【真説】天国と地獄
「あの世では、別の肉体と別の精神が用意されていると思っているんですよ。見た目はまったく違う人なんだけど、それぞれの世の中で一番近しい存在。それが、生きている時に感じる天国と地獄なんじゃないかってですね」
「でも、生きている時は世の中は一つなのに、死んでから、どうして天国と地獄という二つの世界が存在するんでしょうね?」
「ひょっとすると、生きている世界でも天国と地獄のような二つの世界が存在し、その世界での行いによって、死んでからの天国と地獄に振り分けられるということなのかな?」
「もう一つの世界では、自分たちとは似ても似つかない人たちが存在していて、まったく違ったモラルやルールが存在しているのかも知れない。どっちの世界がよかったのかしらね?」
二人はそこまでいうと、少し黙り込んでしまった。
男の方が考えていることは、
――生と死の世界が存在するのなら、それ以外の世界だって存在してもいいかも知れない――
という思いだった。
それは、天国と地獄のような二面性を持った一つの世界が複数存在しているのではないかという発想だった。
女性の方も似たような思いを頭の中に描いていた。
だが、彼女が気になっていたのは、男女の違いである。
最初に気が付いた時は、まわりに女性しかいなかった。しかし、次第に男性が現れて、そこで我に返ったような気がしたからだ。
――どの世の中であっても、異性がいないと、その世界自体が存在しない――
そう思うと、自分が淫乱だと思っていたことも、ただ単に、男性という異性を求める思いが強すぎるだけで、なるほど、悪いことではない。むしろ、人間の欲を正当化するには一番身近に感じられるのが性だとすると、淫乱が悪いことではないと胸を張って言えるのではないだろうか。
二人は会話に疲れたのか、少しお互いを意識しないように、雲の上に腰掛けた。座るとドライアイスの煙が身体に纏わりつくと、一瞬前が見えなくなった。
相手が隣にいてもいなくても、別にかまわないと思っていた。
――この世界でも疲れることはあるんだ――
一応、死後の世界だということは理解しているつもりだったので、二人とも、疲れを感じたことに、少し違和感があった。男性の方は、夢に近いとは思いながらも死後の世界を受け入れているのは、彼女と話をしたからだった。
寝ている時に見る夢は、潜在意識のなせる業だと思っているので、彼女の存在が自分の潜在意識が生み出したものではないことは分かっていた。だから、もし隣に彼女がいなくても、それはしょうがないことだという思いがあったのだ。
――僕はあの建物に入ってから、早く抜け出したいと思っていたにもかかわらず、気が付けば一人になっていたことで、早く出たいと思ったことを後悔したんだっけ――
と、男性の方は感じていた。
――私はあの建物で、天国と地獄のどちらに行くのか精査されると思っていたのに、気が付けば表に出ていた。ちゃんと決めてくれなかったから、こうやって彷徨うことになるんだわ――
という思いを抱いていた。
お互いにまったく違ったことを考えていながら、次第に、相手が何を考えているのか、察しがついてきたような気がした。
「あなたは、生きている時に、天国と地獄って、どうして知ったんですか?」
男が、女性に語りかけた。
「私は、おばあちゃんから聞かされました。生きている時にいいことをすると天国にいけて、悪いことをすると地獄に落ちるんだってね。あなたは、どうだったんですか?」
「僕の場合は、近所のお寺で聞かされたんだ。結構ワンパクだったので、いつも境内の果物の木に登って、実を取って食べていたんだけど、ある日、住職に見つかって、正座させられたんだ。その時に、天国と地獄の話をされたんだ。内容は、今あなたが言ったのと同じことだったんだけどね」
「じゃあ、天国と地獄のことは、皆教わった相手は違っても同じ認識だということなんでしょうね」
「それは天国と地獄の話に限ったことではないだろうけど、決定的な違いは、天国と地獄を誰も見たことがある人がいないということだね」
「ええ、天国と地獄を見るには、死ななければ見ることができないですからね。そして死んでしまったら、二度とこの世に戻ってくることはできない」
「それだけ矛盾を抱えているということだけど、死んでしまってから、考えることでもないかな?」
と言って、男性は笑った。
それにつられて女性も笑ったが、
「じゃあ、また地獄でお会いしましょう」
と言って、踵を返し、歩いていくわけではないが、スーッと姿が消えていった。
一人取り残された男性は、
「じゃあ、俺はどっちに行こうかな?」
さっきまで天国にいたのを忘れたかのように佇んでいる。
そして、彼もそのまま踵を返すと、スーッと何もない空間に、消えて行ったのだった……。
それが高山の夢だったが、ここまで完全に覚えているわけではない。小説にしようとしているのだから、少々着色された話にはなっていた。
この話を聞いた三雲は、
「なかなか面白いんじゃないですか?」
と言った。
口調は、どこか他人事のように聞こえたが、返事をしながら、話の内容を反芻しているようだった。
「今、口で言ったことを文章にしてみたんだけどね」
と言って、原稿を三雲に渡し、見てもらった。
すると、
「う〜ん、口で話をしてくれた方が面白かったな」
と三雲は言ったが、さらに、
「でも、同じ話であれば、最初に聞いた方がセンセーショナルなので、それはしょうがないことだよな。文章にしたものをあらためて見ると、それなりに見るべきところはあったと思う。特に強調したいところを、なるべく同じ言葉にならないように反復するところは、作家のテクニックによるところがあるからね。その部分においての高山先生の技術は、僕が保障してもいいと思うよ」
と言ってくれた。
「三雲さんがそう言ってくれるのなら、きっと大丈夫な気がする」
と高山は言った。
謙虚なところのある高山だったが、担当の人の意見を鵜呑みにしないところもあり、そこが作家のプライドなのだろうが、三雲はそのあたりは分かっていた。今の担当はそこまで分かっていないことも三雲は分かっていて、なぜ高山が自分に最初に相談したのか分かる気がした。
それでも、自分の口から大丈夫だというのは、三雲には意外だった。自分の着目点について自信があっても、実際に売れるかどうか、自信がないというギャップを感じているからなのかも知れない。
「まずは、完成してみないと何とも言えないと思う。ここから先の展開が楽しみですよ」
三雲はそう言って、それ以上口出ししなかった。
「そうですね。自分でもどんな展開になるか、今の段階では何とも言えないからですね。新しい発想が生まれたら、また話に来ますよ」
と言って、その日は別れた。
新しい発想は立て続けに生まれるもので、その日も高山は夢を見た。前の日の夢の続きだと最初は思わなかったが、途中から夢の続きだと気付いたことが今度の夢の特徴だった。この特徴は、これから後の夢にも受け継がれていくことでもあったのだ。
想像上の世界