短編集3(過去作品)
考えながら歩いているせいか、あっという間に駅に着いた。コンコースは人が疎らで、時計を見ると、すでに午後九時を回っていた。それも仕方のないことで、普段見ることのない時刻表を見ると電車が来るまでに少し時間があった。
駅には電車の待ち合せ程度にちょうどいいくらいの時間を持て余した利用客の多いコーヒーショップがあり、隆はそこに入るとコーヒーを注文した。普段あまり入ったことのなかったがカウンターに座ると最近も何度か来たことがあるような気がしてくるから不思議だった。
あたりを見渡すと奥のテーブルに何組かの客がいるが隆のようなサラリーマンはいなかった。この時間は学生やアベックが多く、女の子の話し声が響いている。
コーヒーを口に運びながら回りを見るとはなしに眺めていたが、そんな中の一人の行動が隆の目を引いた。行動というより癖なのだろう、話をしながらポニーテールにしている後ろ髪を気にするように、しきりに両手で掻き揚げている。
(そういえば望にもあんな癖があったな)
再会後の望にあまり見られない行動だったので忘れていたが、確かに八年前の望にはそんな癖があった。
そんな行動をとる時は決まって待ち合わせに遅れテレ笑いをしている時や、何か隆に隠し事があって、それを隠そうとしている時が多かった。隆が分かっていることを知ってか知らずか、望はいつも同じことを繰り返す。それゆえに癖というのだろう。
そういえば望は隆との約束によく遅れて来たものだ。時間的に大したことはないがそれがいつも同じ時間だった。電車の時間の都合だろうと思った。元々約束自体が漠然と存在する暗黙の了解だったので、あまり気にはならないが……。
よほど疲れているのか、普段であればあまり気にならないようなことが気になる。いや疲れているから逆に頭の中が空っぽで、余計なことが詰まっていないからかも知れない。
ホームに上がるとそこにはさすがに少ないとはいえサラリーマンの姿もチラホラ見られる。しかしどの顔にも疲れが滲み出ていて、企業戦士の哀愁というよりもくたびれたボロギレを思い起こさせる。どの人の姿が今の自分なのだろうかなどと空しい想像をしてしまう自分が情けない。
ベンチに座ろうとも思ったが遠くの方で入ってくる電車の明かりが見えたので経っていることにした。アナウンスがあったのはそのすぐ後で、通過列車を待ち合わせるため五分停車するとのことである。
ホームに滑り込んでくる電車にほとんど人は乗っていなかった。その人たちも扉が開くとほとんど降りてしまい、車内はガランとしていた。中に乗っている人のほとんどが椅子に横になっていて、酒が入っているのか豪快なイビキを掻いている。
いけないとは思いながら差別的なまなざしを浴びせ、隆は椅子に腰掛けた。そんな姿を目の前にして理性さえなくせば自分も楽になれると思いながら、嫌悪のため理性を捨てることができなかった。なるべく見ないようにしようと思いながらも飛び込んでくる光景に少し戸惑いを感じていたが目はそちらを向いている。しかし隆は電車の発車に気付くことはなかった。遠くで発車のベルが鳴っているのを感じながら今しも深い眠りに入ろうとしていたからである。
その眠りがどれほどのものだったかは誰にも分からない。しかし少なくとも電車の中で今までどんなに疲れていても眠りに就いたことのない隆がその睡魔に始めて負けたのである。目を覚ましてその時の状況を把握できるようになるまでに少なからずの時間を要することは想像できることだ。
その時隆は間違いなく夢を見ていた。内容ははっきりとは分からないが、その中にみゆきも望も出てきていた。今までのみゆきや望とのことを思い出そうとするとたった今一緒だったような気がするからである。
夢と現実を考え合わせその中で堂々めぐりをしている間、頭の神経はそちらに集中し、現実に戻るまでさらに時間が掛かった。電車の中であるということすら認識していなかったのである。
少しずつ現実が分かってくるとまたみゆきや望のことを考え、夢の中へ入っていこうとする。隆にとって不思議な時間が続いた。それは電車の揺れが心地よい催眠のようになっているからかも知れない。夢の中で感じたゆりかごのような思いが体に染み付き、なかなか頭をはっきりさせようとしてくれない。
しかし一度目が覚め始めると現実に戻るまでに、それほどの時間は掛からなかった。暗くて良くは分からないがあまりにも表が暗いので乗り過ごしてしまったことは間違いないようだ。いつもであれば慌てふためいて何とかして現在地を知ろうとするのだが、今日はなぜか落ち着いている。その日は何となく一人寂しくアパートに帰りたくない気もしていたし、どこか適当に泊れればいいと考えていた。
目が覚めた原因とは、誰かに見詰められている視線を感じたからだ。一人でボーッとしている時に感じた視線の主は目の前に座っていた。それはまったく想像していなかったが腰の曲がりかけた老婆であった。
正面を見ながらニコニコ微笑んでいるが、それは隆が気付いたからで、それまではどんな表情だったのだろう。隆は少し不気味だったが微笑み返した。
車内を見渡すが、他には誰もいなかった。
「あのすみません、ここはどのあたりですか?」
「まもなく柏木駅ですよ」
柏木駅というと一時間近くも熟睡していたことになる。もう十分も乗っていれば終着駅だ。途中は何もない田舎の駅でここまで来れば終点まで行くしかなかった。
(終点まで行けば、宿の一軒くらいあるだろう)
終点まで行くのは初めてだった。小さな商店街があるだけと聞いていたが、元々は炭坑で栄えた街ということで、閉山になってからは、典型的な過疎地帯になったということだ。
それにしてもこの老婆、最初見た時どこかで見たことがあるような器がしていたが、そんな思いも少しずつ薄れていく。記憶違いかと思ったが、急速にその思いが薄れていくということは、逆にごく最近、漠然と見ていた時の記憶の中に引っかかるものがあったからかも知れない。
ひょっとしてさっき夢を見ていた中で自分が気付かない間に目を覚まし、すぐにまた眠ったため目の前にいた人がまるで夢の中に見た人のような気になったのだろうか。
「おばあさん、終点に着いたらどこか宿がありますか?」
「そうだねえ、なくもないけど」
そう言って考え込んでしまった。本当にないのかも知れない。
「実は恥ずかしい話、熟睡していて乗り過ごしてしまったんですよ」
「そうかね、起こしてあげればよかったかね。それにしても気持ち良くお休みのようだったんでね」
老婆は恐縮がって何度も頭を下げた。
「お詫びと言っちゃあ何ですが、うちにお泊まり下さらんか」
「よろしいんですか?」
「ええ、普段は私ひとりで暮らしているだけなんで、何もないがよろしければどうぞ」
「ありがとうございます」
ここで知り合ったのも何かの縁、こんな遠くまで来たのも始めてなのでまるで旅行気分だ。旅なら恥も掻き捨てというものである。しかも老人の一人暮らしであればなおさら人助けのようなもので、遠慮などいるものか。
駅を降りると寂しいところで、駅前の商店はすべて閉まっていた。
作品名:短編集3(過去作品) 作家名:森本晃次