【真説】天国と地獄
この日の夢は、いきなり男女が話をしているところを見かけたところから始まった。ドライアイスの雲の上を歩いてきた二人が、道なき道を歩いてきて、ちょうど出会ったところだった。
「やあ、しばらく」
と男の方が言えば。
「また、会ったんですね」
と女性の方は、会ったことを喜んでいるというよりも、落胆が目に見えて分かった。
「嫌だな。そんなに露骨に嫌な顔をしなくていいじゃないか」
「ええ、ごめんなさい。そうですね。この世界に入って誰かと出会うのはあなただけなんですよ」
「あなたもそうなんですね。僕も他の人に会うことはないんですよ。会うと言っても、天国や地獄の門番だったり、関所の受付のような人だったりで、話をしても、事務的な言い方しかしないんですよ」
「一緒ですね。だったら、もっと私たちは仲良くした方がいいんでしょうね。さっきは、あなたが新しく出会う人ではないかという期待を持ったために、出会ったのがあなただったことで、期待が裏切られた気がしたので、露骨に嫌な態度を取ってしまったんです。本当にごめんなさい」
そう言って、恐縮そうに彼女は頭を深々と下げた。
「いえいえ、いいんですよ。僕もあなたと同じ立場なので、気持ちは分かります。でも、僕は一つ疑問に思っているんですが、本当に僕は死んだんでしょうね?」
この男性は根本的なところで疑問を抱いているようだった。
だが、その思いは女性の方も同じことのようで、
「私も、自分が死んだなんて信じられないんですよ。死んだらどうなるかというのは、生前からいつも気にしていたので、いざ死んでしまうと、途中まで考えていたはずのことを忘れてしまったようなんです」
「死んだらどうなるかを、いつも考えていた?」
「ええ、どうして考えていたのかというのは分かっているんですが、生きている時に自分なりでもいいので、結論めいたものがあったのかどうかも分からないんですよ」
「どうして、死んだらどうなるかなんて考えていたんですか?」
「私は、宗教団体に所属していたんです。その宗教は、基本はキリスト教だったんですが、カトリックでもプロテスタントでもない、独自の考え方だったんです。そもそもキリスト教というのは、いろいろな考え方があったんですよ。少しでも違った考えが生まれれば、それは派生して新しい宗教になったりする。私はその中の一つだったんですが、その宗教は、絶えず死後の世界を考える勉強会を開いていたんですよ」
「僕は宗教に対してはあまり意識がなかったんですが、どうしても、避けて通りたい存在だったのは確かですね。関わりたくないという思いが強く、どうしても偏見の目で見ていました」
「宗教に身を委ねる人の多くは、現実世界に嫌気が差した人や、生きていくことに限界を感じるほどの苦しみを味わっている人がすがるのが宗教なんですよ。私は現実世界に嫌気が差していたんです。いくら頑張っても、お金のある人が優遇されたり、生まれを優先されたりする世の中にウンザリだったわ」
「それで宗教団体に身を置いたんですね?」
「ええ、入信してから、まだそんなに経っていたわけではないんですが、気が付けばその宗教団体に対しても疑問を感じるようになっていました。いつもいつも死後の世界のことばかり考えていて、今を見ていない。まるで現実逃避のようにも思えて、現実世界に感じた限界を、宗教でも思い出したんです」
「脱退しようとは思わなかったんですか?」
「ええ、思いました。でも、そう思った時にはすでに遅かったんです。一旦入信すると、抜けることは許されない。抜けたいということを口にした時から、まわりの目は冷徹に変わってしまうんです。そこからまわりの人の敵視が始まり、まるで苛めに遭っているような感じでした」
「宗教なのにですか?」
「宗教団体が人を救うというのは、どこまで本当なのかって思いますよね。宗教団体もしょせんは一組織に過ぎないんです。組織を守ろうとするには、一人の人権なんて、関係ないんですよ。秩序という言葉を盾に、戒律を押し付けてくる」
「宗教団体に戒律というのはつきものではないですか?」
「そうなんですが、私が入信してから、抜けたいというまで、その団体に戒律など存在しないと思われていたんです。だから、比較的自由だったんですが、我に返って客観的に見てみると、団体の行動自体が戒律のようなものだったんですね」
「でも、押し付けてきた戒律というのは、また違うんでしょう?」
「ええ、戒律という名の罪罰のようなものですね。いいこと以外はすべて悪いことにされてしまう。そしてその悪いことを決して許さないのが戒律なんですよ。例えば、人間の欲などはいいことではないとして、悪いことに食い込まれてしまう。それが戒律としてその人に対しての戒めになってしまうんです」
「えっ、でも、欲を断つというのは、宗教であれば、当たり前のことなんじゃないんですか?」
「そんなことはありません。学校で習うような有名な宗教はそうなのかも知れませんが、今のここまで細分化された宗教では、戒律が存在しないところはたくさんあるんです。でも私が経験したように、本当は存在していて、何かあった時だけ、その人に押し付けるようなところも多いのかも知れませんね」
その言葉を聞いて、男は「うんうん」と頷いた。
彼女は続けた。
「私は、戒律を押し付けられた中で、死んだ後のことを考えさせられた。それは本当に苦痛なことで、こんなことなら脱退なんて口にしなければよかったと思うほどだったんです。死後の世界の基本は天国と地獄ですよね。その世界を考えながら、戒律を当て嵌めなければいけなかった。そんな世界を私は想像させられたんです」
「それはきつい」
「しかも、その時に考えていたことが、今の自分に起こっているような気がして仕方がないんです」
「それはどういうことですか?」
「天国にも地獄にも行けない自分が、絶えず彷徨っている姿ですね。しかも、生前に考えていた、本当なら考えたくない世界がこの世界には存在しているのを思うと、一人だけで孤独を感じていると、それ自体が地獄だったんです。そういう意味で、私の話を聞いてくれるあなたの存在は、私にとっては、神様のようなものなんですよ」
と言って、涙を浮かべているようだ。
「そんな大げさな」
と男は口にしてみたものの、本心は、
――大げさでも何でもないのかも知れないな――
と感じていた。
「私は、今この世界を認めたくないという気持ちが本当は強いんです」
「そんなことを言うと、自分の存在を否定するようじゃないですか」
「そうかも知れません。今この世界にいる自分を否定することで、別の世界に飛び出せるような気がするんですよ」
「別の世界というと?」
「この世界と背中合わせの世界です。そこにもこの世界と同じような世界が広がっていて、そこにはもう一人の自分がいるはずなんですが、こちらで疑問を感じている今の私がいる以上、もう一人の自分は存在していないように思うんですよね。私はそっちの世界にできれば行ってしまいたいと思っていました」
「その世界というのは?」