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宿命

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 お姉さんが遠くに引っ越してしまうという話を母親から聞かされた時でさえ、自分がお姉さんのことを好きだということに気付かなかった。引っ越しの日がいよいよ一週間と迫ってから、急にお姉さんのことが気になり始めたのだ。
 まわりが急によそよそしくなっていくのを感じた。引っ越して行く相手に対して、どう接していいのか皆が分からなかった時期なのだろう。
――あれ? 何か感覚が違う――
 いつものように家でテレビを見ていても、どこかソワソワしている。最初は、そのソワソワが、楽しみなことなのか、嫌な予感に基づくものなのか分からなかった。しかし、テレビを見終わってから、いつもであれば風呂に入ったりするのに、その時は、見ていた番組が終わっているにも関わらず、ただ画面を見ていた。頭の中では見ている番組が終わっているという意識はあるのだ。上の空であっても、ボーっとしているわけではなかったのだ。
 今から思えば、成長するにつれて、同じ思いを何度もするようになった。失恋した時だけに限らず、何かショックなことがあったわけではない時でも、同じように上の空でも、ボーっとしているわけではないことがあったのだ。
 その時の自分の心境に、共通点があったわけではない。ショックなことがあった時はもちろんのこと、別に特別に何かがあったわけでもない時でも、同じような心境になっていた。
 最初は周期的なものだと思っていた。
 思春期には、自分でもよく分からない心境になることも少なくはなかったので、その影響からだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。生まれついての感情が、思春期の不安定な心境と絡まって、自分の性格を形成する一部になってしまったのではないかとも思えてきた。
 初恋は成就しないという発想は、晃少年の中にあった。小学生の低学年で、そこまで感じているというのは、ある意味すごいことだが、どのようにして初恋が終わるのかというシュミレーションも頭の中にあるようだった。
――俺の子供の頃は、ギリギリになるまで、初恋だということに気付かなかったのに――
 と、俊三は自分と晃少年との違いを痛感していた。
――人それぞれだと思っているはずなのに――
 晃少年が羨ましく感じられた。記憶だけでそこまで感じるのに、もし意識が存在していたら、俺のことをどう思うだろう?
 晃少年の意識は、本当は最初から彼の中にあったのかも知れない。
 晃少年には自分と同い年の俊三しか見えておらず、四十歳の意識を持っている俊三には、晃少年を感じることができないのと同じで、同い年の俊三を意識してしまった以上、晃少年には四十歳の俊三を感じることができないのだ。
 そういえば、俊三の初恋のお姉さんが、引っ越していく最後に、面白いことを言っていたのを思い出した。
「俊三君とは、また会えるような気がするの。でも、その時、私はどうしているのかしらね?」
 と言っていた。
――どういう意味なんだろう?
 その言葉が俊三の中でずっと引っかかっていた。高校生になるくらいまで、その言葉を覚えていて、
――絶対に、もう一度会えるんだ――
 と思っていたものだった。
 そのせいもあってか、俊三が異性に興味を持ち始めるのは、かなり遅かった。高校生になってからのことで、ちょうどその頃から、お姉さんのその時の言葉を忘れかけていったのだった。
 異性に興味を持ち始めると、最初に感じたのは、
――女性と一緒にいるところを見せびらかしたい――
 という思いが最初だった。
 散々、まわりから女の子と一緒にいるところを見せつけられていた。自分に異性への興味はなかったはずなのに、どこかイライラした感情が燻っていた。どこから来るものなのか分からないだけに、俊三はストレスの持って行きどころに困っていたのだ。だから、異性への興味というよりも、まわりに見せびらかしたいという思いから、彼女がほしいという発想に至ったのだ。
――俺って、発想がおかしいのか?
 とも感じたが、同じように感じているのも自分だけではないはずだ。
「隣の芝生は青い」
 というではないか。羨ましいという気持ちも異性への思いを掻きたてるための、一つの起爆剤のようなものだと思えば、自分が晩生だったことも分かってくる。
 お姉さんの言葉を忘れていたわけではなかったのに、俊三はお姉さんと会うことができなかった。
 いや、厳密に言えば出会っていたのだが、気が付かなかったのだ。
 その時、俊三には付き合っている女性がいて、その人しか目に見えていなかった。しかも彼女は、お姉さんに雰囲気は非常によく似ていた。似通った部分が気になるところであったなら、お姉さんのことも気がついたのかも知れないが、あくまでも雰囲気が似ているという程度で、ハッキリとしたことは言えなかった。
 俊三にとって、お姉さんは、
――侵すことのできない神聖な存在――
 だったのだ。
 その思いがあるから、お姉さんに気付かなかった。妄想が想像をはるかに上回ったための悲劇だった。
 お姉さんは、気付いていたのだが、自分から声を掛けることができなかった。子供の頃は手を伸ばせばいくらでも自分の思い通りになった存在だったのに、年月の流れは、完全に立場を逆転させていた。
 お姉さんは引っ込み思案になり、俊三はいよいよ異性への興味が爆発し始め、しかも整った顔の作りが女性にモテたのだ。
 有頂天になった俊三は、自分でも抑えきれないほどの暴走を体験し、挙句の果てに、女性からは、信用を完全に失うことになった。友達も離れていき、一時期一人孤独に苛まれる日々が続いたのだった。
 そんな記憶は、すっかり忘れているつもりだったが、初恋を思い出してしまうと、
――どうしてあの時、お姉さんに気付かなかったのだろう?
 と、後から思えばお姉さんが、
「俊三君とは、また会えるような気がするの。でも、その時、私はどうしているのかしらね?」
 と言った言葉は、それ以降の自分の人生に暗雲が立ち込めることへ繋がっていくことを示唆していたのかも知れない。
 その時のことを思い出すと、晃少年が思いを寄せる佳苗に対して、俊三が生き直す意義を考える時だと思えてきた。俊三の中にいる晃少年の記憶の中に佳苗のことはインプットされているが、それはあくまでも状況だけで、自分の気持ちに対しての表れは、一切なかったのだ。
 それは俊三が中にいることで、晃少年の記憶が「他人事」としてブロックしているからなのか、それとも、俊三の方が晃少年の意志を感じないことで、晃少年に対して一線を画しているからなのかの、どちらかではないだろうか?
 ただ、俊三が感じているお姉さんへの思いと、晃少年が感じているであろう佳苗への思いとでは、かなりシンクロした部分があるように思える。俊三は、晃がどんな少年なのか、本気で知りたいと思うようになっていた。
 いつもなら、日帰りでの定期検診だったが、その日は、一年に一度の全体チェックの時だった。大人で言えば人間ドッグのようなものであるが、晃少年の場合は精神的なことや休養を含める意味でも、三日の入院が必要だった。
 俊三にとっては願ったり叶ったり、佳苗と話ができる時間が増えたと思った。もし、晃少年であっても、きっと喜んだに違いないと思う。
作品名:宿命 作家名:森本晃次