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短編集4(過去作品)

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どうも婚約者に不満を持っているらしく愚痴のようなことを羅列しているように思えるが、元々愚痴など零すタイプではない姉のそれは、理解に苦しむ内容だった。しかしそれだけに姉の苦しみも十分伝わってきて、苦しんでいる様が目に浮かぶようだ。
 ムズムズした気持ちはどうにも治まりそうにもなく、とりあえず手紙をテーブルの上に投げ出した。
 同じ月を一緒に見ていた姉……。あの時の表情を思い出した。たぶんここに姉がいて私が話を聞いてあげていたならば、それを聞いている姉はあの時と同じ表情をしているのではないだろうか?
「あなたに話すと落ち着くの。」
 しかしその後の言葉が果たして出てくるかどうか……。
 さっきまで頭の中に浮かんでいた姉の顔が少しかすんできた。イメージするのがやっとの状態になったかと思えば、次第に私の意識すらボヤけて来るのが感じられた。
 ねえさんの呼ぶ声が聞こえてきた。どこからともなく私の名前を呼んでいる。
 子供の頃によく姉から「おいでおいで」をされたのを思い出した。いつも友達からいじめられて帰ってくる私を姉は、神社の祠の裏に私を連れ込み抱きしめてくれた。なぜそんなところで人知れず……と思った私だったが、わけ分からないままでも姉と二人の秘密を持ったことに密かな悦びを感じていた。そして私を呼ぶその声は、その時の私を思い出させるのだった。
 姉の背後に明るく光る月が見える。月の光が明るすぎるため、姉の姿はシルエットとなり、表情を確認することはできない。月明かりに照らされた私の表情を見て姉はどう思っているだろう? 自分としては驚愕にも怯えにも似た思いがあるのだが、意外と無表情な自分しか思い浮かべることができない。
「おや?」
 私は今とんでもないことに気が付き、声を掛けられなくなった。シルエットとなってこちらを向いている姉の足元に視線が行った。
「影?」
 そう普通であれば足元から不気味に伸びているはずの影がないのである。身体の何倍もあろうかという影があってこそ初めてシルエットとしての不気味さが醸し出されるのであるが、不気味さとして感じることができないほどその場が異様だった。実際気が付くまでの間というものは得体の知れない金縛りに遭ってしまい、固まった表情が却って気持ち悪さを誘うことになるだろう。
「?」
 首を回すこともできず、ずっと下を向いていたのだが、よくよく見ていると勘違いであることが分かった。一瞬、「なあんだ」と思ったが、次の瞬間には違う思いが胸騒ぎとなって私に襲い掛かった。
「そうか、影がないわけではなく、薄いだけなんだ」
 安心したもつかの間、
「薄い?」
 影が薄いということは死期が近いことを現しているのではないか? 胸騒ぎはやがて言い知れぬ恐怖となっていく。
「え?」
 そこまで考えると今まで金縛りに包まれ動けなかった身体が急に軽くなり、首も回るようになった。そこでまず私が取った行動はまわりを見渡すことだった。
 あたりは月明かりのため、凹凸がくっきりと黄色く浮かび上がり不気味ではあったが、安心できる明るさであった。
 なぜ気が付かなかったのだろうと思えるほどじっと私を見つめながら立っている人がいる。無表情なその顔に驚愕を覚えたが、それよりもその顔が次第に姉に見えてくるから不思議だった。じゃあ、月をバックに私の前にいた人は? 
 もう一度前を振り返ると、確かにそこに人はいるが、どうやら姉ではないようだ。私には最初からそれが誰だか分かっていたのだろう。そんな風に思えて仕方がない。
 もう一度振り返り、姉を見た。先ほどの無表情とは違い今度は明らかに微笑んでいる。しかし今までに一度も見たことのないような不気味な姉の笑みは私を不安にさせた。目のやり所に困った私は徐々に視界を広げていく。
 そこまでは一連の流れであった。自分の背後に広がる全貌から視線を下げるまでは、一切の無駄のない動きだった。そこで気が付いたことにまったく予感がなかったといえば嘘になるかも知れない。しかし姉のことを思うばかりに、驚愕や恐怖とは別の複雑な思いがあったことも事実で、とても一言で言い表せるものではない。
「私も影がない? いや薄い?」
 そのことに気が付いたのは夢から覚める前だったのかは定かではないが、しばらく放心状態だったことは事実のようだ。コーヒーの酸味を含んだ香りが鼻をつき、身体を動かすことはおろか、考えることすら億劫になっている自分がいるのを感じていた。
 しかし、次第にコーヒーの酸味を感じることはなくなっていた。
 そうだ、出て行こうとした綾子を強引に引っ張り、思い切り壁に叩き付けた。それからグッタリとしてしまった綾子をしばらく放心状態で見ている自分が目に浮かぶ。
 潔癖症であるがゆえに招いてしまった私の罪である。
 部屋の中に充満し始めた腐敗しつつある臭い。すでに耐えられるものではなくなっていたにやっと気が付いた。
 姉から来た手紙……、あれが姉の最後の消息であったことは先日掛かってきた母の電話から明らかだが、
「まさかあの姉が失恋ごときで……」
と感じたことがまるで昨日のことのようである。
 しかし今の私は一番そのことを分かっている気がする。人間、考えることができなくなった時ほど無表情になれるものだと今さらながらに気が付いた。
 どうせ内臓疾患のため長くはないであろうこの命、今さら惜しいことなどない。やってしまったことへの後悔も感じない。
「そうだなあ、鍵が合わなかったんだなあ。綾子とも、姉とも……」
 薄れいく意識の中で感じている。一緒に見た月の黄色が網膜を焦がし、それだけが意識として残っている。
「姉が私を呼んでいる。おいでおいでをしているのだ。姉さんと同じ世界にいる私を綾子は許してくれるだろうか? あの世では……」
 事切れる瞬間、姉の顔が頭に浮かぶであろう。綾子の死の原因がすべて姉を想う私の心にあることを永遠に封印しながら……。

                (  完  )

作品名:短編集4(過去作品) 作家名:森本晃次