短編集3(過去作品)
ロータリーのそばにある裸電球のような明かりには無数の虫が群がり、夏の到来を感じさせた。田んぼがすぐ近くまで迫っているのか、カエルの大合唱があたりに響き渡り、蒸し暑さを表現しているかのようだ。
駅前の商店街を通り過ぎが、物音一つもせず、まるでゴーストタウンのようである。本当なら老人が一人でこんなところを通って帰らなければならなかったのかと思うと、一夜の宿への申し訳なさが次第に薄れていく。
老人にとっては歩き慣れた道で、こんな寂しいところでもまわりを気にすることもなくさっさと歩いて行く。老婆にしてはかなり歩くのが早く、隆はついて行くのがやっとだった。
後ろから見ていると背筋を曲げながら歩いているその姿は異様に見えた。まるで童話の中に出てくる魔法使いの老婆の後をつけているようだ。そういえば何となく鼻が高く見えるのは気のせいだろうか? さぞかし若い頃は美人だったに違いない。
この街は四方を山に囲まれた盆地になっていて、駅から五分歩いただけで傾斜が見えて来た。慣れたもので老婆はその坂道をスイスイと登って行く。
「あそこです」
そう言って手を伸ばした先には昔の旧家を思わせる屋敷がそびえていた。といっても建物は屋根しか見えず、家のまわりに張り巡らされた石塀がライトアップされていた。
木で出来た大きな門をくぐり家の中に入ると、玄関から一本通った長い廊下がこの家の歴史を想像させる。
「ここにはお一人でお住まいですか? 寂しいところですね」
「ええっ、慣れればそうでもないですよ」
まるで明治時代にタイムスリップしたかのようである。
老婆はありきたりな物といって用意してくれた食事は結構豪華で、二人で食べられる量ではなかった。
「若い方は食欲があると思って」
そうは言うがどう見ても三、四人前である。
しかし田舎のおいしい水を使っていることと、昼間忙しく食事を取る暇がなかったこともあってか食は進んだ。あっという間に平らげるとそれを見て安心したのか、老婆は隣の部屋へ消えて行った。
しばらくは満腹で動けなかった隆も隣の部屋から何となく漂ってくる線香の香りに身を起こした。旧家の日本家屋らしいが仏壇に手を合せる老婆の姿を見た時、以前に見覚えがあるような気がしてくるのである。
その光景を確かめたいという思いで立ち上り、隣の部屋へと入って行った。
薄暗く十畳はあろうかという大きな部屋の正面に仏壇があり、ろうそくの炎があやしく揺れていた。風のないその部屋で、線香の煙がなぜか斜めに上がっているのが不気味である。
老婆は私が入って来たのを知ってか知らずか、じっと目を瞑り念仏を唱えている。その光景は私が頭の中に描いていたものだった。
(そうだ、さっき電車の中で見た夢だ)
そこまで思うと夢の内容が次第に思い出されて行く。
念仏を唱えながら一瞬髪を触る仕草をした時、仏壇の主が誰であるかはっきりしてくる気がした。
(まさか!)
念仏を唱えている声が耳鳴りのように響き、煙のたなびく向こう側に見える写真はまさしく別れた頃の望の姿だった。
「今年で八回忌になります」
(八回忌? ということは自分と別れてからすぐだったんだろうか)
「どうして亡くなったんですか?」
「自殺だったんです」
「なぜ?」
「原因はよく分かりません。若い人のことだからいろいろあったんでしょうが……」
そう言って隆を見詰めた老婆の目が怪しく光ったような気がした。それを隆が見逃さなかったのは、自分の体に最近望と愛し合った時の感覚が残っていたからと、ひょっとして自殺の原因が自分にあるのではという疑念を抱いたからである。
確かに望とはドライな付き合いだった。深入りはしなかったし、お互い性欲以上のものを求めようとはしなかった。しかしそれはあくまで隆の側から見たことでひょっとしたら望は寂しかったのかも知れない。隆の前でドライに接することが望にとって付き合って行く上での最良の方法と感じ、唯一の自己アピールだったのではとも考えられる。
そう考えると、思い当たるふしがない訳ではない。
(五分間!)
そう、望と再会してから愛し合うようになった時間である。そういえば望も隆との待ち合わせに五分遅れることがあったではないか。その五分間というのは望にとってどういう時間だったのだろう。髪を掻き揚げる仕草からしても想像はつく。
木造家屋の旧家の壁や柱には毎日炊かれる線香の香りが染み付いているようで、記憶している望のイメージとはかけ離れていた。しかしそれだけにこの家にいる望を思い浮かべた時、神秘的なイメージが頭にこびりついて離れない。
「すみませんね。孫娘のために突き合わせてしまって、あと五分ほどで終わりますのでどうぞ足を崩して楽にして下さい」
隆はそれを聞いた時、本当に五分なのかと疑問に思った。そういえばずっと前に点けたはずの線香なのにほとんど灰になっておらず、まだ長いままである。
時間を自分なりに計りながらじっと線香を見詰めていたが、煙は出ているのに燃えている感じがしない。そのうちに念仏が耳鳴りとともに聞こえ始め、意識が遠のいて行くのを感じた……。
(今日一日も無事に済んだ)
夕方六時になると隆はホッとする。今から婚約者である矢沢みゆきとのデートが待っているからだ。
「谷山、みゆきちゃんによろしくな」
そう言って同僚からからかわれるのも悪い気はしない。みゆきは今や会社のみんなの知るところとなっている。
今日は自分で決めたマンションをみゆきとともに見に行く日だった。
みゆきはどう感じるだろう。いくら自分に任されていると言いながら、言いたいことが山ほど出てくるかも知れない。特に台所まわりなど男ではどうしても分からないところが出てくるはずだ。それでも不動産屋は部屋のいいところばかりを並びたてる。駅に近いことや、そのわりに静かであること、買い物の便利さを中心に誇大ともいえる宣伝である。
場所はいつも待ち合わせている喫茶店から近く、仲介する不動産屋も駅前にある。さぞかし不動産屋の営業は今頃ほくそえんでいるこおだろう。隆が思わせぶりではありながら、自分でもやり過ぎたと思うくらい興味を示したからだ。
隆は会社を出ると、最近開拓した裏通りへと入り、駅へと向かった。ここから駅へと向かう途中に今借りようとしているマンションがあることからその道を選んだのだ。
マンションが立ち並ぶ谷間になった道を足早に急ぐが、今日会社でコーヒーを飲みすぎたせいもあってかトイレに行きたくなった。途中にある公園で済ませようとして急いでいたのだ。
相変わらず西日が眩しく、汗が噴き出している。首筋が気持ち悪い。
トイレでさっぱりした気持ちでベンチに座ると、何かドキドキと胸の高鳴りを覚えた。それは何かを期待するものであるが、それが何か頭の中にしまい込まれて出てこない。しばらく座っていたが時計を見ると待ち合わせの時間、急いで公園を後にした。
駅前の喫茶店に着くとみゆきはまだ来ていなかった。六時ちょうどに着いた隆は心の中で「間に合った」とホッと一息つき、ウエイトレスの持って来たお冷やを一気に飲み干した。
作品名:短編集3(過去作品) 作家名:森本晃次