短編集4(過去作品)
「ええ、そうですね。でも私は思うんですよ。この仕事には向き不向きがあるってね。まあ、それはどんな仕事にもいえることですがね」
「そうですね、あなたは営業に向いてるんですか?」
「少なくともそう思ってやってます。そう思えない人は、やっぱり向いてないかも知れませんね」
彼女は二度、三度と大きく頷いた。そしてその視線が一瞬、奥のカウンターに向けられたことを不思議に思う私だった。
「あやさんは、どうなんですか?」
「私? そうですね。まだそこまでは思えないかしら」
しかしその顔には自信のようなものが表れていて、この仕事がそれほど短くないことを示している。
しばらく、他愛もない世間話が続いたであろうか? 課長とママは相変わらず奥で話しが弾ませているようだ。
まわりを見ると、もうすでに客は少なくなっていて、閉店時間の午後十時が近づいていることを示していた。
後片付けも一段落したその時、ママが気がついたようにあやを呼んでいる。
「今日はもう上がっていいんですって、今、ママから言われました。課長さんは少しママとお話があるそうなんで、星野さんと一緒に帰っていいわよって言われたの」
ママと課長の方を見ると、相変わらず話し込んでいる。
戻ってくる時のニコニコした表情から何となく想像がついた。
「これから、どこか行きますか?」
「ええ、じゃあ、私の知っているスナックでも行きます?」
すんなりと決まった。
いつもであれば誘いかけたりしない私だったが、その場の雰囲気と彼女の熱い目がそうさせたのだろう。
すでに私の心の中で初対面とは思えない彼女がいた。初対面で誘いかけることなどないのに、誘いかけたのは課長とママの心遣いもさることながら、少なからず彼女の私を見る目が潤んでいたのかも知れない。
「私がよく行くスナックはこの近くにあるんですが、時間はありますか?」
「ええ、ご一緒してもよろしいんですか?」
「もちろんです」
そう言うと彼女はママに一言断りを入れ、私を即すように表へと出た。
あまり派手ではないが暖かそうなコートを羽織っているのを見ると、控えめな性格であることが想像できる。
気のせいか私に寄りかかるように歩く彼女を見ていると、まるで恋人同士のような感覚になるから不思議だった。ビルの谷間を吹き抜けていく風が、火照った頬に心地よく感じられる。
このあたりは確かにビルが密集しているが、ごく狭い範囲に集中していて、それほど都会というほどではない。まわりには住宅地が多く、田舎というわけでもない。私の住んでいるアパートも近くなのだが、たまに空を見上げるのが好きだった。
星が出ていることは多いのだが、煌くほどの星を見たことなどほとんどない。それがこのあたりの空だと思っていつも見ていたが、今日の空は少し趣きが違っている。
「きれいな星空ね」
そう言って空を見上げるあやにつられ見上げた空は、まさに「満天の星空」だった。あまり見たことのない「煌く星」をしばし見つめていた。しかもまるで落ちてきそうな空がこれほど近いものだとは、今まで想像もしなかった。
だんだんと近づいてきそうな星空を見上げていると、過ぎ行くビルの谷間があっという間で、気がつけば目的のスナックに着いていた。
落ち着きのある店内ではあったが、客はほとんどおらず、あやに連れられるまま、奥のテーブルへとやってきた。
「あら、珍しい。あやちゃん、今日は奥のテーブル? しかも同伴で」
カウンターの中にいる女性から声を掛けられたあやは、軽い笑みを浮かべただけで、たいした挨拶もしなかった。女の子たちも分かっているのか、それ以上聞かなかったが、どうやら彼女はいつも一人で来るらしいことだけは分かった。
奥のテーブルは薄暗く、あやは喫茶店と違う趣きがあり、二人きりで話すには最高の場所だ。しかしそれが果たして初対面の私でいいものかどうか、考えあぐねていた。
「緊張なさってるの?」
私の素振りからか、すっかり見抜かれているようだ。
「ええ、まあ、女性と二人でスナックに来るなんて初めてですから」
私の言葉を聞いて、一瞬彼女の顔に疑惑の表情が浮かんだ。その表情は一種真面目で、怪訝な表情にさえ写った。しかし、彼女の表情は一瞬で、自分でもよく気がついたと思えるほどである。
彼女はそのことにそれ以上言及しなかったが、私にとってそれがよかったのかどうか、はなはだ疑問が残った。
「星野さんとおっしゃいましたよね? 私と会うのは初めてかしら?」
「?」
先ほどあやを初めて見た時の記憶がよみがえってきた。
――やはりどこかで見たことがあると思っていたのは間違いなのではないか――
納得しているわけではないが、あやも同じ思いを持っていたことは意外だった。
「以前から、お知り合いだった気がして仕方がないの。先ほど、あなたの顔を見た瞬間にそう思ったんですのよ」
先ほどの異常なまでの彼女の緊張は、そういうことだったのだ。それにしても相手に感づかれるような表情を私がしていたなど、私としては迂闊だった。
やはり客相手、人の観察には優れているのだろう。
「確かにそうなんですよ。どこかで見たことあるような気がしているんですが、いつ、どこであったかなど、はっきりしないんです」
「それも、ごく最近?」
私の言いたいとこを、ことごとく看破するあや、半分気持ち悪いくらいである。
世間話的に最近の自分たちについて話をしてみた。
しかし、話せば話すほど二人に接点はない。そのうち会話は初めて会う二人のような、気の遣い方をする話へと変わっていった。
だが、二人に共通点がないではなかった。
お互い出身が九州ということで、九州の話題に花が咲いたことはいうまでもなく、年齢的に近いこともあって、音楽の話題など、話し込めば考えていた時間などあっという間に過ぎてしまっていた。
彼女はまだ大学生で、アルバイトとして喫茶店を選んだらしいのだが、私から見て喫茶店が似合う女の子としてのイメージが固まっているせいか、学生と言われて最初はピンと来なかった。
時計を見ればすでに日付が変わっていた。この店に来たのがまだ午後八時くらいだったことを考えてまだ午後十時過ぎくらいだと思って余裕だったのだが、周りを見ると結構後から増えた客により喧騒とした雰囲気に包まれていた。
「すみません。こんな時間まで付き合わせてしまって」
心底彼女に悪いと思った。あまり化粧をすることもなく、まだあどけなさの残るような彼女をこんな時間まで付き合わせてしまったことに対して、罪悪感すらあった。会話をしていても楽しい会話に対しては大声で笑い、心の底から楽しんでいる様子は、まだ学生の雰囲気を醸し出している。
「あ、いえ、私も楽しかったです」
「送りましょうか?」
「ええ、私、田舎から出てきて一人暮らしなんですよ。だから心配してくれる人もいないんです」
「じゃあ、なおさら送りましょうね」
そう言って店を出ると、私には意外にも深夜のこの時間、人通りが多いのを感じた。
しかもそのほとんどがアベックで、腕を組んだり、肩を寄せ合ったりと、いかにも胸の鼓動が激しくなりそうなシチュエーションであった。
作品名:短編集4(過去作品) 作家名:森本晃次