短編集4(過去作品)
まさか初デートから彼女のすべてを知ることになるなんて、最初からの予想にはないことだった。確かに私に好意を持っていてくれていることは、デートに誘った時の屈託のない笑顔を見て分かっていた。しかし、ここまで一日で発展するとは思いもしなかった。
「きっと永遠に忘れることのない日になるだろうね」
「ええ、私もそうだわ」
幸せの絶頂にいると思いながらも、一抹の不安があったことは、この言葉を口にしたことで自覚していたのかも知れない。
――彼女にも、今の気持ちを確かめたかった――
これが真意だったのかも知れない。
――それがひょっとして悪かったのかな?
と思ったのはその翌日だったのだ。
「私、やっぱり自信がないわ」
その言葉は予想できないでもなかった。しかし、もう彼女はそんなことを言うはずのない女性として、私の中にいたのだ。どうしようもない葛藤が私の中で大きくなり、完全に追いかける人になってしまっていた。
追いかければ逃げていく。何とか解きほぐして会話を続けるが、内容は同じことの繰り返しになってしまった。
もうそれ以上の言葉が続かない。終わってしまったと思うだけで、永遠に続いてしまいそうな沈黙が、耳鳴りとなって襲ってくる。
――もうだめかな?
さすがにそう思った時だった。
「ごめんなさい。やっぱり私はあなたがいないとダメだわ」
そう言って私のアパートにやってきた。
「酔っているのか?」
フラフラになって寄りかかってくる身体を抱き寄せると、やけどしてしまうかのような熱さを身体全体で感じた。最初に感じなかったのは自分の身体が冷え切っていて、そのことに自分が気がついていなかったからだ。体温に麻痺しかかっていた身体が反応するまでには、思ったより時間が掛かったのであろう。
ほんのりと赤らんだ顔で見上げられると、潤んだ目に吸い込まれそうで、まるで自分も酔っているような錯覚に陥った。甘いフルーツのような香りに、時折酸っぱさを感じるのは、飲んだのがワインであることを示していた。
「しっかりしろよ」
「大丈夫、酔ってないわよ」
と言いながら、さすがに千鳥足で脱ごうとする靴もままならず、思わず土足で上がりこんできそうなほどであった。さすがに寄りかかった身体をそのまま座らせ、靴を脱がせることに成功したが、中に入ってから普通に歩くことは無理だった。
――よくこんな状態でここまで来れたな――
不思議に思ったが、きっとここまで来るまでは、ある程度正気に近かったのだろう。たどり着いてさらに私の顔を見るなり、緊張の糸がプッツリ切れてしまったのではないか、と私は思いたい。
腰を抱いた手に力が入る。
彼女も分かっているのだろう。私の腰に回した手に力を入れようとしているのだろうが、如何せん、思うように力が入らない。そんな気持ちがいとおしく思う私は、そのまま抱きかかえて部屋の中まで入ってきた。
思わず唇を塞いでいた。甘い香りが漂ってくる。今までに柑橘系しか感じたことのない私には新鮮だった。きっとアルコールがエッセンスの役目を果たしているに違いない。
その日、さすがに会話はなかった。
しかし、その夜に見た夢はまさしくその時の続きだった気がする。
逃げていく彼女を追いかけ、追いつくとそのまま後ろから羽交い絞めにする。少し震えている彼女の顔は前を向いていて分からないこともあってか、想像するには無理があった。
こちらを振り向く彼女を見ると、そこには満面の笑みが浮かんでいる。それが最初から私の想像していた顔だと思い込む……。
今までにも同じようなシチュエーションが何度かあった気がする。しかしそれがすべて夢だったことは分かっている。なぜかというと夢の中だけで、
――同じシチュエーションだ――
と思うのであって、夢から覚めてしまえば、まるっきり忘れている。
きっと、それも一瞬のことなのだろう。
――夢の中には本当にあったことも含まれているかも知れない――
そう思ったのは、喫茶店から見えるクリスマス・イルミネーションがあまりにも綺麗だったからである。街路樹に彩られた無数のイルミネーションが点いたり消えたりしているのを見ていると、一つ一つが大きく見えたり小さく見えたりしるから不思議だった。
時折、煌びやかに光っている明かりを見た時、一つの出来事が私の脳裏の走馬灯に映し出される。
――いつもギリギリのところで、行ったり来たりしている――
綱渡りの人生が煌びやかな明かりの裏に見え隠れするのが見える。
今までにこんな思いをしたことなどなかった。
私はいつも女性から逃げられる方だった。理由なんてその時々で違っていたが、それも私にとってはっきりすることではなく、気がつけば女性たちが私から離れて行ったのだ。
「あなたは優しすぎるのよ」
だったり、時には、
「あなたは私にはもったいないわ」
などと、見え透いた嘘を言われては、追いかける気力も失せてしまう。中には本当にそう思っていた人もいるかも知れない。しかし、別れのパターンの予測がつく私には、誰もが同じような女性に思えて仕方がなかったのだ。
しかしよくよく思い返してみると、私と別れた後の彼女たちの人生はロクでもないものだった。男に騙され続けている女性や、男に尽くしているつもりでも、傍から見れば「貢がされている」としか思えない人もいる。そんな噂は逐一入ってくるものだ。私も彼女たちと付き合っていた時、何か言われていたことだろう。
――別れてよかったんだ――
本当にそうなのか分からないが、少なくとも自分の中では、割り切るようにしている。
――何かを忘れているような気がする――
イルミネーションを目の当たりにして、その思いが確信に近づいてくる。コーヒーの香りが、私を忘れていた何かに語りかけているようだ。
夢とは、起きる寸前の一瞬に見るものだということを聞いたことがある。もしそうだとするならば、その一瞬の間に私は時を飛び越え、記憶という綱を手繰り寄せているのだろう。それだけに夢の世界と現実とでは隔たりが大きく、凝縮された記憶を現実が思い出すことは大変なことなのだ。
夢と一言で片付けてしまうが、いくつか種類があるのかも知れない。悪いことを閉まって置く場所と、いいことを閉まっておく場所に違いがあり、決して同じ夢の中で遭遇することはない。
しかしそれは本当だろうか?
起きて思い出すのは確かにどちらかの夢だ。しかし、それは印象に深く残っていることを思い出すだけではないのだろうか?
――そういえば、クリスマスソングが、虚しく聞こえる時がある――
しみじみした曲を虚しいというのなら分かるが、普段ならウキウキした気分になれる局でさえ、虚しく感じるのだ。
はっきりと見えていたイルミネーションがぼやけ始めた時、それまでウキウキした気分がスーっとしてくる。それが最初なぜだか分からない。それが分かるのはイルミネーションにシルエットのごとく浮かんでいる家族連れの姿を見る時だった。顔などもちろんハッキリするはずもなく、お父さんお母さんに連れられた子供が楽しそうにそれぞれの顔を見上げている姿である。
作品名:短編集4(過去作品) 作家名:森本晃次