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魂の記憶

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 という、トラウマという言葉に対してトラウマを感じたからなのかも知れない。
――捨てられない――
 というこの感覚は、由紀子の中で次第に奥深いものになっていって、気が付かないうちにまわりを巻き込んでいたことに気づいていなかったのだ……。

                  第二章 目力

 真田正則は、その日仕事が休みで、別に何もすることもなく時間を持て余していたが、一人自分の部屋にいるのは嫌だった。
「俺は貧乏性だからな」
 学生時代からあまり友達はおらず、友達ができたとしても、その他大勢の中の端の方に追いやられるだけの、
「形だけの友達関係」
 だったのだ。
 そんな友達関係にほとほと嫌気がさしていた。かといって、自分から友達を作ろうという気はしない。小学生の頃は、自分から声を掛けなくても、いつの間にかそばに誰かがいた。そんな正則をクラスメイトは、
「お前は本当に不思議なやつだな」
 と言っていたが、正則はそれを悪い方には解釈しなかった。
――これといって特徴のない俺に、友達がついてくるのが不思議なんだろうな――
 と思っていた。特別なことをしなくても、友達というのは、勝手に自分に寄ってくるものだと思っていることで、それ以降も、自分から友達を作ろうという努力をしなかった。
 それどころか、余計なことをしない方が友達はできるものだと思ったことで、元々内に籠る性格だった彼のそんな性格を確立させることになったのだ。
 そういう意味では正則の性格のほとんどは、小学生の頃にすでに確立していたのだといっても過言ではないだろう。
 小学生時代というと、正則には人に言えない過去を持っていた。
 そのことにはまだ触れることはできないが、それが正則にとって運命の出会いをすることで、大きなトラブルを引き起こす火種になるとは、思ってもみなかった。
――やっぱり内に籠る性格になってしまったのは、あの時からだ――
 正則には、その意識はあったが、その頃から前後して、急に友達が自分から遠ざかっていったのだが、当の本人である正則は、すぐにはそのことに気づかなかった。
 気づいた時には、
――別に友達なんかいなくてもいいや――
 と思うようになっていて、今まで自分が信じていたことや感じていたことが間違いであったのではないかと感じ始めていた。
 しかし、感じ始めた中で、その思いを否定しようとする確固たる自分がいるのも事実で、どちらの感情が強くなるかで、まわりに対しての印象も違っていた。まわりから、
「あいつは二重人格だ」
 と言われるようになったのはその頃からで、二重人格の何たるかを知らぬまま、まわりから言われていることに対し、素直に、
――俺は二重人格なんだ――
 と、勝手に思い込んでいた。
 実は、思い込むことの方が気が楽なこともある。下手に余計なことを考えないで済むからだ。
 二重人格とまわりに思わせるのは、この、
――下手なことを考えないで済む――
 という気持ちが、無意識にまわりに流される自分を演出し、その影響でまわりから、
「二重人格だ」
 と思われるのかも知れない。
 だが、正則はそんな時、
――二重人格というのは、ある意味都合のいい性格なのかも知れない――
 と感じていた。
 まわりからあまりいいようには思われないようだが、自分が「逃げ」に入った時、これほど「つぶしの利く言い訳」はないだろうと思えたのだ。
 子供の頃は、人から何と言われようと、あまり気にしないような性格だった。それが中学生になった頃から、急にまわりの目が気になるようになってきた。しかし、大学に入った頃からは、今度は小学生の頃のように、まわりの目を気にしなくなっていた。大学に入ってからというのあ¥は、まわりを見ていると感じてきたことなのだが、
――いろいろな性格の人がいても、それはそれでいいではないか――
 と思うようになったからである。
 大学時代というのは、幅広く何でも考えていいのだと思っていることから、敢えて人からあまり友達になりたいとは思われないような連中に、自分から近づいていくようなことがあった。
「あいつはあまのじゃくだ」
 と言われるようになったのもその頃で、別にあまのじゃくが悪いことだとは思っていなかった。
 だから、性格が小学生の頃に戻ったわけではなく、グルッと回ってきたことで、元に戻ったように見えるだけで、実際にはかなり違うところに着地していたのだ。
「小学生の頃の自分は、あまり好きじゃない」
 と、人から小学生の頃のことを言われると、そう答えてから、それ以上何も語ろうとはしないに違いない。
 正則は、小学生の頃を、自分の中でのブラックボックスだと思うようになり、その頃の話は、自他ともに避けるようになっていた。他人が昔の話をし始めたとして、自分に関わりのある話に展開すれば、
「ごめん、用事ができた」
 などと適当なことを言って、その場から立ち去っていた。
 もちろん、まわりも正則が適当なことを言っているのを分かっているので人によっては露骨に嫌な顔をするかも知れないが、そんな顔をされるのを覚悟しながらでも、それでもその場にいたくはなかったのだ。
 そのおかげで友達も少なくなり、まわりにいるのは、昔の自分を知らない連中ばかり。小学生の頃の自分を知る人は、少なくともまわりにはいなかった。
 その日は、いつもの休みの人変わりなく、一人で出かけた。何かをするというわけではないが、一旦出かけることを戸惑ってしまうと、出かけるのが億劫になってしまう。そんな時に限って、昼過ぎ頃に、
――さっさと出かけておけばよかった――
 と後悔してしまうのである。
 休みの日に出かけるとすれば、部屋を出るのは朝の十時までには家を出るようにしている。ただ、平日に休みが多い正則は、あまり早く出かけることはしない。理由は、言わずと知れている。ラッシュの時間を避けたい一心だったのだ。
 そのためには八時半から九時くらいまでが一番電車に乗るには都合がいい。九時半を過ぎると今度は百貨店や専門店の開店に合わせて出かける人たちの波に呑まれてしまう。ただ出かける時間が絞られた方が、行動しやすいのもある。出勤の日と休みの日、時間は違えども、最適な時間を自分なりに模索し、そのおかげで休みの日であっても、不規則な日にならなくてよかった。
 時間に対してルーズになると、一日が台無しになるということも自分なりに分かっていた。だからこそ、昼から出かけることが億劫になってしまうのかも知れない。億劫になるのは別に性格がずぼらだからではない。いつも規則的な生活をしている人にとってのリズムを崩すことが影響しているに違いない。
 その日は、まず珍しくお腹が空いていたことで、喫茶店でのモーニングサービスを食べることにした。馴染みの喫茶店にはなっているが、モーニングの時間に立ち寄るようになったのは最近のことだった。
 大学時代には、よく喫茶店に立ち寄ってモーニングサービスを食べていた。スポーツ新聞を読むのも楽しみで、別に好きなプロ野球球団があるわけでもないが、嫌いな球団はあり、そのチームが負けた時に新聞を見るのは楽しみだった。
作品名:魂の記憶 作家名:森本晃次