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宿命

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 マスターにとって、自分をあまり表に出さないのは、お客様に対してのマスターなりの気の遣い方だと思っている。
――そんなマスターが違う表情をすれば、まったく違う人間のような顔になるのだろうか?
 一人の人の表情がまったく違って見えるというのは、今までの父親には考えられないことだった。彼のまわりには、ほとんど同じ表情の人しかいなかったのだが、それは、父親が御曹司だということもあって、まわりが必要以上に気を遣っているからだった。
 今も、それほど変わっていないと思うが、昔は腫れ物に触るような人が多かった。貧富の差が激しい時代だったこともあって、昔からの主従の時代の名残も残っていたりする時代だった。
――そんな視線にはウンザリだ――
 と思っていながら、一番そんな時代を意識していたのは、本当は父親だったのかも知れない。
 だが、この店はそんな雰囲気を感じさせない。
――微塵もない――
 と言えるほとではなかったが、それは、あくまでも父親の被害妄想のようなモノが招いた考えだった。特に一人でやってくる客が多いこのバーでは、誰もまわりに遠慮など、本当はしていないのだった。
 お世辞にもあまり流行っている店だとは思えなかった。それでもやっていけるのは、
――きっと常連でもっている店なんだろう――
 という思いがあったからだ。
 だが、客のほとんどは一人で佇んでいる人ばかりで、どの人が常連なのか分からなかったが、逆に皆常連だと思うと、この店に集まってくる人の特徴のようなものが、何となく見えてくるような気がしていた。
 それは、形で表せるものでもなく、言葉で表現できるものではない。誰もお互いに話すことのない雰囲気が、客の一人一人に充満している。
「ここは、皆それぞれの中で、『隠れ家』として利用してくれるような店を目指していると思ってくれていいですよ」
 と、マスターは答えた。
「じゃあ、この間の人もそうですか?」
「そうですね」
 この間の人と言っただけで分かるところが、さすがはマスターだった。父親はこの店で数人の客を見たのだが、最初に見たのが、その人だった。さぞや不思議そうな眼差しを浴びせていたに違いない。
「こんばんは」
 思わず声を掛けた。
「今度は二回目ですね?」
 とニコニコしながら、その人は答えた。
「ええ、そうですね」
「でも、本当は二回目ではないとお考えでしょう?」
「えっ、実はそうなんです」
「それはきっと、私とよく似た人の記憶があって、私を見ていると、どうしてもその人の記憶がよみがえってくることで、あなたの中で意識が混乱しているからなのかも知れないですね」
「どういうことですか?」
「あなたは、デジャブという現象をご存じですか?」
「ええ、知っています。『初めて会ったはずなのに、初めて見た光景のはずなのに、以前にもどこかで……』という現象のことですよね?」
「ええ、そうです。デジャブを感じると、どうしても目の前に見えていることよりも、前に感じたはずの意識を何とか思い出そうとする。デジャブを感じた時ほど、過去の記憶が曖昧なことはないはずなのに、それでも思い出そうとするのは、無理を押し通そうとしておる証拠でもあるんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、しかもそれは、何かの辻褄を合わせようとする意識の表れでもあるんですよ。一つのことに集中してしまうと、他のことが目に入らない人などに、特に序実に現れるものえではないのだろうかって、私は思います」
 意識や記憶の辻褄を合わせようとするのは、
――自分を納得させよう――
 という意識の表れだと思っていた。
 その思いは最初からあったわけではなく、最近感じるようになったことだった。それがいつだったのかというと、執事が交通事故で亡くなったあの前後のことだったように思えてならない。
 頭の中を記憶と意識がシャッフルしているように感じた。目の前にいる人と、亡くなった執事のイメージが一度かぶってしまった。一度かぶってしまうと、なかなか抜けないもので、ずっと思い出せなかった執事の顔が、まるで昨日会ったことのように思い出せるのだった。
――この人がデジャブを話題に持ち出したのは、まるで俺の心を見透かしているかのように思える――
 と感じた。
 父親は、なるべく亡くなった執事のことを思い出さないようにしていた。
 思い出してしまうと、夢にまで出てくるような気がしていた。しかも、死に方が交通事故で、実際に目撃したわけではなく、あくまでも現場は想像でしかない。
 見たことがないはずなのに、夢に見てしまうと、それがまるで現実のように思えるのは錯覚だけの問題なのだろうか?
――それこそ、デジャブなんじゃないか?
 と思えてきた。
――ということは、記憶の中の何かの辻褄を合わせようという意識が働いているということかな?
 と感じていた。
 デジャブと夢というのは、そのあたりで結びついているのだ。
――夢というのは、目が覚める寸前に一瞬だけ見るものだ――
 という意識があった。
 それは、以前に読んだ本に書いてあったことだったが、確かその本は、執事からもらった本だった。執事は幻想的な話が好きだった。楽天的な性格でいられたのは、その感覚があったからなのかも知れない。
 父親は、その本に関しては、結構意識して読んだものだ。何度も読み直した。それでも忘れてしまうことが多かったのは、それだけ内容としては難しいものだったのだ。
 それでも読み終わった時にはいつも、
――なるほど、これで辻褄が合うんだ――
 と感じた。
 その辻褄というのが、なぜかいつも違う結論から生まれていたのを不思議に感じていた。――同じ本を読んでいるのに、そして、同じように辻褄が合っているのに、そのプロセスが違っているというのは、一体どういうことなのだろう?
 父親は、本の内容が読むたびに少しずつニュアンスが違っているように思えた。きっと、読む前の意識がその時々で違っていると、読んでいる本も違った内容に思えているのかも知れない。
――本の内容って生きているんだろうか?
 という発想と、
――本というのは読めば読むほど、発想が膨れ上がってくる――
 という思いが同時に芽生えていた。
――本というのは、二重人格なのかも知れない――
 本に意識があるとすれば、その性格は二重に感じられ、まわりの意識も十分に影響を与えるものだと考えられる。そう言う意味でも、あまり一度読んだ本を読み返すことのない父親がこれだけは、何度も読み返すわけだった。
 その日、その人と話をしてから、しばらくは会うことはなかった。一か月もすれば、その人のことが気にならなくなっていたが、それまでは、夢に見るほど意識していたのだった。
 ある一瞬を過ぎると、それまでとはまったく違った意識になるということは、この時以外にも何度も感じたことだった。
 そんな時自分のことを、
――二重人格だからなのかも知れない――
 と思ったが、少し違っていた。
作品名:宿命 作家名:森本晃次