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宿命

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 俊三の見る夢が、それまで未来ばかりを見ていたはずなのに、未来をまったく見なくなったのはいつ頃からだったのだろうか?
 俊三はそれを、
――俺自身が、人生の半分を過ぎたということを自覚してしまった証拠なのではないだろうか?
 と感じるようになっていた。
 実は、三十代中盤からその意識は持っていた。
――夢が過去ばかりを見て、未来を見なくなる時期がきっとやってくる――
 というものだったが、その考えは自分に不吉な思いしか抱かせなかった。
 それは最悪、死というものが近づいた証拠なのかも知れないと感じたからだ。
 動物は自分の死期を悟るという。特に野生の動物は、自分の死が近づくと、自分に関わった人から離れて、決して自分の死ぬところを見せようとはしないと聞いたことがあった。もちろん、本能がそうさせるのだろうが、本能といえど、説明ができて、納得のできる答えがあることに違いない。人間の感覚と動物の本能とでは、決して交わることのない平行線を描いていて。その間には越えることのできない結界が存在しているのだろうと思っている。
 俊三はそこまで深刻に考えたわけではないが、人生の折り返し点に立つことになることは感じていた。
――じゃあ、人生を折り返したという意識を感じる瞬間が、本当に訪れるのだろうか?
 と考えてみた。
 実際には、そんな時期を感じるはずもない。いつ死ぬか分からないから人生なのだ。そう簡単に人生の折り返し地点が分かって溜まるものではないはずだ。
 そう感じた時、
――夢が動物でいう本能と同じ効果を感じさせるものなのかも知れない――
 と思った。
 あくまでも感じさせるものであって、本能とは違うものだという考えだ。なぜなら、人間の潜在意識と、本能とでは違っているからだ。動物には本能はあっても、潜在意識というのがあるのだろうか? 犬や猫も夢を見ると聞いたことがあるが、人間のように潜在意識が見せるものだと言えるのだろうか? 動物の態度を見る限りでは、急に態度が変わるということはない。彼らは感情を人間に対して隠しているのかも知れない。感情らしく見えることも、本能から来るものだとすれば、
――動物と人間の一番の違いは、動物には潜在意識というものが存在しない――
 ということではないだろうか。
 俊三は子供の頃に家で飼っていた犬を思い出した。
 従順な犬で、家の中で一番気にしていて、一番可愛がっていたのは俊三だった。だが、誰に一番媚を売っていたかというと、それは母親だった。子供心に嫉妬したものだが、エサをくれる母親に一番媚を売るのは当たり前のことで、分かっていたはずなのに、そのことを認めたくないと思う自分がいたのだった。
――嫉妬というのは、自分が嫉妬しているのが分かっているからこそ、止められないのではないか?
 と思っている。
 意地になってしまっているのだろうが、
――ここまで来て止められない――
 という思いが強い。人と関わりたくないという思いとも密接に結びついていて、
――ひょっとすると、俺の人と関わりたくないという感情は、今に始まったことではなく、子供の頃から燻っていたものなのかも知れないな――
 と感じることもあった。
 子供の頃の記憶が二つ存在しているように思っているので、どっちの記憶なのかハッキリとしないところもあるが、その根本には意地を張っていた自分がいたことは分かるような気がしていた。
 あれは夢だったのだろうか? 
 俊三は自分の人生を振り返って、失敗したと思うところからやり直したいと申し出ていた。
 教会のような場所で、自分は跪いている。目の前にはキリストが磔になっていて、その向こうのステンドグラスから、光が漏れていていた。
 レインボーのその光は、眩しさというよりも、夕焼けのようなどんよりとした明るさに思えた。
 見上げていると、そこに一人の神父が立っていた。逆光で顔は見えない。後光が差しているように見えるので、本当の大きさは分からなかったが、思ったよりも小さく感じられた。
 神父と思ったのは、思い過ごしかも知れない。その人は何も言わず、俊三を見下ろしていた。
「俺は、ある地点からでいいので、人生をやり直したいんだ」
 と告げた。
「それは無理だ」
 神父と思しき男が告げた。目の前にいるにも関わらず声がどこから聞こえてくるのか分からいくらいだったので、それだけ建物全体に声が響いたのだろう。しかし、最初に発した自分の言葉は建物に響いた感じはしなかった。不思議な空間を味わっているのだと感じた。
「なぜ、無理だと?」
「君が望んでいる地点から人生をやり直すと、それまで平和に暮らしていた人の人生を狂わせることになる。だから、それはできない」
 そんなことは言われなくても分かっていた。それなのに、どうして人生をやり直したいなどと告げたのだろう? ダメだと思っていても、口に出してしまわないと我慢ができなかったからだろうか? もしそうであるなら、この世界が夢の世界だと最初から自覚しての言葉だったに違いない。
――夢の中なので、何でもありだ――
 と思ったのだろうか?
 それとも、夢の中だということを自分の中で証明したいとでも思ったのだろうか?
 どちらにしても、夢の中だという意識があったのは間違いのないことで、普通に教会の中で神父に懺悔をしているような妄想であればいいはずなのに、どこか普通の教会とは違う雰囲気を感じていたのは、夢を見ているという意識の表れではないかと思っている。
 大体、神父が相手のことを呼ぶのに、「あなた」ではなく、「君」という表現を使うのもおかしなものではないだろうか。同じ夢でも普段とは違う夢を見ていると思うのは、
――現実であってほしい――
 という思いもあるからだ。
 だが、俊三は本当にどこまで遡って、自分の人生をやり直したいと思っているのだろう?
 最初、神父にお願いした時は、おぼろげであったが、大体の場所は見当がついていた。しかし、神父に無理だと言われた瞬間に、それがどこだったのか忘れてしまった。そんなに中途半端な意識しかないのに、本当にやり直したいと自分で思っているのかということも疑問に感じられるほどだった。
 そういう意味では断られて安心している。人生をやり直すなどできるはずもなく、本気で望んでいるわけでもないからだ。
 やり直せるのだとしても、自分がやり直したいと思っている時点からやり直して、もっと悲惨な人生が待っていたら、後悔してもしたりないだろう。
 そんなことを考えていると、
「人生を途中からやり直すことはできないが、別の人生を途中から歩むことはできる」
 神父は不思議なことを言い出した。
「どういうことですか?」
「今の記憶を持ちながら、別の人生を進めることができるということなんだが、君はパラレルワールドという言葉を知っているかね?」
 神父に似つかわしくもない、科学者のような言葉が飛び出した。
「知っていますが、それが何か関わってくるんですか?」
作品名:宿命 作家名:森本晃次