【真説】天国と地獄
「その通りです。高山さんが気にしすぎているからだと思います。でも、彼は天国と地獄をイメージしたことで、必要以上に三雲さんが死後の世界を想像してしまったと思っています」
「死後の世界に対して、普通の人はあまり気にしている人はいないと思います。実際に余命を宣告された人や、何らかの宗教を信じていて、死後の世界にこそ、救いがあると考えている人がそのほとんどでしょうね」
「僕は、宗教というものを信じてはいませんでした。生きている間に、どうして死後の世界を思って、まるで死んでからのことのために、今の世界を生きなければいけないのかということに矛盾を感じていたんです。今の世の中を与えられているんだから、今を一生懸命に生きることが本当じゃないかってね」
「それは誰もが抱いている感覚だと思います。でも、それがなかなかうまくはいかない。戦争があったり、人殺しがあったりと、自分が望んでもいない理不尽なことが多すぎる。だから宗教にすがろうという気持ちは分からなくもないですね」
「僕は死後の世界を本当は信じてはいませんでした」
「どう思っていたんですか?」
「死んだら、すぐに誰かの元に生まれてくるものではないかと思っていたんですよ。ただ、それは子供の頃のことで、今はそれだけではないと思っています。それでもなぜか、死後の世界が存在している気はしなかったんですよ。なぜなら、誰も見たことがないはずなのに、皆が想像している世界というのは、そんなに変わりはないでしょう? 何か不思議な力によって、頭の中を洗脳されていると考えた方がいいような気がしていたんです」
「それは、少し乱暴な考え方ですね」
「ええ、確かに乱暴ではあるんですが、死後の世界を誰も見たことがないくせに、誰もが死後の世界の存在を疑う人はいないですよね。もちろん、似たような世界であっても、そこに対する世界観には大きな隔たりがあるとは思うんですが、皆が一つの方向を向かって見ているのに、その先が見えてこないということに、矛盾を感じているんですよ」
というのが、三雲の考え方だった。
「なるほど、それが三雲さんの考えなんですね。高山さんも似たような考えを持っているようですよ。高山さんが夢で見た天国と地獄の話を小説にして残したいと思ったのは、忘れてしまわないうちに書いてしまおうという思いが強かったからです。本人は、すぐに忘れてしまうと思っていたようで、そんな中、忘れたくないという思いも強かったようです。そのためには、文章にして残すことが一番だと思ったんですね。高山さんは、自分が文章にし始めると、忘れかけているものでも、最後まで書ききらなければ忘れることはないと自分で信じていたようです。確かに彼はそういう性格で、書き切ることができるでしょう。でも、書き切ることができなかったのは、彼の運命だったんです」
「ところで、高山さんは、今どこにいるんですか?」
と、三雲が聞くと、
「彼は地獄を選んで地獄に行きました。それが彼の結論だったんです。自分の夢に出てきた地獄を、実際に見てみたいと思ったんでしょうね」
それを聞くと、三雲は背筋がゾクゾクしてくるのを感じた。
「どうして、地獄を選んだりしたんでしょう? 地獄というと、生前に悪いことをした人が落ちるところで、苦しみしかないというイメージがあるんですが……」
「ここは、死んだ人が、自分で天国か地獄かを選べるところ、あなたたちの感覚では、生前の行いを審査されて、行き先は最初から決まっているような感覚ですよね。ここの世界はそうではないんです。あなたたちが考えているほど、天国と地獄に苦痛の差はないんですよ」
「どういうことですか? 天国にも苦痛があって、地獄にも安息があるような言い方に聞こえますが」
「何を持って苦痛というのか、安息というのかにもよると思います。その思いは人それぞれではないでしょうか? 天国と地獄を、誰もが同じ世界だと思って考えてしまうと、見えてくるものも見えてこないということになりますね」
と彼女がいうと、
「じゃあ、どうして、死んだ人、つまりは何も分かっていない人に、天国か地獄を選ばせるんですか? 知識も判断材料もない人に、自分のこれからの行き先を決めさせるなんて、無茶ではないですか?」
「そうでしょうか? あなた方だって、生きている間、判断材料もない状態で決めなければいけないことだってあるでしょう? 自分が悪いわけでもないのに、貧困な家庭に生まれたから、進学もできない。家族や親類に犯罪者がいたということで、就職もうまくいかないなどということだってあるでしょう?」
「ええ、そんな理不尽なことは、今までまわりには日常茶飯事でした」
「あなたは自分で気づいていないかも知れませんが、あなた自身もそんな理不尽な思いを今までに何度もしてきたと思います。なるべくそれを感じないようにしようとすればするほど、あなたは、自分の中で選択肢を狭めて行った」
確かに彼女の言うとおりである。
自分がいかにまわりに対して理不尽な状況に置かれていたかということを考えると、ネガティブになってしまい、前を向けなくなると思ったからだ。だが、それは生きていくうえで大切なことであり、選択肢が狭まったとしても、それは仕方がないことではなかっただろうか。そのために、一方ばかりしか見えていなかったという自覚もなかった。すべてを、
――仕方のないことだ――
という一言で片付けていたからだった。
「それでは、理不尽なことに目を瞑ってこなければ、選択肢はたくさんあったということですか? 選択肢が増えたとしても、却ってどれを選んでいいか分からずに、もっと苦しむことになると思うんですけど?」
「いえ、理不尽なことに目を瞑ってしまうのは仕方のないことだと思うんですが、感じることはできたと思うんです。ただ、それだけの違いです」
何を言っているのか、よく分からなかった。しかし、それ以上、このことについて議論をする気もなかった。
「高山さんが地獄に行ったのなら、僕も地獄に行こうかな?」
それを聞いた、自分の担当者の人は、ただ頷くだけだった。
高山の担当者が来てから、余計なことを何も言わなかった担当者だったが、三雲が地獄への道を決めたことに満足しているようだった。
「じゃあ、三雲さんは地獄に行かれるわけですね?」
「ええ、地獄にします」
「分かりました。では少しお待ちください。あなたのその選択に私の方が手続きをいたします」
「手続きがあるんですか?」
「ええ、ここで決められた本人の意思は、それぞれの受け入れ部署に伝達されて、さらに審議があります。特に地獄の場合は、審議に少し時間が掛かる場合がありますが、たぶん、三雲さんは大丈夫だと思います。ですので、少しお待ちください」
彼の言っている意味がよく分からなかったが、とりあえず待つしかないようなので、待機していることにした。
「しばらくではありますが、きっとあなたにとってはあっという間のことですので、そのおつもりでいらしてください。余計なことを考えてしまうと、せっかくのあっという間の時間が、必要以上の時間になりかねませんからね」
「どういうことですか?」