【真説】天国と地獄
「人間なんて、自分たちのエゴで殺し合いをするじゃないですか。生きるための本能だけではなく、エゴでも殺し合いをする。しかもそれを宗教のせいにして殺しあう。そして、宗教というのは、生きている間に幸福になれなかった人が死後の世界でいかに幸福になれるかということを説いています。これは、死後の世界の人に対しての冒涜に他ならないんじゃないですか?」
それを聞くと、高山も、
「きっとそれは、死後の世界をどこまで信じているかというところに影響しているのかも知れませんね。すべての宗教をいい悪いというつもりはありませんが、少なくとも人を洗脳して、営利を貪る宗教団体もないわけではない。死後の世界という自分たちが本当に信じているかどうか怪しいものを祭り上げ、自分たちの至福を肥やすなんてとんでもないとしか言いようがないですね」
というと、鬼も
「さすがに、私たちには何も言えませんが、高山さんのお話には感服するものがあります。人間の中にもそんな考え方を持った人もおられるんですね」
「同じような考えを持っている人は、ひょっとすると結構いるかも知れませんが、どうしても人は一人では生きていけないという発想から、奇抜な考えは封印するという思いが強くなっているのかも知れませんね」
「我々鬼は、集団という意識はないんですよ。秩序のために集団行動はありますが、誰もが違った考えを持っているのは当たり前で、強制することはできない。強制するだけのカリスマ的な考えはありませんからね。いくら絶対的なカリスマ性を持った閻魔大王だといっても、個人個人の考え方にまで入り込むことはできないんですよ。だから鬼は自由であり、地獄も自由なんです」
それを聞いた高山は一つの考えが浮かんだ。
「ということは、地獄は元々鬼が死んでから来るという場所だったんですか?」
「ええ、そうです。だから、鬼という人種の歴史は、人間という人種の歴史よりもずっと古いんですよ。だから、人間は生きている時、鬼を想像上の生き物として、おとぎ話などに登場させている。でも、その実態に関してはよく分かっていないので、人間は鬼を怖いものであり、悪者のように仕立ててしまっているんです」
鬼の言葉には説得力があった。
「なるほど、言っている話を聞いていると、生前に自分が考えていたことが裏付けられていることが分かるのと同時に、どうしても結びつけることができなかった死後の世界への感覚が、次第に繋がってくるように思えてきました」
「だからと言って、鬼である自分たちが、人間よりも優れているとは思っていません。人間は同じ人類である自分たちとは別個の進化を遂げ、鬼にはない頭の構造を作り上げた。それにより鬼に作ることのできなかったものを作るに至ったんだと思います」
「その鬼に作ることのできなかったものというのは何ですか?」
「それは文明です」
文明という言葉を聞いて、高山は何かが弾けたような気がした。確かに文明は人間にとって他の動物にはない唯一のものである。
「なるほど、鬼には文明と呼ばれるものはないんですか?」
「ええ、でも文明を築いたせいで、人間が人間たるに至ったというのも真理だと思っています」
「どういうことですか?」
「文明は、一人ではできません。人がたくさん集まってできるものです。だからこそ、集団ができれば、考えの違う人も生まれてきます。集団と集団が争うことで世界は戦争を免れることができなくなった。そこには国家であったり、主義であったり、戦争する理由づけになるものがどんどん形成されていく。これが人間の犯し続ける罪の流れになっていくんですよ」
「じゃあ、文明と破壊が表裏一体だと言われるんですか?」
「ええ、そうですね。文明が人間という動物の成果だとすると、その裏には破滅への『パンドラの匣』が潜んでいるということになりますね」
「地獄には、そんなものはありませんよね」
「ええ、地獄はあくまでも自由です。欲であっても、認められています。悪いことさえしなければ、自由に暮らせる世界です。そういう意味では天国というところには自由はありません。禁欲を中心に、あくまでも質素を貫く姿勢の場所なんです。しかし、天国というところはそれに反して、華やかなところなんですよ。地獄のように地味ではありません」
「じゃあ、天国で反乱が起こるかも知れませんね」
「実は、今地獄の鬼と、天国の女たちが秘密裏にある行動を進めています」
「えっ、それっていいことなんですか?」
「私はいいことだと思っています。まだ閻魔大王とかは知らないんですが、実は……」
と言って、鬼は高山に耳打ちをして、その計画を打ち明けたが、
「それはまずいかも知れませんよ。天国の女たちというのがどれほどの者なのかが分からないので何とも言えませんが、甘く見ていると、地獄が危険な状態になったりしないか、それが私は心配です」
それを聞いて、鬼は不安そうになっていた。
鬼の表情は、普通の人が見れば、まったく変わっていないように見えるだろう。縁日で買うお面のように、牙があり、歯が剥き出しになった様子から、どのように表情が読み取れるというのだろう。
「どうすればいいんでしょう?」
「計画を止めることはできないんですか?」
「ええ、鬼の先遣隊がすでに天国に向かっていますし、何よりも天国の女たちは大いに乗り気なんですよ」
「それはそうでしょうね。天国というところが、禁欲の世界なんだからですね。しかも、今の天国には秩序というものはないんでしょう? 統治も閻魔大王が兼任していて、天国では抑えることができる人はいないんですからね」
鬼の話は、こうであった。
一人の天国の女が、閻魔大王に連れ添って、天国から地獄にやってきたことがあった。それまでには一度も閻魔大王が天国の女を地獄に連れてくることはなかったのだそうだが、きっと、それは閻魔大王がいよいよ天国に秩序と統治を本格化させようと考えたからではないかと言っている。鬼たちの考えとしては、閻魔大王は、いずれは天国と地獄の垣根を取っ払って、それぞれに自由な場所であってほしいという願いを持っているようだと分析しているという。
その考えに高山も賛成だった。
閻魔大王の気持ちは分かるが、そのために天国の女を地獄に連れてくるということがどれほど危険なことか分かっていたのだろうか?
天国の女は、禁欲に縛られている。華やかな天国というところで、形ばかりの自由を謳歌しているように見せているだけだ。どれほどのストレスが溜まっていることだろう。暴動が起きても仕方のない状態になるのではないかというのが、高山の考えだった。
この考えは、性欲や嫉妬、などの人間特有の感情を持った者でしか分からない。鬼たちのように、人間のいうところの性欲がなく、ただ本能だけで女を抱くもう一つの人類には分からないことだった。だから、彼らの計画を止めることができないのは当たり前のことだった。