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短編集3(過去作品)

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 しかしいつ頃からであろうか? みゆきは彼の様子の微妙な違いに気付いたのだが、どうも疲れ方が普通ではない。会社や得意先との人間関係から最近きつくなって来たとは言っていたが、それにしては逆にすがすがしさを感じる時もある。肉体的にはきつそうだが、精神的にはリラックスしているのである。
 みゆきにとってそれはありがたいことで、付き合う相手の思い悩む様を見るのは忍びなく、特に仕事のように、女であるみゆきにはどうすることもできないストレスはなるべくない方がいいに決まっている。
「最近、何かいいことがあったの?」
 みゆきも嬉しくなり聞いてみる。
「えっ、いや別に」
 隆はことばを濁した。そして一瞬だったが、その時あせりにも似た驚きをした時の表情の変化を、みゆきは見逃さなかった。
 不審に思ったが、せっかくリフレッシュした彼の気分を壊すことを拒んだみゆきは、それ以上その話題に触れようとはしなかった。いつものようにその日会社であったことなどの他愛もない話をみゆきが始めたが、それほど感動しなくてもと思うほど大袈裟なリアクションを見せる隆はいつもの彼に戻っていた。
 隆の会社はここから電車で二駅とすぐ近くである。
 元々の二人の馴れ初めというのは、営業である隆がみゆきの会社へ定期訪問した時、いつもお茶を出してくれることから始まった。少しずつ話すようになり、次第に表でも会うようになるとあとはとんとん拍子だった。二回目のデートではもう唇を合せ、体を重ねたのは……。それから間もなくのことだった。
 体の相性はピッタリだった。少なくともみゆきにとって至高の悦びを与えてくれる男だった。もちろんみゆきは処女ではなかったが、今までの男たちに比べ、隆は紳士である。それは話をしているときも、ベッドの中でもしかりである。
「お腹ペコペコだよ」
 ここ一月ほど前からの隆の決まったせりふである。話をしながらでもメニューをチェックし、ステーキやハンバーグなどボリュームのあるものを注文する。以前はピラフやスパゲテイーのような軽食類が主だったが、最近の隆の食欲は目を見張るものがある。
 食べ方も豪快そのものである。元々少食のみゆきだったが、あまりにおいしそうに食べるので、思わず自分も同じものをオーダーしてしまうほどであった。みるみる減っていく隆の料理を、ただただビックリしながら眺めているだけだった。
「すごい食欲ね」
「なぜか最近、腹が減るんだよ」
 そういってお腹を摩ってみせる。食欲が旺盛なのは悪いことではない。しかも彼のようにサラリーマンでいつも商談に追われている人は、それだけ溜まったストレスからも腹が減ってしかるべきであった。
 腹がいっぱいになると二人は外に出た。すでに日は西の空に落ちていて、駅前商店街からのネオンサインが眩しい。パチンコ屋からは、賑やかな音が聞こえてくるが、そのわりに客が疎らなのを見ると、少し寂しさを感じる。商店街を歩く人のスピードは速く、途中の店を見向きもせず、家路を急いでいるのである。
 街は着実に一日の終わりを告げようとしていた。しかし二人にとっての一日は今始まったも同然である。食欲が満たされれば行き着く先は決まっている。
 歩きながら隆の腕に、自然に滑り込むみゆきの腕……。自然と体が密着しあい。隆は左ひじで着痩せするタイプのみゆきの胸の膨らみを感じていた。
 意識的に隆も押し返すが、それが合図のようになっていて、二人はそのまま迷うことなくホテル街へと消えて行く。
 隆にオンナの陰を感じるようになったのは、みゆきにとってのいつ頃からであったろうか? やはり疲れ方が異常だったし、何よりも旺盛な食欲に不信感を感じた。
 しかし、会社以外の時はほとんどみゆきと一緒にいることだし、あくまでも根拠のないことなので、被害妄想のようなものだろう。幸せな時ほど悪い方に考えてしまうのは、今に始まったことではない。
 隆の腕の中でそんな思いを抱きながら、みゆきは悦楽の境地へと入って行く。


 みゆきはいい女だ。私とは心も体も相性ピッタリだ。私は今までに何人かの女と付き合って来たが、体の相性はピッタリだが性格が合わなかったり、性格はピッタリなのだがベッドではもの足りず欲求不満に陥るということがしばしばあった。要するに「帯に短し、襷に長し」といったところだ。
 それを私は「女運のなさ」として片付けて来た。どちらのタイプであっても決して恋人といえる関係になろうとせず、ある程度の距離をもった。一度にそういう女たち数人と付き合ったこともあり、知らない人が見ればさぞかし男として悪党だったのだろう。
 しかし少なくとも私は皆と割り切って付き合っていたし、相手もそう思っていたはずだ。
だから誰もそれについて何も言わず、ドライな関係だった。ただ、心の中で女心をもて遊んでいるのではと自己嫌悪になる時もあったが、元々あまり物事を深く考えない私はすぐに立ち直った。
 みゆきと付き合い出して、私は過去のそういう関係を一切断ち切った。少し勇気のいることだったが、私にとってのみゆきを考えた時、それが得策だと考えたからだ。それだけ今までの「女運のなさ」を一気に解消してくれるほど、みゆきは私にとって「いい女」であり、将来を考えるに値する女だった。
 たぶん私が付き合う女はみゆきが始めてだなどと思ってはいないだろうが、私の過去までは想像もつかないだろう。もちろんそんな素振りはおくびにも出さないように注意している。私の過去について口を滑らせそうな軽薄な奴に彼女を近づけるような馬鹿なマネはしていないし、事実会社の人間でみゆきの存在を知っているものは、ほとんどいない。
 みゆきと付き合い始めてから仕事面でもツイてきた。商談もスムーズに進み、取引先にも信頼されるようになり、会社内での私の評判も上がりつつある。みゆきと結婚を決意したのも、「幸運の女神」としての存在が大きく、どこをとっても申し分のない女と将来を考えることはごく自然である。
 結婚を考え始め、自分の立場がどんどん幸せに向かっているのを感じながら生活するのも悪くない。何事も自信に満ちて行動している気がするし、まわりもそんな目で見てくれている気がして、やることなすこと順調である。
 しかし心の隙間とはそんな順調な時には得てして気が付かないもので、幸せを感じる時こそ心のどこかで「いずれ終わりが……」と不安を抱いていることに全く気付かない。そんな隙間にあの女が飛び込んできたのだ。
 女は美しくなっていた。元々体の相性はピッタリだった女、性格的に合わなかっただけで、未練がないといえば嘘になる。
 性格的にははっきりしていた。何事も包み隠さずオープンだったが、あっさりしているわけではない。思い詰めると何をするか分からない性格で、猜疑心も強く、ネチネチしたところがあった。こういう女は往々にして独占欲が強く、別れる時も当然揉めた。もう二度と顔も見たくないと思うほどゴタゴタしたが、冷静に考えると体の相性がピッタリだっただけにもったいないことをした。
 それだけにバッタリと出くわした時、初めて会った時のようなトキメキがあった。
作品名:短編集3(過去作品) 作家名:森本晃次