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宿命

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 俊三が入りこんだ時に感じた晃少年の意識は、さほど死に対して怖がっている様子はない。死ぬということがどういうことなのか、分かっていないというべきだろう。ただ、そんな子供であっても、本当に死というものが近づいてくると、急に怖くなったり、死にたくないと思うようになるだろう。実感が湧いてくるというべきだろうか。
 それまで、大人はまるで腫れ物に触るように晃少年に接することだろう。その間に、潔さだけが表に出ている晃少年を、誰もが気の毒に感じ、痛々しくて見ていられない気分になることだろう。晃少年にもそのことは分かっていたようだ。
 だが、表に出るのは、子供としての晃少年だけであった。それだけにまわりの雰囲気は重々しく、どうすることもできない大人にとって、晃少年はこのまま潔く死を迎えるだけだと思っている。
 しかし、ある時点を境に、晃少年は我に返ってしまう。
「死ぬのが怖いよ」
 と言って、どうなるものでもないのに、泣き叫ぶ。本当なら、最初にする態度を、死というものが、目を逸らしても、目から離れなくなるくらいの距離にまで接近した時、初めて、晃少年は子供に戻るのだ。
 その時にまわりの大人は思い知らされる。
「潔く、死を受け入れるなど、子供であっても、大人であっても、ありえないことなんだ」
 と、今さらのことのはずなのに、
――それなら、最初から慌てふためいてほしかった――
 と考えるだろう。
 地獄の底で喘いでいたのに、さらにそこから穴が開いて、想像もしたことのない世界へと叩き落される。
――どうして私たちがこんな目に遭わなければいけないんだ――
 と、自分の運命を呪いたくなっても、無理もないことであろう。
 だが、晃少年は死ななかった。俊三の思っていた通り、晃少年の命は、その後発見された新薬によって、奇跡的な回復を見せ、初めて死の恐怖から振り払われて生きることができるようになった。
 俊三が晃少年の中に入ってから二年後のことだった。実際には一年後には、ある程度の実験は終わっていて、晃少年が助かることは、九分九厘決まっていたことだったのだ。ただ、晃少年にそのことを告げることはできなかった。ある意味で、完全に治ったということが証明されない限り、公にできることではなかったからだ。それでも、生きることができるのだと分かった両親は、今までの苦しみからある程度は開放された。母親は安心感から、体調を崩して寝込んでいた時期があったくらいだ。
 父親の方は、母親よりも冷静ではあったが、ジレンマがなかったわけでもなかった。
――お金を積むことで、息子は助かる――
 ということは、お金のない人は今まで通り、死を待つしかない状況に変わりはなかった。――もし、その人たちと立場が逆だったら?
 と考えると、ゾッとしてしまう。
 母親はそんなことはどうでもよかった。自分の息子が助かりさえすれば、それでいいのだ。新薬のことは今は国家機密に近いということを頭の中で分かってはいても、病気が治ってから歓喜の中で、つい口を滑らさないとも限らない。晃少年に、新薬を投与することが、そのことで母親を窮地に追い込むことになるというのは、その時、誰も知らなかった。
 もし、そのことを知っている人がいるとすれば、晃少年の中に入りこんでいた俊三だけであろう。
 俊三は、もちろん、この家族がどうなるかなど見当もつかないが、少なくとも母親の立場が微妙であることは彼一人が分かっていた。何とかできるのも俊三だけだろう。
 だが、本当の親子でもない関係で、どこまで助けることができるか分からなかった。死を前にして取り乱したように晃少年が表に出てきたのは、一度だけで、後は我に返ることもなく、表に出るのは俊三だった。
――どうしてあの時、晃少年の本能が剥き出しになったのだろう?
 と考えた。
 その答えは見つかることはなかった。もしこのまま晃の中で生きることになったとしても、俊三には永遠に分からない謎ではないかと思う。今までほとんどのことが分かっていたのができすぎだっただけで、本当は晃少年の心の奥底を覗くことなど、できるはずもなかったのだ。
 俊三は晃少年の中にいて、いつも自分の子供の頃を思い出していた。その思いが知らず知らずのうちに晃少年の本能を呼び起こすことになったのかも知れない。
――本能とは、精神が耐えられないところまで来た時、反発的に発揮する力なのではないだろうか?
 と考えられる。
 もちろん、それだけではないのだろうが、本能にパターンが一つではなければいけないということもないだろう。最初から計画された行動ではなく、衝動的な行動が本能だとすれば、その考えもありなのではないだろうか。
 晃少年が表に出てこないことを確信したのは、結構早い段階からだった。表に出てきて荒れ果てた態度を露骨にしたあの時から、一か月も経っていなかったような気がする。
 考えてみれば一か月という期間は実に中途半端な気がする。短いと言われれば短く感じるし、長いと思えば長く感じられる期間である。
 その時の俊三は、長いとも短いとも感じなかったが、時間が経ってみると、短かったようにしか思えない。理屈に適った考えではあるが、それだけ遠い昔のように思えるのは心外だった。その一か月という期間、確かに自分の中に晃少年の本能がいたことを感じ、俊三にとって、短いはずのない時間を過ごしたに違いなかった。やはりそれからパッタリと晃少年の意識を感じなくなったことに対し、不安がよぎっていたからだった。
 晃少年の本能は、最初に彼の身体に入った時から感じていたような気がする。
――出てくるんじゃないぞ――
 という思いがあった。
 それは本能を感じても、それがどんな本能なのか見当もつかなかったからだ。見当もつかないことを悩んでも仕方がない。出てこないに越したことはないからだった。
 晃少年が生き残ることができたのは、新薬によるものだった。新薬はまだ表に出ていない。実際に誰かを使って人体実験をしなければいけない。この薬に限ったことではない。成功しなければ、公表することすらできないのだ。
 確かに新薬開発には相当なお金と期間が掛かっている。実際には民間企業だけでできるものではなく、その中には国家予算が組み込まれていたのも事実のようだ。そんなことまでは研究員の中でも一部の人間しか知らない。新薬の実験台になる資格のある人間を選抜するのにも、かなりの時間が掛かったようだ。
 晃少年に白羽の矢が立ったのだが、本当は晃少年が第一候補ではなかった。数人の候補があって、最終選考に残ったのは事実だったが、他の候補の方が薬を使う候補としては強かった。
 しかし、他の候補は最終的に、「実験台」になることを拒んだ。
「もし、失敗すれば、お金はいりません」
 という一言に、切れた人もいたようだ。
「うちの子供は、お前たちの実験台ではない」
 それまで、
――どんな汚い手を使ってでも子供を救いたい――
 と思っていた親だったはずなのに、急に切れたことで、候補から外れてしまった。その親が、その後、どんなに後悔したであろうかと感じるが、一度断ってしまったものは、どうしようもない。
作品名:宿命 作家名:森本晃次