【真説】天国と地獄
「生前では、宗教に入信している人は、死んでから天国にいけるように、修行を重ねていたんですよ。それなのに、死んでからも修行をしなければいけないというのは、どうにも納得がいかないような気がするんですが。しかも、天国というところは、正しいことをした人が行くところでしょう? それをいまさら何の修行をするというんですか?」
「またしても、あなたの発想は生前のものに戻ってしまいましたね。いいですか、ここでは天国に行くか。地獄に行くかというのは、その本人の意思だけにかかっているんです。もちろん、断わられる場合もありますけどね。生前、どんな人間だったのかということは、この際関係ないんですよ。ここの世界から、天国と地獄のどちらを選ぶかを決められない人は、その感覚から逃れられない人なんですよ。つまりは自分に自信がない。自分には、自分が考えているような天国に行く資格はないと思っている人たちですね」
「じゃあ、僕はどっちに行ってもいいんですか?」
「ええ、そうです。選択権は本人にあるんですよ」
彼は余裕を持った顔でそう言ったが、三雲はその言葉を聞いて、ゾッとするのを感じていた。
「選択権が自分にある……」
と呟くように言うと、
「そうです。自分の権利です」
権利という言葉がこれほど重たいものだとは、生きている時に考えたこともなかった。権利とは、与えられたものであり、特権のような感覚だった。しかし、決断ということに関しての権利は、間違えたとしても、その責任はすべて自分にある。取り返しのつかないことであるのだ。
――どうして、こんな簡単なことを、生きている時に感じなかったんだろう?
と考えると、この世界が、今まで生きてきた世界に比べて、本当はもっとリアルな気がして仕方がない。世界は漠然としているのだが、自分が信じられないだけで、リアルな感覚をヒシヒシと感じているにもかかわらず、考えないようにしようとしているだけなのかも知れない。
「高山さんは、地獄に行ったんですよね? 彼にも今と同じような話をしたんですか?」
というと、高山の担当だったという女性が答えた。
「いいえ、私はここまで詳しいことは言っていません。ただ、この世界は天国と地獄への通過点であり、どちらに行くかは、本人が決めることだって教えただけです」
「じゃあ、天国がどんなところで、地獄がどんなところなのか知らないで選んだんですか?」
「そういうことになりますね」
「そういう人は稀なんでしょう?」
「そうですね。私たちが死んだ人の一人に一人が担当としてつくのも、誤った判断をなるべくしないように導いてあげるのが役目なんです。担当者によっては、自分の担当した人が、どっちに行くべきかを独自に判断して、担当者の意思で導いている人もいるみたいですよ」
「そんなことは許されるんですか?」
「ええ、許されます。確かに担当者の意思が入った説明であったとしても、それを死んだ人が信じたのであれば、それはその人の意思ということになります。それをダメだということにしてしまうと、時間という感覚が皆さんのいた世界に近くなってしまい、この世界の存在自体が危うくなってしまう可能性がありますからね。だから、ここでの担当者の力は、ある程度認められています」
「じゃあ、あなたたち担当者に、僕も誘導されてしまう可能性もあるということですね?」
「それはあなた次第です。私はあなたが自分で決めることになるので、黙って見ているだけですけどね」
「でも、こうやって答えてくれているからじゃないですか」
「それはあなたが、自分で決めようとして、情報を集めようという意識があるからです。その気持ちを尊重するのも私たちの役目ですからね」
「もう少し、ここにいて、いろいろ考えてみたいと思います」
「それはそれでいいことだと思います。私は、あなたが選んだ道に進む時、この世界が正規の姿になっていると思っているんですよ」
「それはどういうことですか? 今は少し違うということですか?」
「そういうわけではないんですが、少なくとも天国は今、あなた方が考えている世界とは違っているので、似た形になろうとしている力を感じるんですよ」
「どういうことですか?」
「これは決まりなので、ハッキリとしたことは申し上げられません。ただ、私にはある程度の未来を予測できる力があるんです。その力が教えてくれているんですが、天国は繰り返しているんです」
何が言いたいのか分からなかった。しかし、彼はその後、さらに言葉を続ける。
「このことは、高山さんが生前に書かれていた小説に著されるはずだったんです。だから、高山さんは、迷うことなく地獄に行かれたんだと思いますよ」
「えっ、そうなんですか?」
それは意外な言葉だった。
まだ高山の小説は、プロローグのあたりしかできておらず、発想がどこまで膨れ上がっているのか、三雲にも分からなかった。
――そういえば、僕は高山の担当者だったんだな――
と思い返して、今度は自分にこの世界で担当者が存在しているということに不思議な縁のようなものを感じた。
「フフッ」
思わず苦笑いをしてしまったが、
「担当者に担当者がつくというのは、どういう気分ですか?」
完全に自分の心を読まれていた。
「よく分かりましたね」
というと、
「それが担当者というものでしょう?」
「まさしく」
と言って、笑いが止まらなくなってしまった。
そこまで話をしてくると、急に恐ろしい発想が三雲の中に生まれてきた。
「まさか、僕たちが死んだのは、偶然ではない?」
「というと?」
「確かに人の生き死にには、それなりの理由があるという考えもありますが、今、僕はそのことを身をもって体験したんじゃないかって思うんですよ。しかも、死ぬべきだったのは僕ではなく、高山さんではなかったのかと思っているんですよ」
「どうしてそう思うんですか?」
担当者は思ったよりも冷静だ。まるで、このことを自分が言い出すことを最初から予期していたかのようだ。
「高山さんが、天国と地獄の夢を見て、それを小説にしたいと言い出した。そして、彼が書こうとしていることは、この世界の秘密にかかわることだった。だから、彼は抹殺されてしまったのではないかと考えるのは、無茶なことでしょうか?」
彼は、まだ冷静だった。
「無茶なことではないと思いますが、私が今言えることは、その発想は本末転倒も甚だしいとだけ言っておきましょう。もし、あなたの発想が間違いないとすれば、どうしてあなたまで死ななければいけないんですか? 今あなたは、人の生き死ににはそれなりの理由があるといいましたね? だから、高山さんは死ななければいけなかったと。でも、それならあなたが死ぬ理由はなんですか? それこそ矛盾ではないですか。私が本末転倒だと言ったのは、そのことなんですよ」
三雲は、反論できなかった。
「確かに……」
これ以上は何も言えなかったのだ。
三雲は、それでも引き下がらず、何かを考えている。
「じゃあ、自分たちが死ぬことに何か理由があったわけではないということでしょうか?」