宿命
と思っていたが、それはわがままであり、矛盾した考えだった。そのことも分かっていたが、その時は、どうしていいのか分からなかったのだ。
執事の性格というのが、
――長所は短所の裏返し――
という言葉が当て嵌まる一番のいい例だった。
先代に、
「一長一短はあるが、執事としては十分だ」
と言わしめたのは、彼の楽天的な性格を見てのことだが、楽天的な性格ほど、表裏一体のものもないだろう。長所でありながら、短所でもある。だから、短所に見える部分も、捉え方によっては長所になる。そのことを父親は、執事本人が死んだことで初めて理解した。
――生きている時に理解してあげればよかった――
と悔いてみても、後の祭りだった。実に皮肉なことである。
父親の中に、執事の意志として、楽天的なところだけが、記憶として残った。ただ、その時の状況によって、執事のことを思い出すと、すべてを楽天的な性格に当て嵌めて考えてしまうことになる。
――ひょっとすると、事実とは曲がった形で頭の中に記憶されているのかも知れないな――
という意識があった。
それでも思い出すことができる間はよかった。執事が亡くなって三か月、その間は執事のことが頭から離れなかった。ちょうど自己嫌悪に陥っていた時期だった。
――執事のことが頭から離れなかったことで自己嫌悪から抜けられなかった――
という思いもあったが、逆に、
――執事のことが頭から離れなかったことで、自己嫌悪に陥っていただけで済んだのかも知れない――
という思いもあった。
どちらが信憑性の深いことなのか分からないが、父親の中で湧き上がってきた感情は、後者だったのだ。
――俺の中にも、知らず知らずのうちに、執事の性格である楽天的な部分が伝染したのかも知れないな――
性格というものが伝染するという思いを抱くようになったのはこの頃からのことであり、ちょうどその時に、息子の代にまで執事を勤めてくれる人と出会えたというのも、運命のようなものだったに違いない。
だから、今の執事は、父親の代から仕えている実に忠実な執事だった。彼には前の執事のように楽天的なところはなかった。ただ、楽天的な人に対しては敏感で、楽天的なところが顔を出すと、
「気を引き締めなければいけません」
と、いくら相手が仕えている主であっても、敢えて苦言を呈することも厭わなかった。
ただ、二代目の執事が二重人格ではないかということに気付いたのは、晃少年に入りこんでいた俊三が最初だった。
長い間執事に世話になっている父親には気付くチャンスはいくらでもあっただろうが、それに気付かなかったのは、楽天的な性格のせいであろう。それは、晃少年にも言えることで、楽天的な性格は晃少年にも伝染していた。
ただ、それは晃少年には二重人格的なところがあって、普段は表に出ることのないものだったのだ。
執事が二重人格だということに父親が気付かなかったのも無理はない。執事が二重人格だったというのも、同じ二重人格でも、他の人とは一味違ったところがあったからであった。
父親が初めてこの執事に出会ったのは、父親が一人で立ち寄ったバーだった。
その店は、父親の馴染みだったが、まだその時は馴染みになる前で、二度目に立ち寄った時のことだった。
最初に立ち寄ってから一か月近く経っていたので、店の人は誰も自分のことなんか覚えていないだろうと思い、
「一か月くらい前にここに来たことがあるんですけど、覚えていないでしょうね?」
と、敢えて訊ねてみた。
「覚えていない」
と言われれば、分かっていたことだとはいえ、少し寂しい思いをすることは分かっているのに、どうして聞いてみたくなったのか、自分でもその時の心境を計り知ることはできなかった。
しかし、意に反して、
「いえ、覚えていますよ」
という答えが返ってきた。
「えっ、覚えているんですか?」
「ええ、前もこの席にお座りになりましたよね? ちょうど一か月くらい前のことだったんじゃないですか?」
「はい、そうです。でも、あの時、お話をしたわけではなく、一人で佇むようにチビチビ酒を呑んでいただけなのに、よく覚えていましたね?」
「そういうお客さんほど、覚えているものなんですよ。気になるというんでしょうか? あまり見ちゃいけないと思いながらも、どうしても、視線はそっちに行っちゃうんですよね」
と、言っていた。
確かに、一人で佇むように呑んでいれば、こういう店では却って目立つのかも知れない。いや、意外と一人で佇んでいる人が多いというイメージもある。それでも一か月も前のことを覚えているというのは、その時の父親が発していたオーラのようなものが、他の人とは違っていたのかも知れない。
そんな話をしていると、カウンターの手前に一人の男性が入ってきた。父親はカウンターの奥に座っていたので、カウンターの端同士で座っていることになる。
その時、時間的には、まだ開店直後だったので、客は誰もいなかった。父親はその客の顔を、初めて見る顔ではないことに気が付いた。
――この店で見たのかな?
と思ったが、どうもそうではないようだった?
「すみません。以前にどこかでお目に罹ったことがありましたでしょうか?」
と訊ねると、その人はキョトンとした表情で、
「初めてだと思いますが」
と答えた。
そんな表情には訝しがる様子もなく、父親を不審な顔で見ることもなかった。ただ、キョトンとしていただけだった。
――いや、やはりどこかで――
とは思ったが、相手が否定するものを、それ以上聞くのは忍びなかった。
――まあ、話をしているうちに思い出すだろう――
と、簡単に考えたのも、前の執事から受け継いだ楽天的な性格が顔を出したからではないだろうか。
その人とは、その時ほとんど話をしなかった。ただ、横顔を見ている限りでは寂しそうな雰囲気を醸し出していた。
――俺も一人で佇んでいると、あんな雰囲気なのかな?
と思うようになり、なるべくマスターに話しかけるように心掛けていた。
父親は、友達がいても、自分から話題を作って話し始める方ではない。人が話をしているのを聞いている方が多く、たまに口を挟むことがあっても、話の腰を折らない程度に一言口走るくらいだった。
その人は、軽く食事を摂ってから、すぐに店を出た。一時間もいなかったように思う。それでも父親にとって気になるその人と同じ空間を共有した時間というのは、時計の示す時間よりも、かなり長く感じられた。ただの錯覚に違いないが、それでも長く感じた時間は、
――次回出会うのは、案外と早いかも知れない――
と、次回が約束されていて、しかも、それが舌の根の乾かぬ内のことであるのが、分かっているような気がしたのだ。
父親がその店に立ち寄ったのは、それから一週間後のことだった。
「そろそろお越しになると思っていましたよ」
と、マスターに言われた。
「どうしてそんなことが分かるんですか?」
いつもニコニコしていて、その表情は多種にわたっているわけではないマスターだったが、その時は結構な「どや顔」をしていた。