【真説】天国と地獄
「分かりました。少し、三雲さんに相談してみます」
今の高山の担当者は、三雲に陶酔していた。自分の担当が当時三雲が担当していた高山だと聞いて、非常に嬉しく思ったのだ。
もっとも、この話は三雲から出たもので、自分が綿貫の担当になるについて、高山の担当の後任に彼を推薦したのは、他ならぬ三雲だったからだ。
三雲は、自分が綿貫の担当になっても、時々高山の相談相手になっていた。彼は知らなかったが、本当は天国と地獄の話を出版してみたいという話を最初に持って行った相手は、三雲だったのだ。
「なかなか面白いんじゃないですか?」
というのが三雲の意見だった。
もちろん、出版社がすぐに賛成しないことも分かっていた。高山も分かっていたから、三雲に最初に相談したのだ。それを踏まえた上で、三雲は賛成した。やはり高山の中にただの童話作家として以外に、違った血が流れているということを最初に看過した三雲だからこそ、言えることなのだろう。
まだ、完全に構想はできていなかったが、
「まだ、小説で言えばプロローグしか浮かんでいないんだ」
と言って、導入部分だけでも三雲に話すと、
「その発想はすごいですよ。今までの発想を一気に覆すことになる話になりそうじゃないですか? その後の構想が楽しみですね」
「それは僕も同じなんですよ。何しろ、どのような発想が浮かんでくるか、自分で思い浮かべているにもかかわらず、どこか他人事のように思えるので、そこが僕にとっても楽しみなんですよ」
作者としては、少しおかしな言い回しだったが、三雲には高山が何を言いたいのか分かった気がした。
「一緒に楽しみましょう」
これが、三雲の答えだったのだ。
この答えが高山の背中を押した。いまさら編集社が何を言おうと、高山は引き下がる気はしなかった。やはり最後に決めるのは、高山だからである。
高山の発想は、まだプロローグでしかなかった。誰かに話すとしても、序章でしかないので、聞いた人は、話が天国と地獄というある意味、「パンドラの匣」を開けるイメージなので、話の展開によっては、社会問題にもなりかねないという危惧を持っていた。
「この話は、半分皮肉が篭っているので、普通に考えられている世界とは、まったく違った内容にしてしまわないと、いけないような気がするんだ」
と三雲がいうと、
「そういう意味では、夢で見た話の中で覚えていることを書いているので、普通に考えられている話とは反対の世界を描けるように思うんだよ。僕はまず最初に見たのは、天国と地獄に振り分けるための関所のようなものの存在だったんだ」
高山の夢の中では、
一人の男が彷徨いながら、ドライアイスが敷き詰められた足元の見えない世界を歩いている。それはまるで雲の上を歩いているような感覚で、普通の精神状態なら、足元が見えないのだから、怖くて一歩でも足を踏み出すことはできないはずだ。
それなのに、その男は足元を見ながら、足場はしっかりしていることだけは理解しているのか、道もないのに、彷徨いながら歩いていた。
目の前から一人の女性が歩いてくる。彼女も彼と同じように彷徨うように歩いているにもかかわらず、一直線に歩いていた。
目標物がないので、彷徨っているように見えるが、二人には自分の進む道が見えているのか、ゆっくりではありながら、着実に前に進んでいる。
「地獄にはいけませんでしたか?」
と男性が訊ねると、少し苛立った様子を隠すこともなく、聞かれた女性は、
「ええ、残念ながら」
と答えた。
「あなたはこれから地獄へ?」
「ええ、天国に行けば、あなたは地獄だって言われました」
男は、さっきの女性とは別に微笑んでいる。
「そうなんですね。私も最初から天国に行けばよかったわ。そうすれば、こんなに落胆することもなかったのに」
「大丈夫ですよ。地獄にいける道だってありますよ。落胆することなんかありません」
「そうだったらいいんですけどね。私は死ぬ前は淫乱だったんですよ。男がいないと生きていけない女。そんな女、あなた嫌いですか?」
「嫌いではないですよ。死んでしまうとどうなるのか分からないんですが、何か『天国には行くな』と言われたような気がしてですね」
「あなたもなんですか? 私もなんですよ。どうしてなのかって聞くと、その人は笑顔でこういうんです。『あなたは淫乱なんでしょう?』ってね。生きている時なら、『なんて失礼な人なんだろう』って思うんですけど、死んでしまったと認識すると、淫乱という言葉が懐かしく感じられるようになったんですよ。そしてひょっとすると、あの世では淫乱というのは悪い意味ではないんじゃないかってね」
「あなたは、それをどこで聞きました?」
「私は自分が死んだと認識したのは、実は今なんですよ。あなたに声を掛けられて初めて理解できた気がしました。それまでは、別の世界にいたような気がしたんですが、そこで、自分が死んだということを聞かされました。もちろん、そんなことは信じられないし、死んだという意識もない。でも、現実の世界とは程遠いので、てっきり夢を見ているんだって思ったんですよ」
「僕も似たような世界にいたような気がします」
と男がいうと、女もニッコリと笑って、
「そこには建物があって、まるで大学か研究所のようなつくりのところだったんですが、別に宿泊施設があるわけでもない。教室がいくつか存在していて、それまでまわりに誰もいなかったはずなのに、その建物が見えた途端、たくさんの人がまわりに湧いて出てきたんですよ」
「建物を意識すると、人が現れたという感じですか?」
「ええ、そうです」
「私は逆でしたね。人を意識すると、目の前に建物が急に出現した。どうなっているのか分からなかったけど、今から思うと、あなたが感じたよりも僕の方がショックは小さかったような気がします」
「最初は、その人たちは女ばかりだったんです。だから、てっきり女性専用の場所なのかなって思ったんですが、建物に意識を集中させてから、またまわりに意識を戻すと、今度は男性もその中に混じっていた。不思議な感覚でした」
「僕は逆ですよ。というよりも、同じというべきなのかな? 最初は男性しかいなかったのに、あなたと同じように意識を建物から元に戻すと、女の人の姿も混じっていました」
「自分の感覚を、誰か他の人に操られているんじゃないかって私は感じたんです」
「僕は違いますね。あくまでもこの世界で起こっていることは、自分の潜在意識の外に出ることはないと思っているんですよ」
「ということは、あなたは、これは夢の世界だって思っているんですか?」
「ええ、大体、死んだということ自体意識がないわけだし、死んでしまって意識が残っているというのも、何かおかしな気がするんですよ」
「じゃあ、あなたは死んだら、そこでおしまいだと思っているんですか?」
「そこまでは思っていないんですが、死ぬ前の意識とはまったく違った意識が宿るように思うんです」
「それって、でもおかしいですよね。肉体がないんだから、違う人になってしまうということですか?」