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宿命

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 しかし、自分が生き直したいと感じ、神父の姿をした自分に出会ったのは、もう四十代になってからだ。まだまだ人生の半ばだとは言え、四十歳の人間の中に入って生き直すという選択をする人がいるだろうか?
 もしいるとすれば、その人は、自分の寿命に気付いているか、、そろそろ人生の終焉を意識していることで、
――あまり昔に帰りたくない――
 と、思っている人なのかも知れない。
 ある程度まで自分の人生を全うしてきて、自分にとっての最近になるまで、ある程度自分の人生に満足してきた人が、急に寿命を意識することで、
「俺の人生は、本当にこれでよかったのだろうか?」
 と、急に考えた人がいたとしても、無理のないことのように思えた。
 俊三から言わせれば、
「贅沢な悩み」
 だと言えるのかも知れないが、死というもの、しかも、それは自分から選ぶ死ではなく、逃れることのできない寿命というものであれば、感慨もひとしおというものではないだろうか。
 俊三は、意識だけが晃少年の中にあるとはいえ、まだ自分の肉体への未練のようなものが最初は残っていた。晃少年の中にいながら、何となく自分が宙に浮いたような存在だったのを感じていたのは、目を瞑れば、元の自分の肉体を感じることができたからだ。
 しかし、最近の俊三は、意識の中で、今まで感じていた自分の肉体を、目を瞑っても感じることができなくなっていた。
――もう、すでに俺の肉体には誰かが入りこんだのかも知れない――
 と感じた。
 すると、急に自分の中を覗かれているようで、恥かしいというよりも、自分の意識や記憶を、自分に乗り移った人がどのように使うのか、気になっていた。
 元々の意識を、まったく無視して、俊三の中で生き直そうとするのだろうか?
 もし、そうだとすれば、その人がなぜ俊三の身体に入りこんだのか、その意図が分からない。その時の俊三の環境が、その人にとっての、
――生き直したい時代――
 にピッタリだっとのだとしか思えないのだ。
――ということは、俺が晃少年の中で生き直したいと感じたのは、無意識に、晃少年の年齢からやり直したいと感じたからなのか、それとも、死を意識した晃少年が本当は死ぬこともなく、このまま生き続けることができるのを知らずに、他の人で生き直そうとした晃少年の身体に興味があったのか――
 そのどちらかなのではないかと思っていた。
 晃少年は、死ぬことを怖がっている様子はあまりない。死というものをあまり意識しないようにしているのは間違いないが、それだけで、本当に死を怖くないと思えるものだなのだろうか?
「何か悩みがある時、一番安心できる時と、一番不安に感じる時があるとすれば、いつですか?」
 と聞かれたとすれば、答えは決まっていた。
「一番安心できる時は眠りに就く時で、一番不安に感じるのは、目が覚める時だ」
 と答えるだろう。
 しかし、それは自分だけではなく、聞かれた人のほとんどが同じ答えをするだろうし、もし答えを思いつかない人がいたとしても、この回答を聞いて、
「そうそう、その通り」
 と答えるに違いない。
 眠っている間に見る夢が、悩みに関係のない夢を見ると思っているからだ。眠ってしまえば自分の意識は意志に支配されることがないという思いからなのかも知れないが、それは夢というものが、
――潜在意識が見せるものだ――
 という考えとは矛盾している。それでも眠っている時が一番安心できる時であり、夢の世界で怖い夢を見る時というのは、えてして、悩みなどのない時のように思える。そう思うと、
――夢というのは、人間の欲を制しようとするものなのかも知れない――
 とも感じるのだった。
 少年の中に入りこんでいるのに、考えていることは大人の考えだ。ただ、大人の考えが表に出ることはない。あくまでも自分の考えの中だけのことだった。それでも晃少年の考えていることが何となくであるが分かる気がするのは、晃少年が死を意識していないつもりでも、考えていることが堂々巡りを繰り返しながら、着実に死に近づいているからではないかと思えた。
――本当は自分が死なないということを、分かっていたのではないか?
 と感じるのは、病院で嗅いだ異臭が死神を追い払ってくれるのではないかという、それこそ子供の発想ではあるが、本当に死なないという結論を導き出すのであれば、それは、一種の予知能力の類に違いない。
――死を意識した人には、他の人には使いこなすことのできない力を引き出すことができるのかも知れない――
 と感じた。
 もう一つ感じたのは、
――大人には分からなくても、子供には分かるものがあるのではないか?
 ということである。
 大人には、それまでに培ってきた経験と知識があるが、時として、経験と知識が邪魔をして、新たな発想であったり、奇抜な発想を拒否してしまうことがあるが、
――大人には見えなくても、子供になら見えるものがある――
 という柔軟性がどこまで子供の晃に入りこんだことでできるようになるかが、焦点ではないだろうか。
 この病院での異臭は、今までにもどこかで感じたことがあるように思えたのは、晃少年ではなく、俊三の記憶の中にあるものだった。以前に感じた時の異臭は、気持ち悪くてすぐにその場から逃げ去ったのだが、そう簡単に忘れられるものではないほど、インパクトの強いものだった。
 その時のことを思い出していると、その臭いが何だったのか、思い出せそうな気がした。
――そうだ。あの時に感じたのは、最初に鉄分を含んだような臭いで、その後立て続けに違う異臭がしてきたのだが、それはホルマリンの臭いだったような気がする――
 最初に感じた臭いは、今から思えば、あれは血の臭いだった。鉄分を含んだ臭いだと感じた時点で、臭いの正体を鼻で感じる前に、
――鉄分を含んだ――
 と感じた時点で、連想として血の臭いという発想が生まれていた。
 間髪入れずに臭ってきたものが、あまりにも強烈だったため、最初の血の臭いを打ち消すものだったことで、すぐには臭いの正体を感じることができなかったが、分かってしまうと、今度は自分が耐えられなかったことで、臭いの正体を意識して忘れようとしたのかも知れない。
 俊三がこの臭いを感じたのは、自分が生きてきた四十年の中で一度ではなかった。少なくとも数回は感じたことがあったはずだ。二、三度というような少ないものではなかった気がする。
 その中で覚えているのが、まだ学生時代のことだったのだが、ちょうど歩いていて、交差点でのバイク事故を目撃した時のことだった。
 普段は思い出すことがないのだが、何かのきっかけで思い出すことがあると、記憶は鮮明なものだった。
――そういえば、血の臭いよりも、なぜかホルマリンの臭いの方が、印象深い気がする――
 と感じていたのは、思い出す時というのが、病院にいる時がほとんどだったからだろうか?
 血の臭いの方が気持ち悪いはずなのに、ホルマリンの臭いの方が印象深いと感じるのは、思い出すきっかけになるのがホルマリンの臭いによるものだからだった。ホルマリンの臭いは病院に行けば感じることができるが、血の臭いはなかなか感じることができないからではないだろうか?
作品名:宿命 作家名:森本晃次