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魂の記憶

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 しかし、正則はその時、店の表で帰ってきたアルバイトの女の子とバッタリ出会ったことが、その日の始まりだということを意識していた。喫茶店でモーニングを食べたことがまるで無のように思っているわけではないが、彼女と表で出会った時、その日の運命が決まったような気がしたことが、
――一日の始まり――
 という思いに至ったのかも知れない。
 喫茶店の表に出たのは、十一時を少し過ぎた頃だったらだっただろうか?
 映画にはまだ早いと思い、駅前のゲームセンターに立ち寄った。喫茶店を出た時には何ともなかったのに、表を歩いているうちにお腹の具合が少しおかしくなったのだ。ただ、痛みがあるというわけではなく、感じたお腹の張りは、我慢し過ぎたのが原因だったようだ。
 ただ、ついさっきまでは何ともなかったのに、その日は急にお腹が張ったりと、体調としては最悪な日だった。喫茶店のトイレに立ち寄ってスッキリさせると、映画を見るにはちょうどいい時間となっていた。
 ゲームセンターを出てから映画館に入り、二時間ちょっとの上映時間。普段よりもかなり時間が掛かったように思えてならなかったが、時間的にはまだ昼下がりと言ってもよかった。
 駅を横切り、朝立ち寄った喫茶店の前に差し掛かると、
――もう一度寄ってみような――
 という衝動に駆られた。
 今までなら同じ喫茶店に一日に二度も立ち寄るということはしたことがなかったが、それは何か格好の悪さを感じていたからだった。だが、常連になっている店であり、店側からすれば、一日に二度も来てもらっているのだから、感謝されこそすれ、煙たがられることはありえない。
「ガランガラン」
 喫茶店の扉を開くと、いつもは気にならない鈍い鈴の音が聞こえた。
――最初の頃は気になっていたはずなのに――
 最初はその鐘の音を聞いていると、アルプスの羊飼いのイメージが頭の中に湧いていた。子供の頃に見たアニメのイメージが頭の中にあるからだった。
 表はまだ日は高く、少々歩いただけでも、背中にグッショリと汗が滲んでいた。まだそこまで気温が高いわけではないが、ここまで汗が背中に滲むというのは、それだけ背中に当たる陽ざしが強かったということであろう。
「いらっしゃいませ」
 聞き覚えのあるその声は、ついさっき話をしたアルバイトの女の子だった。声の調子はいつもと変わりはなかったが、顔を見た時に感じた安堵感は、その日、何となく普段よりもキツイ身体に元気を与えてくれているかのようだった。
 その日見てきた映画、本当は女性と見るのが一番いい映画だった。その証拠にほとんどの客がカップルで、女性一人の客はいても、男性一人の客はいなかった。館内が暗かったからよかったものの、明るいところであれば、どれほど自分一人が浮いていたことだろうか。
 正則は一人で映画を見ることや、喫茶店に入ることには、ほとんど抵抗を感じない。まわりが気にならないと言えばウソになるが、一人で気ままというのも悪くはない。何よりも、
――一人で優雅に――
 と自分自身が感じていることが肝要だった。一人を孤独と思わないことが、彼女のいない自分への言い訳だった。満足していないことでも、適度なところで妥協するというのも、一人になった自分を、客観的に見ることができるからである。
 映画の内容は、正直あまり覚えていない。
――覚えておこうと思わないようにしよう――
 と、意識して感じているからなのかも知れない。以前は映画を見て感動することはなかったが、その頃は、映画の内容をしばらくは覚えていた。しかし、覚えられないようになってから、映画を見て感動するようになった。それはテレビ番組でも同じで、ドラマなど、一度見た番組を二度も見ようとは思わない。だから、自分の部屋にあるテレビで、録画することはなかった。
 もう一度戻ってきたことで、時間も朝に戻ったかのような錯覚を覚えたが、朝最初に店に入った時間に戻ったわけではなく、一度店を出た十一時過ぎくらいに戻った気がした。
 そう、ちょうど店の前でアルバイトの女の子と出会ったあの時間に戻ってきた気がした。それを思うと、映画を見たという事実が、その日の記憶から消されてしまいそうで、複雑な心境になった。
 確かに、映画の内容は覚えていないが、映画を見て感動したという感覚だけは残っていた。
 今までにも同じ思いを感じたことがあった。
 あれは大学時代に、付き合った女の子と一番最初のデートに映画を選んだ時のことだった。映画館に入っても上の空、スクリーンを見ていたつもりなのに、頭の中では、彼女と二人、横に並んでスクリーンを見ている情景が思い浮かび、記憶として生々しく残ったものだ。
 そんな記憶が残っているのだから、映画本編の記憶など、すっかり消えてしまっていた。彼女ができたことが有頂天となり、自分が味わっている彼女との楽しい時間は、主観的に見ればぼんやりとしてしか記憶に残らない。だから、あくまでも客観的にしか感じようとしないようになってしまった。
 映画の内容を覚えていないというのも、そのあたりに理由があるのかも知れない。有頂天になることが他にあれば、そちらの方に集中してしまうのは当たり前だが、そんな自分をさらに客観的に見るのだから、自分の物語に集中してしまい、映画どころではない。
――俺は、一つのことに集中すると、他のことが見えなくなる――
 その思いが心の中にあり、いつも感じている。
 映画を見て感動した時など、内容を覚えていないのは、
――覚えないようにわざと心がけている?
 と思うのも、自分を客観的に見たり、見れる範囲が狭かったりするからであろう。
 その日の映画の内容で、覚えている個所と言えば、
――男性主人公が道を歩いていて、その後ろから声を掛ける女性がいる――
 そんなシーンだった。今から思えばその作品は、終始、男性主人公の「目」に映し出された光景が、そのままスクリーンに映し出されている。確かラストシーンは、男性主人公の「目」というカメラが、プツンという音を立てて消えてしまったところで終わっていた。スタッフやキャストの名前がしたから上にロールアップされてくる映画ではおなじみのシーンが映し出されても、すぐには、
――これがラストシーンなのか?
 と感じたほど、最後は意外な内容だった。ラストシーンからおなじみの場面に変わっても誰も席を立とうとしない。誰もが、意外なラストに、席を立つことすら忘れてしまっているかのようだ。
 実はそのシーンがまるで映画のラストシーンのように思えていて、、内容は忘れてもそのシーンを覚えていることで、
――感動的な映画だった――
 という意識は残っている。
 ただ、今までに映画の内容を忘れてしまったと思い込んでいたが、時間が経つにつれて、映画を次第に思い出すこともあった。その記憶は一度だけのもので、他には一度もなかった。
――感動した映画の中でも、さらに異色な感じを受けた映画だったに違いない――
作品名:魂の記憶 作家名:森本晃次