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短編集3(過去作品)

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 住職は一言呟いたが、その表情はとても昼間見た住職のものではなく、まるで魔物に取りつかれたような顔をしていた。六十歳という年齢そのものの顔である。

 それから翌日のことであった。夜明けと同時に聖光寺の石段を下りている男がいる。スーツを着たその男はまさしく昨日、住職から苔坊主山のことを聞いたあの男である。
 男は夜が明ける何時間か前からこの境内にいて、苔坊主山が光る様をじっと見ていた。満月が次第に傾き始めると東の空が白々明るくなり始め、今にも飛び出そうとする朝日をじっと息を潜めて待っていたのだ。
「奴の言っていたことは本当だったんだ。五年間も待った甲斐があるというものだ」
 男は手に少し小さめのカバンを持っていた。アタッシュケースのように硬いものであるが、それほど薄いものではなく、どちらかというとカゴか箱といった方がいいようなものである。
 ゆっくり苔坊主山の方を見ながら石段を下りてくる。すでにそこに光りはないが、それでも昇りつつある朝日に照らされ、夜露に濡れた深緑が光っているのを見るのは美しいものだ。季節によって山は様々な景色を見せてくれるが、この苔坊主山は一日の中でも時間帯によって、様々な顔を持っているのではないだろうか。男は歩きながらそんなことを考えていた。
 山を下りると村人はすでに活動を始めていた。田舎は朝が早いというがまさしくその通りで、農具を持ち畑を耕す人々が皆、男の方を振り向き視線を送る。確かに見知らぬ男がしかもスーツ姿で歩いていれば注目の的になるだろう。しかしそれにしてもその視線はまるで幽霊でも見たかのように口をポカンと開ける者、目を見開いたままその場に立ち尽くす者様々であり、男に少なからずの不安感を与えた。
 それでもここまで来たからにはもちろん引き返すなどという思いは毛頭なく、前進あるのみである。なるべく村人と顔を合さないようにしながら村を抜けた男の目の前には、目指す苔坊主山が立ちはだかっている。
 近くまで来るとなるほど遠くから見たのとでは景観が一変する。富士山の雪と同じで、近づいてしまえばどんなに綺麗であっても山は山なのだ。しかもここの湿気は尋常ではなく、山に入る前からジットリとまとわりつくようなジメジメさが容赦なく襲ってくる。
 さすがにほとんど誰も入ったことのない場所だけに、山道と呼べるようなものもない。道なき道を足を取られながら進むという表現がまさにピッタリで、へたをすると迷ってしまいそうだ。山全体が小さなものなので、そんな心配はないのだが……。
 道の切れ目になったところから入り込んでみたが、思ったより傾斜は緩やかだ。入り口あたりはそれでもあまり木々の密集はなく朝日が射し込んでくるため、それほど他の山と変りなく見えた。それでも初夏を迎えようかというこの時期、山全体に靄が掛かっていてはっきりと先を見ることができない。
 元々誰も近づこうとしない神秘的な場所だけに靄が掛かっていると幻想的にさえ見えてくる。その美しさは遠くから見ていたのとは違った山のもう一つの顔である。
 風があるのか、靄が勢いよく流れていくのが見えるが、歩いていてそれはあまり感じない。ジメジメして冷たさを感じるが寒いという訳でもなく、息が切れそうになるが汗が出てくるほどではない。
 次第に視界が狭くなっていく。どれくらい歩いただろう、勾配が少しずつ急になってくるのを感じると、そこから先は頂上を目指し本格的に山の中へ入っていくだけだ。足がだんだんと重くなってきたのはそのためである。
 ある程度まで来ると男は歩みを止めた。そしてゆっくりとあたりを見渡したが、かなり木々が密集しているため、光さえ届かないこのあたりで立ち止まれば、道に迷ってしまうかも知れない。しかし男はそんなことはお構いなしに途中の木をゆっくりと観察しながら、ここからはあまり急ごうとしない。
 何やら目印でも探しているのか、自分の目線にある幹のあたりを入念に見つめている。
「これだ」
 いくつかの幹を注意深く見ていた男が、思わず声を上げた。靄が掛かった湿気の多いところでの声なので普通の大きさであってもエコーが掛かり、まるで温泉にでもいるみたいだ。その声にビックリしたのか、近くにいたであろう鳥たちが一斉に木々の葉をはためかせながら飛び立った。さすがにそれには男も驚いて、今まで息を潜めていた鳥たちにジーッと見つめられていたと思うとゾッとしてきた。
 男の見つめている幹はナイフか何かで抉られていて、十字が描かれている。
──まさか残っているとは思わなかった──
 その印は五年前行方不明になった友人が付けたものだった。手紙にそう書いていたのだが、普通五年も経っていると木々が成長し、そんな跡など残っていないのではと半信半疑の元やってきたのだが、男の賭けは的中した。
──やはり奴の言っていたことは本当だったんだ──
 男はあたりを見渡した。山に入った当初にくらべ、明らかに靄が晴れて来たのが分かる。朝日もだいぶ昇って来たのか、木々の間から漏れてくる光も徐々にではあるが強くなっている。
 カバンの中からから持って来た懐中電灯を取り出し、あたりを照らしてみる。特に足元を重点的に照らしていたが、最初足を取られたようなかんじから粘土質のようなものを想像したが、意外とサラサラしているように思える。腰を屈め直に手にとって触ってみるが、やはり粘土質とはほど遠いものであった。
 そこには起伏のようなものはなく、元々人の入り込むようなところではないので、平らな面が綺麗に広がっている。男は自分が歩いて来た方を懐中電灯で照らしてみた。不思議なことにそこには自分の歩いた足跡は残っていない。これだけ湿気が多いにも関わらず足跡が残っていないとは、よほど特異な土質なのだろう。針葉樹ばかりが育つ理由はそのあたりにあるのかも知れない。
──これでは方向感覚がよほどある人でないと迷ってしまう──
 昔からここで白骨死体が何体も見つかっていると住職は言ったが、中には自殺した人もいるはずだ。一度入ったら出られない、住職の口からは聞けなかった言葉だが、あえて言わなかったのかも知れない。
──住職は何か隠している──
 男は住職に対して多くを語らなかったが、男が得た情報くらいまでは知っていて当然であろう。いや、それ以上のことを知っているはずだ。
 そんなことを考えながら前を進んでいくが、友人の残してくれた目印で迷うことはないだろう。靄も晴れてきたことだし、いよいよ目的地が近いとみて間違いない。
 しばらく歩いていくと、先の方に妙に明るい光が見えてくるのが分かった。
──あそこだ──
 友人の手紙に書いてあった場所が目の前に広がってくるはずだった。
 急に今まで密集していた木々の隙間が広がってきた。その分差し込む光が強くなり、薄くなりかかった靄に反射しスポットライトを当てている。さらに進むとある一定の場所が一切木が生えておらず、小さな広場を形成していた。勾配が緩やかになってきたことを考えると、どうやらここがこの山の頂上にあたるようだ。聖光寺の境内から見ることのできなかった光景である。
作品名:短編集3(過去作品) 作家名:森本晃次