものか――
 と、それまで想像していたことが、思ったよりあっけなく味気ないものであることに気づかされると、自分の中で拍子抜けした気がしていた。その思いから、
――大学では、結構妄想を抱くことがあったが、それが実現してしまうと、あっけなく感じられるように思えたものだ――
 何度か、妄想が実現したことがあったが、やはり想像していた通り、味気ないものだった。
 確かに大学というところは、妄想していると本当に楽しい気分にさせられる。なぜなら妄想が一番現実に近いところにいるからだ。実現可能だと思うと、ワクワクした気持ちになってくる。大学生が一番楽しいと思えるところは、案外そんなところにあるのかも知れない。
 ただ、そんなことを考える大学生はなかなかいないだろう。妄想は妄想として受け入れることができる時期であり、そんな時に必要以上のことを思うのは、せっかく感受性が強くなっている自分に水を差す気がしてくるからではないだろうか。
――流されるように生きる――
 下手に抵抗しない方が楽である。そして、
――楽できる時は楽をすればいいんだ――
 と思う。
 どうせ社会人になれば、そんなことも考えられなくなる。せっかく自由でいられる限られた時間、余計なことを考えるのは、愚の骨頂だと思うのだろう。
 それでも、心のどこかでは、
作品名:魂の記憶 作家名:森本晃次