【真説】天国と地獄
挿絵はその一枚だけで、地獄の絵は書かれていなかった。あまりにも描写がエグいので、教科書としてはふさわしくないからだと思ったが、今でも、その通りだと思っている。
その時に見た絵は、まさしく、蓮の池のほとりにお釈迦様が佇んでいるものだった。
――教科書で見た時、それほど天国の絵に感動がなかったのは、それより前に神社で神主に見せられた天国の絵が印象深かったからだ――
と感じた。
もし、天国の絵を最初に見ただけだったら、
――天国なんてウソ臭い――
などと感じることもなかっただろう。
なまじ、国語の授業で、似たような挿絵を教科書で見てしまったものだから、せっかくの神社で見た絵の印象が半減してしまったのだ。
だが、神社で見た絵の印象が薄まるわけではなかった。強い印象で残っていたのは間違いないことだ。ただ、その思いが表に出てくることは、子供の頃にはなかったというだけだった。
なぜなら、子供の頃というのは、上ばかりを見ているからだ。成長することしか頭の仲にはなく、背が縮んでしまったり、大人になることを否定するようなことがあるはずはないと思っていたからだ。
それだけに、少しでも大人に対して不信感を抱くと、
「大人になんかなりたくない」
と感じるようになり、本当であれば、
「あんな大人になりたくない」
という個人的な相手に絞られるにもかかわらず、大人全体が何か汚いものに見えてしまうのは、成長を信じて疑わない感覚の弊害ではないかと、大人になって感じたのだ。
天国の絵が最初のインパクトから、教科書を見てしまったことで、ずっと印象が薄かったのに対して、地獄の絵は、最初に見た印象がそのまま大人になっても消えなかった。
いや、大人になるにつれて、印象が深まっていたといってもいいだろう。絵を思い出すということはそんなになかったはずなのに、どうして印象が深まっていったのか、最初は分からなかった。
高山が、童話を書く時に思い浮かべることとして、天国と地獄が思い浮かんでいたのは事実だった。思い浮かべるのは天国と地獄のセットで、どちらかだけを思い浮かべるということはなかった。天国のイメージは、次第に小さくなっていったはずなのに、童話を書く時のイメージは、大きいままだった。
次第に印象が薄れていく天国の絵とは反対に、最大だったインパクトの強い第一印象より衰えることのない印象を植え付けられたのは、その横から数枚にもわたって描かれている地獄絵図だった。
天国の絵が一枚だけだったのに比べて、地獄の絵は一体何枚あるというのだろう?
「この地獄絵図を見ると、ずっと頭の中に残ってしまって、忘れることができなくなることがあるので、本当は子供には見せてはいけないものなのかも知れないが、わしは敢えてお前たちに見せる」
と言って、神主は地獄絵図を指差した。
「あれが、釜茹で地獄。あれが、血の池地獄。あれが針の山の地獄……」
と、次々に絵を指差した。
そこに描かれているのは、すべて鬼たちだった。鬼というのは、赤い鬼もいれば、青い鬼もいる。
「どこかで見たことがある顔だ」
というと、
「節分の時の鬼の面で見たんだろうな」
と神主に言われて、
「ああ、そうだ。あの時の顔と同じだ」
と思ったが、実際に金棒を持って、人間を血の池に落としたり、針の山に追い詰めたりしているのを見ると、怖いという印象よりも、どこか他人事のように感じられた。
しかし、次の絵で、鬼の顔がアップになり、絵全体に鬼の顔が描かれているのを見せられると、
――これが神主さんの言った「忘れることができない」ということなのだろうか?
と感じたのだ。
だが、他人事のように思える地獄絵図。描き方が昔の描き方だったからだ。教科書で見た平安時代の絵巻や、あるいは、国語の教科書に載っていたおとぎ話の挿絵などのように、今の絵のような、見た目を忠実に描く画法と違った描き方は、子供の頃の高山には、他人事にしか見えなかった。
それが、印象深く感じられるようになったのは、高校になってからだった。
それまで嫌いだった社会科の授業で、日本史に興味を持つようになると、他人事のように思えていた絵が、一つの画法だと考えることで、リアリティを感じるようになっていった。
その思いが、絵の中のどれか一箇所を集中的に記憶しているという思いを抱かせた。
鬼の表情ひとつが印象に残っている以外に、血の池地獄が大きく印象に残った。それは、真っ赤に染まった池の色と、赤鬼の表情の合致であり、さらに、天国で感じた蓮の池が、真っ赤に染まっているのをイメージしてしまったからだ。
捻じ曲がった記憶の中で、天国の印象が薄くなってきたのは、血の池地獄の印象が強かったからだというのもあった。
だが、意識の中に、
「天国というのは、いいことをした人が行くところで、地獄というのは、悪いことをした人が行くところなのだ」
ということを、その時初めて神主から聞いた気がしたからだった。
しかし、それはおかしな気がした。
絵を見てすぐに、
「これは天国と地獄の絵だ」
ということは分かったはずだ。
天国と地獄というのを理解しているのだから、そこがどういうところなのかということも分かっていたはずだ。最初にどこで天国と地獄というのを理解したのかということを覚えていないほど、神主に見せられた絵の印象が深かったのだろう。
大人になって思い出してみると、今までに見た夢の感覚に似ていた。
「天国のような怖くない夢は、目が覚めるにしたがって忘れていくが、地獄のように怖い夢は、忘れてしまいたいにもかかわらず、忘れることができない」
という皮肉に結びついてくるのだ。
今回、
「天国と地獄の夢を見たので、それを小説にして発表したい」
と編集社に告げたのは、思い出してしまった天国と地獄の絵の印象から脈絡と続いてきた大人への道を、今ここで掘り下げてみたいと考えたからだった。さらに、
「天国と地獄の夢は、これで終わりではないような気がするんです。だから、次の夢を見る前に、今見た夢を書き留めておかないと、完全に忘れてしまって、二度と思い出すことができなくなるような気がするんです」
という思いが頭の中にあり、その思いを小説にして発表することが自分の使命のように感じたからだ。
「天国と地獄と言っても、皆が考えているようなものではないんです。そこには宗教に対しての皮肉めいたものがあったり、人間臭さが渦巻いていたりするんです。今僕が書いている童話も、この天国と地獄をテーマにした小説を書くための前兆のように思えるくらい、発表してみたい内容なんですよ」
と編集社の担当者には話してみた。
もちろん、編集社の意向としては反対をするのは分かっていた。
「先生の作品には、先生の顔というイメージがあるんですよ。子供向けに書いてきた先生が、今度は怪奇小説を書くというのは、今まで積み重ねてきたものを崩しかねないんじゃないかって思うんです。ペンネームを別にして書かれてはいかがですか?」
という話があったが、
「それでは意味がないんです。高山廉太郎として発表しなければ、天国と地獄の作品は成立しないんです」
と、高山は言い張った。