魂の記憶
内容を思い出しては行ったが、映画を見た時、そして見終わった時に、自分がどのような印象をその映画から持ったのか、後になってしまうと分からなくなっていた。それでも少しでも思い出すということは、それまでにないことで、思い出す中の何かに、自分の心が打たれたのだろう。
後から思うと、それが最初に思い出したことだった。最初すぎて、すぐに通り過ぎてしまった感情。
――えてして思い出せないというのも、本当は思い出していて、気づかないうちに通り過ぎてしまっているのかも知れない――
と感じていた。
もし、その時に思い出すこともなく、ずっと思い出せないのだと今でも思っていれば、永遠にこんなことを感じることはなかったかも知れない。それがいつのことだったのか記憶にはないが、
――夢を見ているという夢を見ている――
という、まるで禅問答でもしているかのような感覚だったが、夢を見ていることと、忘れてしまう感覚とがリンクしているわけではないことは分かっていた。なぜなら、夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだからである。しかも、忘れていくことを目が覚めながら意識しているにも関わらず、忘れてしまうことに歯止めが掛けられない。意識すればするほど、どうにもならないこと、それが夢と現実の間にあるどうしようもない果てしない壁のようなものなのではないだろうか。
ただ、夢というのは、
「怖い夢ほどなかなか忘れないものだ」
という話をしているのを聞いて、目からうろこが落ちた気がした。まったく同意見の人がいることを知った時、
――自分だけじゃないんだ――
という思いから、胸が躍ったのを思い出した。
しかし、同時に、
――夢というのが人それぞれのもので、一種の個性のようなものだ――
とも考えていた。
その考えが、この話を聞いた時、手放しで喜べない気がした。いつもであれば同調し、会話に花を咲かせようと思ったかも知れないが、つい思いとどまってしまったのは、孤独と個性という言葉が頭に引っかかったからだ。
もし、あの時、会話をしていれば、自分の中にある内に向けられた性格が、少しは外に向けられたかも知れない。しかし、そのことが自分の信じている自分の中の個性を否定することにでもなれば、きっと自分で自分を許すことができなくなるであろう。そんなリスクを犯してまで、人と意見を戦わせようとは思わなかった。
その日の映画は、あまり印象に残っていないが、どこかでまた思い出すような気がしていた。その時こそ、
――思い出す最初のことを意識していよう――
と思ったが、本当に思い出せそうな時、今心がけようと思っていることを思い出せるであろうか。一つのことに集中すると、他のことが見えなくなる性格である。夢が思い出せそうなら、そのことだけに集中してしまうのではないだろうか?
結局、思い出そうとしていることの最初をやり過ごしてしまい、思い出したことの半分も自分の中で意識できないとすれば、思い出したことに何らかの意味を見いだせないまま、思い出すことの意義が何なのか分からないことが、いずれ自分を苦しめることになるのではないかと思わせるのだ。
そういえば、一つ映画の中で面白いものを見た気がした。
男性からモテている女性がいるのだが、別に可愛らしいというわけでも、色っぽいというわけでもない。男性の方は普段からうだつの上がらないとても、女性からモテるタイプの男性ではないところが特徴だった。
モテない者同士というのだけで、一方的に男性がモテるというのもおかしなものだ。その理由は、男性の性格にあった。
彼は、モノを捨てることができない人で、モテない男性にはそのことが分かっていて、
「あの女性なら、自分たちが捨てられることはない」
という共通の思いが芽生えることで、男性が放っておかないのだ。
モテることと、恋愛を一緒のものだとして図ることができない一つのパターンとして描かれていた。何とも後味の悪い終わり方をしていたが、それでも印象には残っていた。今日映画を見ながら、そんな過去に見た映画を思い出した正則だった。
正則は、喫茶店で映画のことを思い出しながら、文庫本を読んでいたが、ちょうど小説の内容も、以前に読んだ本と似ているところがあると思いながら読んでいた。読みながら映画の内容を思い出していると、小説の区切りがちょうどいいところに差し掛かってきた。
時計を見ると、そろそろ午後七時を回っていた。この店で夕食を食べてもよかったのだが、最近休みの日に表に出て日が暮れるまで表にいた時は、呑みたい気分になっていた。誰かを誘いというわけではなく一人で立ち寄る店が家の近くにあり、自分としては「隠れ家」のような店だと思っていた。まだこのくらいの時間なら、ほとんど客もいないだろう。一人でゆっくり呑みたい正則にはちょうどいい時間だった。
喫茶店を出ると、すっかり夜のとばりが下りていた。喫茶店から歩いて十五分ほどのその店は、駅前まで出ることもなく裏通りだけを通っていけるのも煩わしいことの嫌いな正則にはちょうどよかった。案の定、道を歩いている人はまばらだった。まだ宵の口だというのに、これだけ人通りが少ないと寂しさも感じるが、目的地が決まっていて、そこを目指しているだけなので、さほど気にもならなかった。途中には児童公園もあり、うっすらと街灯に照らされた公園は、遊戯具の足から伸びた影が、凸凹になっている地面に映し出され、歪に見えていた。昼間の子供の金切り声は好きではないが、シーンと静まり返っている公園も薄気味悪い。それでも視線だけは逸らすこともなく見ていると、寂しかった子供時代の記憶がよみがえってくるようで、あまり気持ちのいいものではなかった。
それでも、不気味さはあっても、懐かしさがそれ以上にあったのも事実である。今から二時間も前には、西日が差しこんで黄昏を感じられたのだと思うと、夜の静かな公園もまんざらでもない気がした。公園で一番嫌だったのが、夕暮れ時だった。お腹も空いてくるし、身体のだるさも半端ではなかった。子供だったからそれほど意識はなかったが、今から思えば、よく我慢できたものだと感じた。
「こんばんは」
急に後ろから声を掛けられて、正則はドキッとした。声を聞いてからしばらくは耳鳴りとして残ってしまうのではないかと思うほどその声は突然だった。
声を掛けてきたのは女性だったが、決して高い声ではなかった。恐る恐る声を掛けてきたといった方がいいだろう。「キーン」という音が耳鳴りとなって、次の声を聞き逃してしまわないかどうか不安だった。
「こんばんは」
不安を打ち消すためには、次の一声は自分でなければいけないと思い、すぐに返事をした。いや、すぐにしたつもりだったが、しばらく間があったようにも感じた。やはり耳鳴りがしばらく残ったことで、時間の感覚が少しマヒしていたのかも知れない。
自分の声は聞こえたが、少し普段と違った声だった。
それは、ヘッドホンをしたまま声を出しているような籠った声だった。それが最初に掛けられた声が耳鳴りとして残ってしまった証拠だった。
「あの、私のこと、覚えていますか?」